ラインクラフトのまばたき —第4章—

2024年9月26日 追記
誤字と一部の表現を見直しました。本公開の際は、こちらを採用しようと思いますです。


カフェテリアの喧騒の中、僕は端の席で昼食を取っていた。生徒たちが、思い思いに昼休みを楽しむ音が周りに響いている。耳に入ってくるウマ娘たちの笑い声や話し声が良いBGMになって、心地よく感じられる。

食事を終え、スケジュール帳を片手にコーヒーを飲んでいると、誰かが僕の席のもとにやってきた。ふと顔を上げると、一人のウマ娘が恥ずかしそうに立っていた。
ブロンドのロングヘアを靡かせる彼女は背が高く、そのせいか、クラフトよりも大人びた印象を醸している。
そんな彼女は、モジモジとしながらも、意を決したように口を開いた。

「あの・・・ラインクラフトさんのトレーナーさん・・・ですよね・・・?」

『あ、うん。そうだよ。・・・どうしたの?』

「えっと・・・・・その・・・・・」

彼女はよほど緊張しているのか、お腹の辺りで組んだ手を、しきりに握ったり開いたりしている。

『大丈夫、大丈夫。まずは深呼吸しよっか。ゆっくりでいいから、ね。』

「は、はいっ・・・スーー、ハーーー・・・」

上擦った声で返事をした彼女は、胸に手を当てながら深呼吸をする。その動作に合わせて上下する胸から、慌てて視界を遠ざけた。

それにしても、こうして声をかけられるのは珍しい。僕がこのトレセンにやってきてから数年、初めて専属契約を———つまりクラフトの担当になってから3年たった。クラフトと契約する前は見向きされなかったが、彼女と共に歩んでいく中で、彼女が学友との話の輪に入れてくれることはたまにあった。でも、こうして初めましてのウマ娘から声をかけられたのは、もしかしたら初めてかもしれない。僕は努めて接しやすいよう、彼女に向けて笑いかける。

『僕の時間は大丈夫だから、いつでも話し始めていいからね。』

彼女は一瞬戸惑ったように視線を泳がせたが、やがて小さく呼吸をして、何か決意したように話し始めた。

「あの・・・あたし、ラインクラフトさんに・・・憧れてるんです・・・!」

『クラフトに・・・?』

「はいっ!あ、あたしも、ティアラ路線を目指していて・・・ラインクラフトさんみたいな、トリプルティアラウマ娘になるのが夢・・・ううん、目標なんです!そのために、自主トレをいっぱいしているんですが・・・最近、タイムが全然縮まらなくて・・・。あたし、まだ専属のトレーナーさんがいないから、どうしたらいいかわからなくてっ・・・。そ、それで、あなたに・・・ラインクラフトさんのトレーナーさんに、お願いがあるんですっ。あたしの自主トレ、見てもらえませんか・・・!?い、一回だけでもいいので・・・!・・・っ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」

彼女は一息に言いたいことを話したのか、息を切らしたまま俯いてしまった。
———そうか・・・ティアラウマ娘の先輩方に憧れていたクラフトが、次は他の誰かに憧れられるほどに、成長したんだ———。
思わず胸がじんわりとあたたかくなる。クラフトがこれまで努力を重ね、トリプルティアラを勝ち取った成果が、こうして他のウマ娘にも良い影響を与えている。
そんな奇跡のような瞬間に立ち会わせてもらっている僕がやるべきことは、一つしかない。

『うん、もちろんいいよ。今日の放課後はどうかな?ちょうどクラフトのトレーニングもオフの日だから。君さえ良ければ、だけど。』

「ほ・・・本当ですか!?ありがとうございます!よろしくお願いします!!・・・やった・・・やったぁ・・・!」

俯いていた彼女の顔がパッと明るくなり、まるで小さく飛び跳ねるかのように喜んでくれている。興奮のあまり、頬も紅潮してしまっている。こんなに喜んでくれるとは・・・。
感情豊かなところは、どこかクラフトに似ている気がする。そして、彼女の情熱が目に見えて伝わってくるところも。

