超訳・武士道③〜【義】生きる道・自分の答え〜
さて、ここからは武士道の七つの徳の話。
そしてその七徳のなかでも一番大切な「義」の話です。
では、超訳スタート!!
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武士道では大切にしている7つの徳があります。
「義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義」です。
その中でも武士道で一番大切だと思われる【義】の話をしていきましょう。
武士は卑劣だったり、曲がっている事を嫌います。ズルする人が嫌いで、フェアプレイを大切にします。
だからこそ【義】が非常に重要とされました。
では【義】とは何か?というと、【人としての正しさ】【道理】のことです。
では【正しさ】や【道理】とは何でしょうか?
それは実は個々人や、状況によっても異なるのかもしれません。
しかし【義】に対してある一定の解を導いた先人たちがいるので、参考に見ていきましょう。
林子平は【義】を「決断力」であると定義付けました。
「どれが人としての道理に沿っているのか?その判断をし、決断する力。それが義である」と。
「死すべき場合に死し、討つべき場合に討つことなり」と。
(↑こちらのフレーズめっちゃ武士道っぽいですね!ふんわり意訳して、現代に当てはめやすくすると
「自分の解を自分で見つけよう。たくさんの選択肢があるし、周りの人から批判されることもあるけど、これが私の解であると思ったものを潔く解だと決めよう。
やる時はやる。やらない時はやらないでいいのです。それはケースバイケースです。そしてそれを決めていく力が義です。」
ちなみに林子平(しへい)さんとは江戸時代のすごい頭いいひと。)
また真木和泉(幕末の志士)は
「【義】とは身体でいう骨のようなものだ。骨があるからこそ、首が正しい場所に立つ。手や足を動かすことが出来る。
どんな立派な才能や知能があったとしても、【義】という骨がないことには世に立つことは出来ない。」と【義】について語りました。
さらに中国の孟子は「仁は人の心なり。義は人の路なり。」と言いました。
【義】とは、キリスト教でいうところの「失われた楽園」を回復するために歩むべき狭き道であると、孟子は言っているのだと私は思っています。
そして、【義】と似た言葉ですが、全く違う意味で【義理】という言葉があります。
【義理】とは世間体を気にして
「やった方がいいんだろうなぁ」
「やらなきゃいけないなぁ」と感じるから、やっていること。
依怙贔屓(えこひいき)してもらうために目上の人を敬ったり、本当はやりたくないけれど、やった方が良いからなぁと親孝行したり…
そういうものを指します。
また目下の人が目上の人の犠牲になる妥当的な理由として【義理】が使われたりもします。
【義理】は純粋な愛ではなく、重たい義務感が動機になっている。
つまり「やった方がいいので」という理由でやっている【義】のようなもの(しかしその中身はまったくもって【義】とは異なる)が【義理】であり、気をつけなくては【義】の顔をした【義理】に陥ってしまうんですよね…
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こちらが武士道の【義】の章のThamba解釈の超訳です。
【義】って武士道では一番大切な徳なのですが、新渡戸さんははっきりと定義付けしませんでした。
その代わりにこうやって捉えた人がいるよ〜という具体例と
「こんな【義】は【義理】だ」っていう
「誤解されがちあるある」を提示することで読者さんに【義】を説明してくださった。
【義】とは私たちの生きる道、私たちの人生の解であり、それは私たち一人一人が導き出していくものなのだと思いました。
そして「義とは?」ということさえも、私たちが導いていく必要があります。
超訳・武士道④につづく