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〔#065〕 3.11に想う

あの震災から12年が経ちました。
2011年3月11日・・・
個人的に忘れることができない日となりました。

私はこの時、前職で札幌に勤務しており、道南方面の営業担当でした。
3.11の週は函館方面の出張。そしてこの日の午前10時、お客さまと商談する直前に上司から電話が入り、『福岡に異動だよ、新天地でもがんばれ』と一言。

その後は頭が真っ白になりながらも用件をこなし、今金町の取引先で14時から
会合。最初の演題がそろそろ終了しようとする14時46分、あの何とも言えない
揺れが起きた。幸い取引先の建物やご当地の建物、家屋などは被害はなかった
ことを確認して、余震に備えながらも安堵しているところに、テレビ画面に映る
あの津波の映像。誰も言葉を出せませんでした。

その後は担当している取引先への製品供給が物流の乱れもあって調整したり、
札幌と福岡の両拠点での引き継ぎと、自分のことで精一杯だったが、毎日刻々と
報道される被害状況みて、やりきれない思いでした。

福岡に異動後は、3.11が何か遠い世界の出来事のように感じました。
あれから5年経った2016年4月上旬、仙台への異動を命じられました。
仙台では営業活動に加えて、宮城県を中心とした沿岸部の復興支援、会社が主催
するボランティア活動にも携わりました。

2016年6月、初めて訪れた被災地は南三陸町。被災の傷跡が生々しく残っており、田畑には瓦礫、ゴミ、大きな石が埋もれていました。
以来、人海戦術でこれらを取り除く作業を何度も行いました。

     『東北の復興はまだまだ先のこと。

        こんな時にオリンピックしている場合かよ!』


2016年から約4年半、微力ながらも復興支援やボランティアに関わった私の本音
でした。
しかし、これらの仕事に携わるうちに、現地の人々と一緒に育てたサツマイモを収穫してバーベキューパーティーを行うなど、交流を深めることができました。
何ものに変えがたい貴重な経験をさせて頂いたことは、現地の皆様、会社、会社の仲間に感謝しかありません。

   『たくさんの方からいろんな支援を頂いて感謝しているが、
    人と人の交流が一番嬉しい、話を聞いてもらってありがたい』


バーベキューの時、現地の皆さまから異口同音にこのような言葉を頂き、涙が
堪えきれないくらいの感動を覚えました。
この時期に復興支援やボランティアで学んだとても大切なこと。

それは・・・

          『絆』

現地の皆さまに教えて頂いた『絆』を糧にこれからも歩みを続けていきます。
まだまだ伝えたいことがたくさんありますが、また別の機会にさせ頂きます。
お読み頂き、ありがとうございました。

       【震災遺構:旧南三陸町庁舎】

       【復興に関わった田圃】
        *現在はこの田圃で1等米が収穫されている。
        *震災時は奥に見える山林の高さまで津波が
         押し寄せた(約20m)

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