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口癖 byはくや
その男はいつも、二言目にはこう言った。
「まあ、仕方ないですね」
親に勧められて受けた中学受験に落ちた時も、慰める担任の先生に
「まあ、仕方ないですね」
とだけ言った。
高校の選択授業で希望したものが人数調整で受けられなかったときもそう言ったし、
初めて好きになった1つ下の部活の後輩に告白して断られた時もそう言った。
「まあ、仕方ないですね」
大学受験で志望した大学の判定がEだった時も、志望変更した大学も結局落ちてしまった時も、
彼は同じ台詞を言うのみだった。
もっといえば日常の全てがそんな調子で、「はい・いいえ」以外の返答を必要とするときは大抵こんなことになった。
コンビニのレジで。
「お弁当あたためますか?」
「はい」
「袋はお持ちですか?」
「はい」
「今キャンペーン中でこのペットボトルをお弁当と合わせてお買い上げいただきますと50円引きになりますがいかがですか?」
「まあ、仕方ないですね」
「ご購入されますか?」
「まあ、仕方ないですね」
「そう…ですか。では、ご一緒に会計しまして50円引きになりまして、550円になります」
「はい」
付き合っていた彼女から妊娠を告げられた時も。
「ねぇ、赤ちゃんできたって。まだ結婚は先かなと思ってたけど、私産みたい」
「まあ、仕方ないね」
「仕方ないってなによ!相変わらずハッキリしない人ね。産んでいいよね?」
「まあ、仕方ないね」
「もう!あなたの子供なのよ!父親になるんだからもうちょっとしっかりしてよね。
じゃあ結婚しますって両方の親に報告しなきゃ。子供のこともね」
「まあ、仕方ないね…」
一時が万事こんな調子だったが、結婚して子供が産まれ、彼は父親になった。
テキパキとよく働く妻が甲斐甲斐しく家事育児をし、彼は不器用ながらも共に家事育児をしながら、共働きでつつましく暮らしていた。
小さな我が子が一生懸命に成長していく姿は新鮮だった。
まだ世の中を知らない無防備な我が子を、彼なりに支えていきたいと思うのだった。
ある日彼は封筒を手に病院を訪れていた。
毎年恒例で彼の元に届く職場の健康診断結果が入った封筒だったが、
その時は初めて『判定結果E、要精密検査』と書かれていた。
2時間後、電話で呼び出された妻と並んで診察室の椅子に座り、目の前の医師からこう告げられた。
「残念ですが、膵臓癌の末期ですね。余命3ヶ月です」
医師は、
「末期とはいえ、出来ることはあります」
そう前置きして、治療方針の説明を始めようとした。
青白い顔で小刻みに震える妻の横で、彼は落ち着いた顔で言った。
「まあ、仕方ないですね」
医師と妻が何か言っていたが、彼の口からは
「まあ、仕方ないですね」
という言葉しか出なかった。
繰り返しそう言う彼を見て、
医師は治療を諦め、
妻は言葉にならない叫びで身を震わせ、
流れる涙を拭うこともなく床に崩れ落ちた。
それから4ヶ月が経ち、彼はベッドの上で静かに終わりの時を待っていた。
医師が告げた余命は過ぎたが、もうあと僅かだと彼にはわかっていた。
毎日少しずつ昔のことが浮かんでは消えていく。
初めは断片的だったその記憶は、
今では映画を見るように流れていた。
これは走馬灯だろう、そう彼は思った。
あとわずかな力で、
まだ5歳になったばかりの大切な我が子に、
何かを伝えたいという想いが湧いた。
何か、とても大切なこと。
そう、自分も7歳くらいの頃に父から教えられたはず。
今は亡き父が、自分に遺してくれたあの言葉。それを我が子にも伝えなくては。
彼はこの1か月、ずっとその言葉を探していた。我が子に遺す言葉を。
その数日後の雨上がりの朝、
まだ空気がひんやりして、
木々の葉から光り輝く雨粒が大きな雫となって落ちる頃。
彼は静かに息を引き取った。
傍には少し痩せた様子の妻と、
おとうさん!おとうさん!と呼ぶ子供がいた。
子供の手には、彼が最後に書き残したメモが握られていた。
「自分の気持ちを大事に、その気持ちを言葉にして生きろ」
最後の走馬灯の中で、彼の父親が幼い彼に話しかける。
「いいか、答えに困った時や、何かを選ばなくてはいけないときに、なんとなく上手くいく魔法の言葉を教えてやるよ…」