新たなる症状ー希死念慮ー
鬱病のせいで新たなる症状が出始めました。希死念慮です。一か月ほど前から出てはいたのですが一番厄介ですね。体が動かないのはまだいいのですが、希死念慮は本当に厄介。私のノートをご覧になっている方ならある程度知識はあるかもしれませんが、自殺というのは意気込んでやるよりも、突発的な衝動でやってしまう方が大半らしいですね。駅で電車を待っていたり、飲み会から帰って一人になったりしたときにふと、見えざる手に引っ張られるように自死を遂げてしまうことがあるようですね。この前知識と自己客観視の能力をあらかじめある程度トレーニングしている上に、周りの人に定期的に家に来てもらうなどの自殺防止包囲網を自分で張ってあるので、衝動が来た時も何とか冷静に対応できています。人によっては恒常的に希死念慮を抱えている方もいらっしゃるみたいですね。
しかしここで僕はある新しい発見をしました。以前のノートでも取り上げた死んでしまうのではないかという恐怖、そして今回の希死念慮、あくまで僕の体感でしかないのですが、とっても似ているのです。言語表現の限界上どのようにとは形容しがたいのですが、「ナニか辛い、恐ろしい、逃げねば」という感覚でしょうか。その点で非常に酷似した感覚なのです。少し違うといえば違うのですが、ほぼほぼ同じモノに感じました。
すごく奇妙な等式が僕の中で成立しつつあります。
死の恐怖=希死念慮
本当にわけがわからないかもしれませんが、僕の体感上これは間違いないと思っています。少し自分なりに研究をしてみます。
現段階ですが、これには言語表現と認知、社会における共通認識が深くかかわっているのであろうと思っております。
研究が進みましたら、また進展を報告させていただきます。