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"The" recipe

 日本でもよく知られているアメリカ料理のうち南部にルーツを持つもののひとつにフライドチキンがある。日本でも人気のケンタッキーフライドチキンはその名の通り南部ケンタッキー州発祥だ。プランテーションで奴隷として働かされたアフリカン・アメリカンの人びとが、奴隷主が捨てた骨の多い手羽先の部分を揚げて食べていたのがフライドチキンの始まりだということは、上原善広さんの『被差別の食卓』で教わった。いまでは人種や階級に関わらず広く食べられている。初めて行く街のオススメ飲食店を検索すると、フライドチキン屋が目に入ることも多い。Gus's World Famous Fried Chieckenはその一つだ。南部を中心に展開する人気のチェーン店で、メンフィス店を訪れた際には満員で1時間ほど待たされた。
 先日バーミンガム店を訪れた。注文したのはチキン2種類に豆の煮物とコールスローのセット。パンも一枚ついてくる。チキンは表面がカリッとしていて食感が良く、辛味が効いた味付けもやみつきになる。

Gus's World Famous Fried Chickenバーミンガム店で注文したセット。6.5ドル

 油のついた指を拭こうと紙ナプキン入れに手を伸ばすと、店の沿革を説明する文章が目に入った。このチェーン店の起こりは、1953年にナポレオン・”Nα"・ヴァンダービルトとマギー・バナーがテネシー州メイソンに開いた居酒屋にあるという。夜には音楽を流したこの酒場は、昼にはサンドウィッチを売っていたそうだ。そのサンドウィッチにフライドチキンをはさんだのが、Gus's world famous fried chickenの元の形だった。説明書きはさらにフライドチキンのレシピ開発に話を進める。

Napoleon was experimenting with fried chicken in his sandwich shop. Once he found what he believed to be "the" recipe, he started selling a "fried chicken sandwich".(ナポレオンはこのサンドウィッチ屋でフライドチキンの試作を重ねた。ついにこれだと思えるレシピを見つけると、「フライドチキンサンドウィッチ」を売りはじめた。)

レシピ発明に至るまでのナポレオンさんの努力を伝える文だが、ここで注目したいのは冠詞の使い方だ。一目見て、冠詞の勉強にぴったりの例文だと思った。recipeの前には定冠詞theがつき、さらにダブルクォーテーションマークで強調されている。また、"fried chicken sandwich"の前には不定冠詞aがつけられている。それぞれなぜ、その冠詞が使われているのか見てみたい。
 冠詞の使い分けもまた、英語学習の鬼門の一つだ。ここでは可算名詞の単数形に限って定冠詞theと不定冠詞a/anの使い分けのエッセンスを確認しよう。どちらを使うかは話し手/書き手と聞き手/読み手の間に共通了解が成り立つかによる。成り立つ場合は定冠詞、そうでなければ不定冠詞だ。
 ではなぜrecipeの前にはtheがつくのだろう。この店に初めて訪れる人もいるし、そもそも客はレシピなど知らないのだから、書き手と読み手の間に共通の了解が成り立つとは思えない。それでもこのrecipeが"the" recipeと言われるのは、これが唯一のものであるというメッセージを伝えるためだ。つまり、ナポレオンにとって、これが決定版、唯一納得のいくレシピだということを表している。この短いありふれた単語に多くの情報量が詰まっている。
 では、a "fried chicken sandwich"はどうだろう。アメリカ中には数多くのフライドチキンサンドウィッチがある。Gus'sのものはその一つにすぎない。同種のものが多数あり、そのうちのひとつだから両通了解は成り立たず、したがってtheではなくaなのだ。でももし、あなたがこれこそ自分が一番気にいるフライドチキンサンドウィッチだと思えば、I found "the" fried chicken sandwich at Gus's!(Gus'sでわたしにとって決定版になるフライドチキンサンドウィッチを見つけました!)と言えるだろう。


 

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