ALUMNI STORY 企業顧問/アドバイザー 鈴木 順子(法学部卒) さん
自己紹介:人事組織開発・経営・エネルギー事業開発等と幅広い経験を重ねる
※こちらの収録は2023年2月に行われたものです
鈴木順子(すずきなおこ)です。学生さんに向けて、ということで、私のキャリア変遷を物語的にお話をさせていただこうと思っています。出身は福島県、高村光太郎の書いた智恵子抄の中に出てくる安達太良山がよく見える、郡山市内でも思いっきり田舎の育ちです。
大学入学前:福島県の女子高から東北大学へ進学
現在の安積黎明高校(在学当時は安積女子高校)から、東北大学の法学部に進学しました。
実は、東北大学にすごく行きたかったというとそうでもなく(笑)、当時バブル期の“女子大生ブーム“時代で、テレビ番組で東京では派手な女子大生が踊ったり、アッシーとか言っている姿をみて、あんなところに行ったら自分を見失ってしまうんじゃないかと、、、、それで、東北大学を選びました。
大学入学後:学生運動の名残の中で過ごした大学生活
消去法とはいえ、女子校から男女共学の大学に進学だし、私にとっては仙台も都会だということで、キャンパスライフに夢を抱いてウキウキと初めて川内キャンパスに足を踏み入れた時のがっかり感、、、、!川内キャンパスの校舎の壁に、ドクロのマークと「有朋寮暖房死守」とデカデカと書いてあって汚い、「あれ?私ってここで青春過ごすの!?」みたいな、間違ったか!?みたいな、、、。最初の衝撃はものすごかったです、今の綺麗なキャンパスとは比べ物になりません、、、。でも、今でも長く付き合っている良い友達にも恵まれたし、何よりも自分らしくのびのびと過ごせて、今となっては、非常に良い選択をしたと自信をもって言えます。
就職活動時:ジェンダーギャップを感じながら、がむしゃらに動いた就活
ここから就職の話になってくるのですが、漠然と海外志向みたいなのがありました。田舎に住んでいましたが、父が海外の留学生をホームステイで受け入れたりしていて、広い世界を見たいという思いが育まれて、就職活動の結果、新卒で三菱商事に入りました。
就職活動の話になりますが、今でも女子の方々は大変なところもあるとは思いますが、当時インターネットがまだなかったので、情報ソースが限られています。ある日、同期の男子学生の家で飲み会があって、そこで、埃被っている分厚い本を見つけて、なんだろうと思ったら、リクルートとマイナビから送られてきた企業情報でした。驚きました、女子には送られてなかったんですよね。いらないっていうからもらって、そこから、焦って就職活動を始めました。商社が第一志望だったから、片っ端から電話したんですけど、面接をやっているくせに「面接なんかやっていません」と言われるんです。色々エピソードをスライドに記載しましたが、ジェンダーギャップというのを生まれて初めて身をもって経験しました。
学生さんへのメッセージとして、ここで学んだことを振り返ると、「悩むより動く」です。 当時はバブル崩壊後の就職氷河期でしたし、もうどうにもならないかと思う時もありましたが、結果として、三菱商事に入社ができました。今、人事の仕事をやっておりますが、当時の私の諦めない姿勢、熱意と行動力を評価していただけ、結果として、当時の三菱商事の女性総合職は東大・京大出身者ばかりでしたが、東北大学から初めての女性総合職という形で採用して頂けたのだろうと思います。
現在の仕事内容:三菱商事から外資、そして社長、CHROを経る
今の三菱商事さんは総合職120名前後採用すると、約3割ぐらいの女子を採用していると思いますが、当時は、総合職が約170人、事務職が約130人採用していて、女子の総合職は7人の時代でした。
そんな時代に会社に入り、エネルギー部門に配属されました。これもまた東北大学入学の時と同じで、ウキウキして入ったら、仕事がちょっとつまらなくて、、、、今、思えば与えられた仕事を発展させることのできなかった自分に課題があったのですけど、当時はなんか面白くないな、、って、ストレスに感じて、入社1年目に体重大幅増加、今よりもプラス15キロぐらい太ってしまったりもしました。
