自殺を絶対にしないための処方箋(荒療治)

最近でいうと神田沙也加氏の死(おそらくは自殺と思われる)や三浦春馬氏の自殺など、有名人の自殺などがよくクローズアップされます。僕はこの件に関して、自殺や精神疾患という問題が単に増えてきたのではなく、潜在的にこの日本社会の中に蔓延していた心に関する問題が時代のトレンドの中でようやく注目を浴びるようになってきた現象だと考えます。つまり、自殺というものは誰しもが直面する可能性のある身近な問題であるということです。そこで今回は僕が精神疾患を患った中で行った自殺の防ぎ方についてお話ししたいと思います
別記事でも取り上げたように、僕は病状の中で死にたいというよりはむしろ死にたくない、死んでしまったらどうしようという恐怖に支配されました。だからこそ、自殺を防ぐ考え方を独自に編み出せたと思います。あくまで個人の体験に基づくものですので、専門家の治療などを受けている方はそちらを優先するようにしてください。
自殺を防ぐ考え方をまず端的に言ってしまうと「自殺は悪だ」と認識することです。身近でヒアリングを行った人の中に自殺に対する美学のようなものを独自に作り上げている人がいました。これは簡単に言うと自殺を肯定するというものです。美学とまでいかなくても、「自分みたいな迷惑な人間いなくなった方がいい」、「この苦しみから逃れたいから死にたい」など自ら命を絶つことに対し理由がついて肯定をしてしまっている方は一定数いらっしゃると思います。そこで僕が提唱するのは自殺をとりあえず悪とすることです。もう少し詳しくいうと、とにかく自殺というものは悪い行為なのだと思考停止で決めつけてしまうことです。
僕は普段、物事を考えるにあたって必ずその意義を詳しく考えることにしています。しかし、唯一思考を放棄して悪だと決めつけたものが自殺です。その理由は単純で死にたくないという本能的な欲求が僕の中にあったからです。自分の欲求に本能的に従うようにしました。ですが僕のような特殊なケースとは違い、普段から死にたいと考えている方々も多くいらっしゃることでしょう。そこで想像してほしいのですが、例えばものすごい速さで(当たると間違いなく死ぬくらいの速さです)いきなり車がこちらに突っ込んできたらどうするでしょうか。普段死にたいと考えている人でも、何も考える余裕もなくとりあえず必死で避けるでしょう。これはやはり生物としての本能で生きたいと刻まれているからです。どんなに理性で死にたいと考えていても、生きたいという本能が誰しもにあるはずなのです。その本能を発揮させてあげるために自殺は悪だと思考を停止させるのです。思考停止ができない人は何でもいいので悪と見なせそうな理由を考えてみてください。例えば、「自殺」とは「自らという人間を殺す」ということで、他人が対象になっていないだけの殺しなのだ。人を殺すなんてそもそも論外じゃないかなど。なんでもいいです。理由を考えてみるのもこの場合に限りアリです。
自分は無能でなんの役にも立たないと自殺を検討する方もいるでしょうが、この相互依存の社会で生きる限り誰かの役に立たないことはほぼあり得ません。例えば、会社で思うように仕事ができないという人でも全く仕事ができていないわけではないですし、もっと言うと貰ったお給料で何かを買えばそれは誰かの生活費となりその人が生きる糧になっています。まずは自殺は悪であると一旦決めつけてしまって踏みとどまり、そこから自分が生きていたら何ができるのかをゆっくり考えてみてはいかがでしょうか。


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