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広くいろんな事に興味を持った方が良いのか

物品や、食品がお店で販売されるように、「物事への興味」というものも販売されていたら良いのにと思う。

私は昔から興味関心の対象の範囲が狭い人間であった。

自分の好きな事には熱中して取り組むのであるが、そうでない事にはほとんど興味が向かない。これは社会に出た後に、特にサラリーマンをやっていると致命傷だなと思う。

大学の時に、多少仲の良かった同じ学部の男性がいた。非常に社交的で、弁舌も冴え渡っており、世渡りのうまさも垣間見せていた。集団で議論するような時にも臆する事なく議論が出来るような人であった。

その男性が、なんだか勝ち誇ったように、「広くいろんな事に興味を持った方が良いよ」と言ってきた。

ふうむ。確かに彼の言うこともは一理も二理もあったかもしれない。その後、彼は就職氷河期であったにも関わらず、日系の超有名企業に就職していった。

そうなのだ。日本の社会で生き抜くのはああ言う人が持て囃されるんだよなと改めて思った。別に、彼は無理をして世の中の森羅万象に興味を持っている訳であるまい。自然と興味を持てる性格なんだろう。

でも、この興味を持つ、持たないと言う話であるが、これは何事にも根本的な部分を突いていると思う。

他人に興味を持つと言うこともそうだ。人に好かれたかったら、他人に興味を持って、他人の話を聞くことが大切だと多くの本に書かれていたりする。

世の中の多くの人が自分の話ばかりしようとして、他人の話は聞かないから、だからこそ聞き上手は好かれるのだとそんな風にも説明される。

その人間の心理を学んだ後に、例えば、婦女子と同衾をしたいと言う野心を持った男性が、どこぞの婦女子が喋る話を、さも興味のあるかのように頷き、感心して興味を持ったフリをして聞いてあげて、優男を演じた挙句、所期の目的を達成するといったことは、世の中には割とよくあることだろう。

他人やら、物事に興味を持つことにはどうも欺瞞が見え隠れするナアと言うのが、私の偽らざる見方である。

それでもやはり、興味を持たれた側は嬉しいのも世の中の常である。

そうして私はずっと営業マンという仕事をやってきた。よくもまあ、これだけ世の中の森羅万象に興味がなく、他人にも関心がなく、それでいて、よくこの職業で飯を食ってきたものだと自分でも感心してしまう。

それから思うのは、興味を持たれる側は楽だと言うことだ。営業マンとして、興味の無い相手に興味付けをして、どうにかこうにか商品を買ってもらうみたいなプロセスというのは、別に美しくもなんとも無い。

そのセールスのプロセスを見ていくと、なるほど、ああ、物事や他人に興味を持つということを捨て去ってしまうと、途端にモノは売れなくなるだろうなと思う。

生きるために、飯を食うために、否が応でも興味を持たないといけない訳である。

クジャクの求愛行動も、オスがメスを引きつけるためと聞くが、あれも興味付けの一つであろう。動物が生き残るには、興味というものからは逃れられないらしい。クジャクもご苦労さんな事ではないか。

そうは言っても、人間であるから、「何にも興味が湧かない」とか、「つまらない仕事ばかり」という思考の自由だけは持っておきたいものである。



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