クラフトが繋いだ未来のたすき。それを手に走り出そうとしている娘【こ】の背中を押してあげることが、僕のなすべきことだ。それがクラフトにとっても、目の前にいる彼女のためにも、その先に続く、将来のティアラウマ娘達のためにもなるはず。

トレーナーとして、彼女の熱意にしっかりと応えてあげなければ。

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夕方、放課後の静けさが残るグラウンド。彼女の自主トレーニングのメニューを眺めていた。

その間、あの娘は走り込みを繰り返していたが、そのメニューには過剰な部分があった。それが走りにも現れていて、かなり無理をしているように見える。タイムを縮めたい気持ちは分かるが、これでは逆効果だ。

息を切らせて戻ってきた彼女に、スポーツドリンクとタオルを手渡す。呼吸が整ったあたりを見計らい、ボードに記した課題や、今の彼女に必要なトレーニング内容を見せながら話し始めた。

『お疲れ様———。見ていて思ったけど、ちょっと走り込みが多すぎるかな。確かにスピードを鍛えることは必要だけれど、君の場合は十分すぎるほど鍛えられている。あとは末脚を鍛えるメニューをもう少し取り入れてみようか。』

彼女は急いでポケットからメモ帳を取り出し、真剣にメモを取りながら聞いてくれた。その真面目さに、僕もつい嬉しくなって、あれもこれもと言葉が出てくる。

『レース運びも重要だから、いろんなレースの映像を見て学ぶのもいいよ。それから、無理せずにローテーションを組んでトレーニングすることも大事だ。休憩もしっかり入れて、トレーニングをしない日を設けるといいよ。』

僕はフィードバックをしながら、ボードに書き込んだ内容を見せながら説明する。彼女は真剣に耳を傾け、メモ帳に一つ一つ書き写している。

ふいに、彼女の肩が僕にぴたりと触れた。
彼女が僕に肩を寄せ———体を押し付けるようにして、手元のボードを覗き込んでいる。

あまりの距離の近さに、一瞬、言葉が詰まった。彼女の大人びた横顔が、文字に視線を滑らす金色の瞳が、長いまつ毛が、独り言をつぶやく唇が、僕の目と鼻の先にある。

彼女は意識していないように見えるが、それにしたって、あまりにも距離が近い。クラフトも人懐っこい娘故か、距離が近いことはあったが、ここまでではなかった気がする。

教えてあげたほうがいいかな———とも思ったが、アドバイスの一つも漏らさない、という雰囲気で集中している彼女の姿を見て、僕は黙っていることにした。


「・・・・・ふふっ♡」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

『———うん、この調子で頑張っていけば、きっと良い結果が出るよ。君のデビューが楽しみだね。』

「! ありがとうございますっ!」

一通りメモを取り終えた彼女は、嬉しそうに頷いて、横目で僕の顔を見つめてくる。その視線には何か熱っぽいものが宿っている。きっと、これからのデビュー、そしてティアラ路線へ進んでいくことの熱意が現れているんだろう。

『頑張ってね。応援してるよ!』

「はい・・・・・♡」






そんな二人の背中を、物陰からじっと見つめる“レンズ”があった。“光軸”の先に、仲睦まじく話す男女の姿を捉えている。


そのウマ娘の瞳は、まるで深淵のように暗く冷たい。普段の明るく輝いていた彼女の瞳は、今や無表情に閉ざされ、暗闇を映している。彼———自身のトレーナーが、他のウマ娘にアドバイスを送っている姿を、瞳も表情も動さず、静かに見つめている。

カシャッ

レンズ越しに見える二人に向かって、彼女はもう一度シャッターを切る。そして、次に聞こえたのはシャッター音ではなく、ミシミシと何かが軋む音。

それらの音は、彼らには聞こえない。

彼女の顔は、ひたすら無表情のまま。だが、手に持ったカメラにかける力は増していき———

—————————ピシッ

フレームにヒビが入る。まるで彼女の怒りを、そのカメラが代弁しているかのように。

カシャッ

彼女は何も言わず、再びシャッターを切る。そして、力無く下げたその手には、ひび割れてしまった筐体に、暗闇を映すレンズが付いた、愛用のカメラが収められていた。