ただ、この時も、悩むより動きました、、、というか、正直いうと、深く考えもせず、1年目の終わりの振り返りレポートに“頭が腐ります“みたいな不満と不安をそのままぶつけて、、、。当時社内的にもちょっと問題にもなったし、今思うと本当に言い回しややり方とか考えろよ、みたいな恥ずかしさいっぱいですけど、本当に理解のある上司だったので、2年目にはジョイントベンチャーに出向させてもらえたりと、その後も手をあげて新規事業開発部門に移動したりと、面白い仕事を任せてもらえるようになりました。
それからは、バリバリと仕事をしていて充実感もあったのですが、目の前にあることを超真面目に一生懸命やる、タスクを一つづつクリアしていくことだけに熱中するみたいな、仕事のやり方をしていたのですが、30歳前後の時にすごい出会いがありました。5つ上ぐらいの先輩になるのですが、この人に、天下国家や鳥瞰図的な視座を持って仕事を見るというやり方を教えてもらいました。一つの仕事から無限の広がりが出てくる、すごく奥深いことの一端を自分は担っているということを彼から学び、自分の視野が広がり視座がグッと上がった、、、これは私にとって、ヘレンケラーが言葉を最初に覚えたぐらい、ビビビビっと感じたものすごい経験でした。同じ会社で働いているのに、自分の仕事に対して 本当に心から面白いなと思うようになり、もっともっと成長したいなと思うようになりました。あの出会いがなかったら、今の私はありません。良い出会いと自分のマインドセット次第で、いつでも人は変われる・成長できることを実感しました。
また、余談ですが、当時は海外に行きたいと思って三菱商事に入ったのですが、当時、女性は海外駐在の前例もなく、そういう人もいませんでした。ただ、出張はちょこちょこ行かせてもらっていました。今は、皆さんもご存知の通り、多くの女性が海外駐在してます。これからも、先人たちが築いたものからさらに皆さんが世の中を変えていく可能性も無限に広がるのだろうと思います。
こんな感じで、三菱商事でしか経験できないことや出会いも多くあり、三菱商事ラブだったのですが、転職をしちゃいました。30代半ばで、BPという元々はイギリスの国営石油会社であったグローバルエネルギー企業に転職をします。たまたまヘッドハンターから声がかかったのですが、商社で鍛えたとはいえ、当時はまだ転職するという人も今ほどなく、田舎者の私がイギリスの会社で大丈夫?英語大丈夫?みたいな、、、半年ぐらい迷っていたのですが、転職を決断。この決断は、まさに「天使の前髪は掴む」、人生はアドベンチャー、迷うぐらいなら失敗しても動く、という今の自分の価値観・生き様みたいなものが体現されていたな、と思います。
結果として、BPに7年半在籍して、今の自分にとっても宝物と思えるような経験をさせて頂きました。これまでとは全く違う企業風土が、心配は杞憂で、むしろのびのび型の自分にはさらにマッチしてました。会社に雇われているという感覚よりも、会社と個人の対等であるという関係性があり、その関係性はとても働きやすく、多様な働き方や多様な価値観を受け入れるという点でも本当に良い経験と学びをしました。働きやすさが関係していたのかは分かりませんが、転職後3ヶ月で妊娠して、子供も無事生まれるという、そういうこともありました。
BPは楽しかったのですが、原油価格が下落するとどうしても人員整理はつきものです。上層部からクビを切られるみたいなところが会って、アメリカ人の自分のボスがクビになったので、あ、まずいな、と思っていたら、「鈴木さんそろそろなんか考えたほうがいいんじゃないの」とみたいなやんわりとしたやりとりから始まって、初めての経験に動揺しているうちに退職することになりました。
次何するかな、と考えた時に、先に話した、良い先輩との出会いにより大きく成長したという経験を世の中でもっと再現したい、それは“HR(人事)“という仕事であれば、より広く実現できるかと思っていて、思い切って人事へのキャリアチェンジをしようとしました。でも、世の中そんなに甘くなかった、、、経験のない自分を人事職として雇ってくれるところもなく、しばらくブラブラするかなと思っていました。そうしたら、電力小売りのベンチャー企業から「社長しませんか?」とお声がけいただきました。
