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蕎麦変人おかもとさん #8

第八話 蕎麦屋と共に「三たて」総本山詣で

(第七話 大阪から新幹線に乗って京都まで黒姫を食べに行く)

 一九九七年、三月上旬。我々はついに黒姫を総本山とした長野の蕎麦屋詣でへ向かうことになった。

 朝五時、僕の車で岡本さんと共に京都亀岡の『拓朗亭』に集合。そこからは前川さんのワンボックスカーで出かける。

 車は名神高速道路に入り、小牧ジャンクションから中央自動車道へと入る。快調に進んでやがて上信越エリアへ。この辺りから広大な田園、遠くには雄大な南アルプスこと赤石山脈など信州らしいダイナミックで美しい風景が広がる。

 いつのまにか高速道路を降り、黒姫高原の標識を頼りに緑の中を走りしばらくすると、一軒のペンション風の建物と曲がりくねった山道への入り口にぶつかった。亀岡を出て六時間ほどが経っている。

 ここが『拓朗亭』に貼ってあった鶯色のそばの張本人『ふじおか』だ。

 が、駐車スペースにはすでに車がびっしりと停まっている。関東、関西、東海各地域ナンバーの車が大集合だ。前川さんが建物の入り口へ目をやる。

「おぉ、すでにぎょうさん待ってはりますわ。さすが」

 時刻は午前十一時過ぎになっていた。二部制となっていて、前半は十一時半から始まるが、大勢のお客が既に待っているため、我々はおのずと後半の部に。というわけで前川さんは車の中で休憩し、岡本さんと僕はしばらく周辺を散策しながら待つことにする。

「河村さん、ついに『ふじおか』さんに来れましたね、楽しみです。ここは全国の「三たて」系蕎麦屋たちの総本山。中には東京の老舗の職人がこっそりとやってくることもあるそうです」

「それはすごい。老舗の職人も目指す店なんですね。あぁはよ食べたい」

「あ、そうそう、実は今日『じん六』さんも来たがってたんですよ。柴田書店の本そばうどんに出てたのをご覧なられていたようです。ほか群馬の『せきざわ』へも行ってみたいとすごく興味を持たれてました。蕎麦屋って本当に勉強熱心ですね」

「確かに。でも何よりもまずは、岡本さんが蕎麦屋でもないのにそこまで勉強熱心でびびります。将来蕎麦屋になるわけでもないのに。蕎麦好きにもほどがある」

「ふふふふ、そういう河村さんだって、こうして総本山まで来たじゃないですか。僕はね、蕎麦も好きなんですけど、やっぱり蕎麦屋さんが変な人ばっかりなのが面白くて。前川さんだって見てください。今日もあの青い作務衣姿です。さっき車の中でもおっしゃってましたよね。志摩観光ホテルへ食事に行く時も、床屋も本屋も、水族館や遊園地へも全て作務衣。あの格好でジェットコースターにも乗るって言うんだから面白すぎます。柏木さんだって毎回釜の湯を吹きこぼすし。みなさんちょっと変わってる」

「確かに。柏木さんの口癖が、いけねぇ、ですもんね。多い日は一時間に十回くらい言ってる。それほどミスばかりしてるのに格好いいから不思議です」

「ところで藤岡さんは三重県松阪市からわざわざ転居されたそうですね。あ、そうだ、子供さん元気ですか」

 僕の嫁さんは松阪出身。昨年七月に松阪の病院でせがれが生まれ、そのまま実家にお世話になっているので、僕はたまに顔を出していたのだった。

「ええ、おかげさまで母子ともにめちゃ元気です。ほんま子供の顔を見るとどんなつらいことでも吹き飛ぶもんですね。それにしても藤岡さん、なんで転居したんかな。松阪も広大な田園があちこちにありますよ。ソバ栽培はやっぱりこっちのほうがいいということでしょうか」

「そりゃそうでしょう。昔から長野は蕎麦の名産地ですから。きっと気候や受け継がれている知識なんかがあるんじゃないですか。あと地の利は絶対ありますよね。松阪と言えば霜降り牛肉の町。そんな感じで長野は蕎麦。だから全国から蕎麦好きが集まってくる。その分、古くからの蕎麦農家も大勢いるでしょうし。藤岡さんもその環境に惚れたんじゃないですか」

 車のほうへ戻ってくると前川さんがカーナビとにらめっこしているので、どうしたのかと岡本さんが尋ねる。この時代、カーナビはまだまだ普及しておらず、仮にあったとしても性能は今と比較にならないほど低かった。まだまだ紙の地図が手放せない時代だ。

「ええ、この後に行こうとしている『うずら家』という店へはどう行けばいいのか道を探しているところなんですよ。黒姫山の向こう側なんですが、ほら、地図ではこの道で行けそうなんやけど、カーナビには出てけーへんのですわ。新しい道なんかな。いや、それはないなぁ。地図を頼りに行くしかないか」

