新年あけましておめでとうございます。うだうだ書く。

遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。年が明けてから晴天が続いており非常に心地よいですね。大晦日あたりから一昨日くらいまでは非常に好調な日が続いておりましたが、つい今日、久々に強めの希死念慮に襲われたのでなんとなくここに逃げ帰ってきた次第であります。毎度のように明確な理由がありません。まあただの症状の波でしょうが。(だとするとかなりいい方向には向かっているので、そう信じたい)
以前に話しておりました希死念慮=死の恐怖のお話ですが、少しそれのヒントとなるような解釈が自分の中にできてきたので、お伝えしようかと思います。やはり人間の言語というものが深く絡んでいます。かなり抽象的でわかりにくい話ですので、伝わる人には伝わると幸いです。人間は思考する時、その思考を言語にして行うことが多いです。考え事をしているとき、頭の中でひとりごとを言っている人は大勢いらっしゃると思います。しかし、人間が自我によって観測したものは正確に既存の言語では表現しきれないことが往々にしてあります。(哲学者ウィトゲンシュタインはすべての事物を完全に説明できる完全言語なるものを想定したらしいですね)
身近な例が思い浮かばないのですが、自分にしかわからない感覚を皆様お持ちじゃありませんか。僕が聴いたことがある例で行くと、いい音楽を聴くと、耳の奥が吸い込まれそうな感覚になるという人がいました。言語能力が非常に高い人が言っていたことですのでほぼ間違いないと思います。勿論僕にはさっぱりわかりませんでしたが、その言葉が近似的に表現しうる何かしらの感覚が少なくともその人中には存在していたのでしょう。このように自分の中の意識の動きとして感知したものを言語として正確にかつ他人にも共有できるよう表現するのは難しいことです。このことを念頭に置くと少しさっきの説明が進みます。鬱状態や、辛いことがあったときに流れるもうどうしようもないという意識の中の感覚を人間が表現しようとするとき、それに最も近似できるのが「死にたい」という言葉なのではないでしょうか。(僕の場合はそれをたまたま死の恐怖と表現したと考えられます)ウェルテル効果というものはご存じでしょうか。自殺のニュースなどが流れると後追い自殺が増えたりする効果です。これに近く、多くの人が追い詰められたツライ感覚を「死にたい」と表現するから、その刷り込みによって、同じ状況になった人々も死を望む発言をするようになる。これが希死念慮のメカニズムな気がするのです。SNSなどで個人の発言が多く目に入ってしまう現代だとその効果は絶大と思われます。もっと言うと、そして自分は死にたいのだと自己暗示をかけてしまって自ら命を絶つという結果につながるのではないか。そう推測しました。
以上、非常に暗い話ですね。ごめんなさい。
少し明るい話を書こうかと思います。やっと情報解禁デス!
4月にライブイベントを開催しようとしています。詳細はまだ出せませんが。。。コネもほぼなく一から自分で何かをやってみるというのは非常に肩肘が張るものですね。僕は頑張ることは好きなので、久々に新鮮な気持ちと適度な緊張を味わえています。上手くいくかなと不安に思うのもこの限りにおいてはスパイスに感じられます。やっと人生にハリが出てきた気がします。それではまた。


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