ちなみに、私はその時点までで、部下がいた経験がマックスで5人だけだったですし、経営の経験もゼロでしたから、100人規模の会社の社長をしませんか?といきなり言われて、「社長ですか?!怖いです。常務はどうですか?」「埋まってます」「副社長はどうですか?」「埋まってます」みたいなやりとりして、しょうがないので(笑)、それなら、社長しかないですね、やります!みたいなことで、社長をお引き受けしました。また、天使の前髪を掴んでしまいました。人生はアドベンチャー、経験してなんぼ、みたいな自分の価値観がグッと前に出ちゃったんですね。
ここでは波瀾万丈な経験をさせて頂きました。お客様にもだいぶご迷惑をおかけしたり、社員にも色々負担をかけたりもしました。一方で、経営というものを初めてやらせていただいた中で学びが非常にありました。
会社や社員に対して責任感はあったのですが、これ以上いたらなにか良くないことが起こりそうだなという直感、自分が根本的にすごく大事にしている価値観と相容れないようなところがあり、雇われ社長だったこともあり、2年で辞任しました。そのあと、当社の経営はさらに厳しいものになっていきました。
ここで学んだことは、野生の勘ってビジネスで大事だ、ということです。時にうまく言語化できない野生の勘、これは自分の経験や価値観に基づくものだろうと思いますが、これも非常に大事だな、と身をもって経験しましたし、そういう勘は実は鍛えることもできることも学びました。
辞めた後、どうしようかなと思い、またぶらぶらしようかなと思っていたら、再生可能エネルギーのRENOVAという会社が、どんどん急拡大をしていて、100人ぐらいの規模で、そろそろHRをちゃんと見るということで、CHROを探しているとお声がけを頂きました。
HRをやりたかったのは確かですが、経験ゼロでいきなりCHRO(人事最高責任者)なんて、“ほんとにいいの?“みたいな感覚もあったのですが、エネルギーのフロントの経験や経営の経験があるからこそ、むしろ良いです、とおっしゃっていただいて、これもパッと天使の前髪は掴む私流の価値観でご快諾させて頂きました。
ただHRは本当に初めての経験で、野生の勘は悪くはなかったかなと思うのですが、いかんせん人事課題を解決する引き出しが足りなくて、結構苦労しました。実は、今日スピーカーとしてご出席されている南部さんの奥様がHRのプロであるということを知って、 猛烈にラブコールして、無理矢理会社に来てもらいました。私が全体感を示すと、彼女のようなHRのプロに支えられて具現化するみたいなことでなんとかやり切りました。彼女より先に辞めてしまって申し訳なかったのですが、今でも本当に感謝しています。
RENOVAはすごく好きな会社だったのですが、辞める決断をしました。HRの経験が足りなくてもっと学ばないと会社に貢献できないなと思っていて、学ぶための時間をとりたいな、と、そんなことを考えていた矢先に、母が倒れて、今はもうだいぶ元気になったのですが、当時87歳だったので、福島に戻って、新しい生き方を模索する時期だな、というのもきっかけになり、3年7ヶ月で辞めました。
今後貢献していきたいこと:幅広い業務に従事してきた経験を世の中に還元するために活動中
現在は、スライドのように、3社に携わっていて、地方で仕事をするということを学ばせていただいて、日本ゼルス株式会社というブロックチェーンを使って脱炭素をやるというスタートアップ、あとメドピア株式会社はヘルステックの会社で、こんなところを3社お手伝いしています。
また、他登壇者である藤井さんが、M&Aのアントレプレナーシップのアクイジションの話をしていましたが、例えば単発でアメリカのM&A市場のリサーチをしてくれというような仕事も、某社から単発で請け負ったり、そんな越境を色々しながら学んだりしています。スライドの右上は最近学んでいること、左下は地域にどう貢献していくかということ、右下は家族や自宅のこと、そんなことを大切にしながら、やっていこうかなと思っています。
自分のこれまでを振り返ると、偶然の素晴らしい機会を思い切って逃さずに飛び乗り、結果として、素晴らしい人との出会いを繰り返しながら自分の経験の幅が広がってきたと改めて思います。悩むより動く、動けば道は必ず開けます。ありがとうございました。
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