自己紹介(高校生編中編)

高校2年生に進級します。高校2年生では学業を人並みには頑張るようになります。1年の終わりにとった赤点のせいで、父親に殴られたことがきっかけです。この中で、父親や自分に赤点を突き付けた教師をぎゃふんといわせるべく徹底的に試験の勉強をしました。その結果、英語ではクラスでもトップレベルの点を取り、やればできるんだと少し安堵したのを覚えています。
部活でも同様でした。周囲を見返すべくギターの練習を必死に頑張りました。その結果、部活内でも上手いギタリストとしての地位を確立することができ、周りからも上手いと認めていただけました。これは人生の中でも大きな成功体験の一つです。この時、現在の自分のギタープレイスタイルである速弾きの原点ともいえる松本孝弘、そして自分の考え方の根幹を作ってくれた師、Hidenori講師を知ることとなります。この2人の話は別記事にて。
ようやく軌道に乗ったかに見える高校生活ですが、この時期に重大な事実が顕わになりました。自らの発達障害、ADHDについてです。物心ついた時からずっと、部屋やカバンの中が整理できない、計画が立てられない、書類の管理が全くできない、大事なものをなくす、先延ばしのタスクが多すぎる、衝動的に何かをしてしまうなど一見だらしないように見える自分に情けなさを感じていましたが、改善しようとしても、うまく言葉にはできませんが、なぜかできないのです。おかしいと思いネットサーフィンをしていたところ偶然この発達障害を知ったのですが、当時は向精神薬など絶対に飲みたくないと思っていたので、治療はせず放置していました。まあ、上手く向き合っていこうという感じでした。しかし、ある日ライブのリハがあるのに全く練習ができていない状態で行ったところ、同級生に怒られてしまい、そのことでショックを受けて翌日ベッドから動けなくなりました。心配した親は僕を診療内科へ連れて行ってくれ、そこからしばらくしてコンサータの服用が始まりました。しかし、コンサータを服用しても対して効果は感じられず、結局すぐに投薬は中止、自分で認知行動療法的に対処しようとするようになり、崖っぷちではありましたが何とか生活は送れるようになりました。
自身を取り戻していったこともあり、周囲の人間とは良好な関係も徐々に築けるようになっていきました。
そんなこんなで自分と向き合う1年を過ごし、僕は高校3年生へと進級します。
高校編後編へ続く

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