 前川さんの地図をすかさず岡本さんが見開く。

「『うずら屋』と言えば戸隠にある蕎麦屋さんですよね」

「そうです。戸隠神社の前に店があるそうなんですよ」

「あ、ありましたよ戸隠神社。こちらは有名な神社ですよ。もしなんだったら僕がナビしますんで」

 さすが人間コンピューター岡本さんだ。そうこうしているうちに我々が入店できる時間となった。いよいよ本殿の中に入る。

 店内は広々としており、大きな窓ガラスから入る採光と緑一色の景色が気持ちいい。前川さんが『ふじおか』店主の藤岡優也さんを紹介してくださる。想像していた感じとはずいぶんと違い、ごく普通の穏やかそうな感じの方であった。

 お客がどんどんと入ってくる。挨拶をほどほどにすませ、前川さんが注文してくれた。

 しばらくして、まず出てきたのは噂の野菜の盛合せ。たかが野菜ではあるが、どれも地産とのことで、ついひとつひとつをじっくりと味わう。

 次にそばがき。なんとそばがきまで『拓朗亭』にあった写真の蕎麦のように鶯色だ。さすがの香りの高さである。上にはおろした山葵が載っている。きめ細かくて、お餅のような肌触り。前川さんは一口だけ。あとは岡本さんと僕とで何もつけずに全部食べてしまう。

 そして、ついに蕎麦が登場。テーブルに置かれた瞬間、ボーンと何かが弾けるように濃厚な香りが漂ってくるではないか。なんと、写真でみたまんまの鶯色である。麺も細く長く、艶やか。顔を近づけてみると、ぷちぷちとフレッシュな蕎麦の香りが顔面に当たる。

 まずはそのままたぐう。香りと全く同じ味がする。やっぱり枝豆のような青々としつつボディのある味わいだ。二口目、三口目も、香りと味共に鮮烈である。

 徳利に入った汁を猪口に入れ、今度は汁をつけて。長野は濃厚辛口と聞いていたが、これが想像に反して実にあっさり。口の中で蕎麦の風味が生き残ったままだ。薬味は山葵のみ。最後は山葵と共に平らげた。

 その後、蕎麦湯と漬物の盛合せが来た。蕎麦湯を猪口に注いでみると、まさに『拓朗亭』と同様、重湯のような白くて濃いものだった。漬物もまた地産の野菜で漬けているという。

 あと追加でそばぜんざいも注文。ぜんざいと言っても汁気はなく、蕎麦の団子の上に濃い餡子がたっぷりと載ったものである。

 ここでようやく店内にクラシックが流れていたことに気づく。テーブルは実にゆったりで二〇席しかない。ほかのお客も満足げな表情をしている。

 すべてが長野の自然の味劇場であった。

 店が一段落した頃に、藤岡さんがテーブルまでやってきて、前川さんとあれこれと蕎麦談義に。毎朝その日の分だけを製粉しているが、昼を回るともう色が落ちていくとか。お付き合いされてる農家が近所にいらっしゃるとか。玄ソバの管理方法とか。本当は薬味はなくてもいいとか。

 そして製粉室の中も見せてもらう。この時の僕はまだまだ製粉技術のことは勉強不足で、もっていたニコン一眼レフで写真を撮るので必死。前川さんは深い話をしつつ、何度も頷く。隣で岡本さんも。

 店は午後三時まで。いい時間になったのでそろそろ失礼することに。藤岡さんに挨拶をして、我々は再び車に乗り込み、次の目的地『うずら家』へ向かった。こちらは夕方四時半までの営業だ。

「お二人ともお腹は大丈夫ですか。岡本さんは聞くまでもないか。こないだうちに来られた時、ざる重を食べた後、御前さらしな(白い蕎麦)食べて、その後我々と一緒にまかないの鍋も食べてましたね。すごすぎや~」

「岡本さん、大暴れしてますやん。こないだ柏木さんも言うてましたよ。岡もっちゃんが来るって言うから、近所の店からご飯お借りしてきたんだよって。そんな醤油みたいな話、普通はないですよ」

「岡本さんて今年、あ、そう、三三歳。そろそろ食欲が落ちる頃なんやけどなぁ。ほんまよう食べはりますね。作るこちらとしては嬉しいけんど」

「実は先日も『じん六』さんで蕎麦七枚食べてきまして。だって、全部違う産地だから。あの方、産地ごとに挽き打ちゆがき、全部分けしてしまうんですよ、もう全部香りも味も違うもんだから、そんなの食べるしかないじゃないですか。さすがに帰りは腹パンパンでしたけど」

「なんじゃそりゃ、わっはっはっはっはっ。『じん六』もさぞ嬉しかったでしょう」

「蕎麦変人過ぎる岡本さん」

『ふじおか』を後にして四五分ほどすると戸隠神社が出てきた。そのすぐ目の前が目的地である。一五台ほどもおける広い駐車場に車を停めた。まもなく店が終了する時間だというのに、客の姿があちこちに見える。

