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悩みながらも【生きる】ためのブログ:【4】「親父の商売」:「お人好しの商売下手!」

前回のブログ記事「親父の病気」:「病気になるってかっこいい?」でも書いた親父についての話しを続けます。親父は「青果卸業」を営んでいました。わかりやすく言いますと青果市場で「せり人」として野菜や果物を買い付け、得意先様に納品する仕事です。
親父の親父から兄弟数名で引き継いだ仕事でした。
親父は見た目の怖さとは違いm本当に「お人好し」で商売上の駆け引きのできない人でした。
経営的知識もほとんどなく、親父の事業は悲しいほど商売としての体を成しておりませんでした。

親父の一日

私の親父の1日は朝5時ごろの家をスタートするときから始まります。
実際に朝一番から見たわけではありません。ただ、聞いた話を簡単にまとめると
朝5時過ぎには青果市場の事務所に着く
7時から始まる「せり」に備え、注文のあった野菜などを確認する
7時、「せり」で野菜などを買い付ける。
買い付けた野菜などをトラックに積む
得意先に運搬、納品する。
週3日程度は遠く島根県まで出向く。
早い日は午後4時ごろ、
遠出した日は午後8時ごろ帰宅、

親父の仕事の仕方

経営学を学んだ方には多分理解しにくい話になります。
親父の商売哲学は
「よい商品を安く売れば売れる」
これは正しいですよね。
問題は利益を確保するという
商売を継続する上で必要な考え方が
抜け落ちていること。
いやそれ以上に
自身の人件費さえ削って商売をしていたこと。

経営学、もしくは財務という観点から
親父の仕事を採点するなら
0点です。
商売は
適正に経費を用い
適正利益を確保することで
運営しないとなりません。

究極の商売下手です。

親父はこの仕事に
どのような意義と楽しみをもち
働いていたのか
私にはわからないままです。

親父の仕事が私たちにもたらしたもの

親父が自身の人件費さえ考えずに
経営をおこなっていたということは
私たち家族にまで
経済的な歪みが生じるということ。

親父の昼ごはんは
母お手製の弁当でした。
小学生である私の朝は
6時30分に自宅をスタートし
片道20分かけて青果市場に向かい
親父のトラックに弁当を積み込むこと。
7時10分ごろ私は帰宅し
7時45分の集団登校に準備を間に合わせる。

これ、本当に嫌でしようがなかったです。
同級生でそんなことしている人
多分いませんよね。

それ以上に辛かったのは
資金が回らないため
給食費の持参日に
親の都合で
給食費を「忘れていくこと」

これは本当に辛い

なんでこんな目にあったんだろう。
給食費は事務室に持って行くため
回収日に持参しなかったことは分かりません。

しかし数日後
帰宅前の伝達事項の時間
給食費督促の書面が入った封筒を
配布されるんです。
その封筒の中身はみんな知っています。
だから
私には
常に給食費を忘れる子のレッテルが
貼られました。

優先度の高い
給食費を忘れて行くぐらいですから
生活が苦しいことは明らかです。

親父が考えていた
商売というものが
私にはいまだに分かりません。

私なりに親父の仕事を振り返る

私も
独学ですが
さまざまな経営や営業に関する
勉強をしてきました。

私は
経営に関して助言する仕事を
営んでいます。

親父は
親父の親父の仕事を
表面的に真似ていただけではないでしょうか。
高校中退であり
我流で経営してきた結果なんでしょう。

それ以上は
死んだ親父に聞くしかありません。

追伸

私は親父とキャッチボールした
記憶がありません。
働いている親父だけです。
それ以外は
家でお酒を飲む姿だけです。

今後触れることになりますが
20代までは
親父のことをとことん憎みました。
私の人生を狂わせた張本人だと。

しかし
30代になり
お酒は寂しいから飲むものだと気づき
親父も苦労したんだよね
と思うようになりました。

そして今では
今までの歩んできた道も含めて
経営者に助言、アドアイスする仕事
人の成功を応援する仕事を
しようと思うきっかけは
間違いなく
この経験からきています。

そう考えると
私に与えられた
一見辛い人生も
感謝に変わりました。


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