 入口には蕎麦と書かれた大きな暖簾。上には「生蕎麦」の変体仮名が。店の裏側には立派な木々が構え、これぞイメージ通りの蕎麦屋、という趣である。

 戸隠は『實徳』のぼっち盛りの本場だ。さっそく蕎麦がでてきた。瑞々しくてキラキラと輝いている。手前からそのまま何もつけずに口に入れると、これが実に冷たい。つるつるっと喉越しもよく、ほのかに甘みが伝わってきた。汁は鰹節のきいたしっかりとした濃口である。

 前川さんは食べずに、先から『うずら家』の店主とずっと立ち話をしている。その会話を横に聞きながら、僕と岡本さんは蕎麦にがっつく。蕎麦は二八。打ち方は主流の三本打ち(江戸流)ではなく、昔ながらの一本打ちだそうだ。ゆがくのも冷やすのも戸隠山の湧き水を使っているという。原料は戸隠産の霧下ソバと呼ばれるもので、氷点下二〇度ほどの冷凍保管されたものだとか。

 食べ終わった後、前川さんからあらためて話を伺う。

「霧下ソバというのは、霧の下と書くんですけど、標高が五〇〇メートルから七〇〇メートルくらいの高原地帯で、一日の寒暖差があって、朝霧に包まれる場所で栽培した蕎麦のことなんですよ。ただし、蕎麦は霜には弱い。せやから、霜が降りる前、長野やと一〇月上旬までに収穫せなあかんということになります。この辺り、たぶん黒姫もそうやろうし、新潟や岐阜あたりもそうでしょう。そうやって育った蕎麦は香りも味もぐっとよくなると言われてるんです」

 やはり蕎麦の味には、気候風土が大きく影響しているようだ。

 この後、我々は車で約二時間をかけて浅間温泉にある『そば打ち楽座』という店へ立ち寄る。こちらは夜の七時まで。いろいろつまみもあって、地酒も取り揃えていた。蕎麦は二八。いわば江戸風の飲める蕎麦屋という感じである。一言に蕎麦銀座の長野といっても、いろんなスタイルの蕎麦と店があるということがよく分かった。

 帰路につき、夜の中央自動車道を走りながら、蕎麦談義に花が咲く。

「いやぁ今日は本当に大満足です。前川さんありがとうございました。やっぱり長野県は広いし蕎麦屋が多いし、どこもおいしそうですね。片っ端から食べ歩いてみたいです」

「岡本さんみたいな人にとっては忙しいところですね。でも、長野だからと言って本場とも限らないんですよ。日本にある原料のうち国内産は二割とも言われています(当時)。長野の蕎麦屋のすべてが地元の蕎麦を使っているかというと、それはありえない。製粉所が何軒かありまして、実際に僕が知るところでも殆どは北海道産の蕎麦です。国内産というだけでもかなりいい方で、実際には海外産の蕎麦が多く取引されています。誰でも蕎麦の本場という限りは地産であって欲しいものですけど、その真偽のほどはよくわかりませんね」

「海外産の蕎麦はそんなにレベルが低いっちゅうことですか」

「だと思いますね。まず農産物としてのクォリティの問題。そりゃロシアやフランスなど蕎麦を食べると言っても日本のように麺にしたものじゃないし、そこまで香りや味を繊細に感じているとは思えへんでしょ。日本人の素材そのものに賭ける思いやこだわりは相当なもんやと思いますよ。

 あとは保管状態とその時間ですね。ただ保管と一言で言っても温度や湿度、袋の材質など細かくあってそう簡単じゃない。海外の倉庫や船がそれをやってるとは思えません。それに日本に入ってきたところで製粉所で一気にロール製粉してしまうわけで。熱で香りも味も飛んでしまうから」

「ふぅむ、なるほど。ならば国内産でも同じことが言えるわけですね。農家のクォリティ、保管方法、製粉方法。そうか、先ほど前川さんと『うずら家』のご主人が話されていた霧下ソバもそういうことなんですね」と岡本さん。

「そうです。気候や風土はもちろん、その農家のかかわり方、それに品種もいろいろあるんですよ。改良され続けた品種とか、そこで代々続いている在来種とか。蕎麦の実の大きさや色も全然違うと思います。そこに加えて日本は土地の広さに限界がある。いくら長野と言っても店一軒がまかなっていけるだけの収量があるのかどうか。『ふじおか』はあれだけのクォリティの蕎麦を確保できている、という意味でもすごいんです。地産のおいしい蕎麦を出すというのは至難の業やと思います」

「となると自家栽培をやり続ける群馬高崎の『せきざわ』が気になるところですね。柴田書店の専門誌そばうどんにも載ってましたけど」

「そうなんですよ。ほな次は北関東ツアー行きますか。あっちの方にも気になっている蕎麦屋が何軒かあるんですよね」

「いいですね、ぜひぜひ」

 僕は蕎麦が持つと言われる精神安定作用と食べ過ぎで、半分白目になりながら二人の話を聞いていた。蕎麦でお腹いっぱい幸せいっぱいなのに、もう次の蕎麦ツアーの話をしているこの人たちはやっぱり普通じゃない、と思いつつ。

 こうして信州遠征は無事に終えた。

「第九話 京都蕎麦維新の会」


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