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『七転八起』 4年 森田大斗

平素よりお世話になっております。東京学芸大学A類保健体育選修4年森田大斗と申します。

まず初めに、今シーズンも東京学芸大学蹴球部を応援してくださりありがとうございます。学芸大蹴球部は1年で関東リーグ復帰を果たし、今シーズンは関東3部で戦うことになります。来シーズンも変わらぬご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。

森脇、紹介ありがとう!
いわき市を背負ってやろうという気持ちがあるのは確かですが、半分本気で半分冗談です笑
そのくらいの気持ちを持っていわき市のために働きたいという思いと、そのくらい偉くなってやるぞという気持ちですね。



長く拙い文章ではありますが、最後まで読んでいただければ幸いです。



それでは。



サッカーを始めたきっかけは少し特殊なものだった。
2011年に起きた東日本大震災。
それまで本気でやっていた野球。チームメイトが避難等でばらばらになりできなくなってしまった。


そんな時に兄がたまたまやっていたサッカー。
昔から体を動かすことが大好きだった私は「やってみよう」という軽い動機でサッカーを始めた。


今思うと、この決断をしたとき父はとても悲しかったと思う。父が大好きだった野球。毎回のチーム練習についてきてくれ、家では毎日キャッチボールに付き合ってくれた。
思うところもあったかもしれない。




しかしながらただ一言。




「好きなようにやったら良い。」




この言葉は今でも覚えている。
基本的にすべてのことをやりたいようにやらせてくれた父。
本当にありがたかった。
ここでの父への感謝の気持ちは割愛させていただく。



そんなこんなで始まった私のサッカー人生。
小学校3年生で始めたサッカーはとても楽しかった。
理由は単純。「うまくなっていくから」、「周りの人よりうまくできるから」
小学校4年生の頃には地区トレセンに選ばれ、小学校5年生から中学校3年生までは県トレセンにも選ばれ続けていた。

文句なしのサッカー人生である。今思えば恥ずかしいほどに天狗になっていた。本当に恥ずかしい。



中学3年生の夏、初めての挫折を経験した。
県内、近場の県外の私立高校からスカウトの連絡が来ていた。しかし行く気はなかった。
なぜなら、目指していたのは県内No.1の尚志高校だったからである。
しかし、尚志高校からスカウトの連絡が来ることはなかった。
とても悔しかった。

絶対に受かってやろうと意気込んでセレクションに参加した。
手ごたえはあった。

1週間ほどして連絡があった。


結果はだめだった。
入部ができないというわけではなく、「あなたはこのサッカー部に入部しても試合には出ることは難しい」という連絡が来るのである。

気持ちが強い選手はこんなことでもめげずに挑戦するのかもしれない。
私にはできなかった。挑戦もせずに逃げた。
ここでプロの道もきっぱりと諦めがついた。


当時逃げたと思われるのが嫌で、他の高体連にはいきたくないと思っていた。そんなとき、当時東北リーグを戦っていたいわきFCというチームがユース立ち上げのためセレクションを行うという情報を聞き、受けてみようと思い受けた。

結果は合格。

入団すれば、自分たちは1期生になる。
前例がないということで不安もあったが、なにより県内ではトップクラスの環境があったため、おもしろそうという気持ちとわくわくする気持ちが勝り入団を決めた。

高校1年生の最初には国体メンバーの選考会があった。こちらは最終選考まで残ったものの落選した。合格したメンバーを見るとほとんどが県外から進学してきた尚志高校の選手たち。どこかで勝ってやろうという気持ちがあったが、惨敗だった。

高校1、2年生の頃は、クラブユースに出てはJユースの高校3年生相手にぼこぼこにされるという試合を繰り返した。

来年こそは絶対に全国大会に出場するぞと意気込んで練習に励んでいた。
モチベーションは最高潮だった。


しかし、高校2年生の2月。
「新型コロナウイルス」
こいつが猛威を振るった。


世間はパニック状態。
サッカーどころの話ではなかった。
身体接触はなし。マスクをつけて練習をしていた人も多かったのではないかと思う。


高校ラストシーズンの主要な大会はすべてなくなった。
大学受験のために夏で引退することを決めていた私はやるせない気持ちになった。


「仕方のないことだ」と自分に言い聞かせ続けた。
その後何か月かは受験勉強に身が入らなかった。





2021年東京学芸大学に入学した。
この当時学芸大学蹴球部に入部するかどうか迷っていた。
というのも、高校でサッカーは引退すると決めていたからである。
しかしコロナウイルスの影響で不完全燃焼感が拭えないでいた。



もう一度本気でサッカーをやりたいと思った。



そうして東京学芸大学蹴球部に入部した。
プロという道はすっかり諦めていたが、志は高く持っていた。

当時関東リーグ2部に所属していた蹴球部で活躍している先輩方は控えめに言ってめちゃくちゃかっこよかった。

自分もこうなりたい。なってやると心から思った。





結果から言うと、私は大学4年間で1度もトップチームに上がることはできなかった。
しかしながら、私はこの4年間で得られたものも多かった。





大学1年生の頃はそんな先輩方の姿もあり、かなりモチベーションを高く持ってプレーすることができていたと思う。

この1年はがむしゃらに励んでいた。

Bチームで活動し、Iリーグのベンチ入りもできた。
他の人のチームの忘れ物をなぜかかぶって報告をして、初スタメンだったものの試合に出られなくなるという珍事件もあり、このシーズンはベンチ入りはしたものの出場時間は0秒だった。


大学2年生の頃は、1年生の頃とまったく同じような感じで、ベンチ入りはするものの試合には出ることができない。



ここで、人生で2度目の挫折をした。



決して手を抜いていたわけではない。なんなら、1年生の時の悔しさもあり気合も入っていた。



理想と現実のギャップが大きすぎた。



このとき、サッカーに対する熱がなくなってしまい何のためにサッカーをしているのかが分からなくなってしまった。



基本的に逃げ腰だった私は部活をやめる決断をした。
試合で負けるのとは全く違う悔しさ。こんな悔しい思いはもう2度とごめんだと思った。



周りの仲間や先輩にやめるということを伝えた。



正直、郷君やりなこさんには感謝しかない。
辞めさせないための方便だったのかもしれない。
でも、こんな自分を大切に思ってくれている人が蹴球部にいるのだと気付かせてくれた。



そこで、仲間のために自分に出来ることをやろうと思い蹴球部に残る決断をした。
結果的に逃げなかったのはこれが初めてかもしれない。


それは自分の力ではなく、周りの人間に恵まれすぎていたおかげである。
本当に幸せ者だと思った。



こうして、部活を続けたのはいいものの、このシーズンも試合に出場することは出来なかった。

本当に本当に悔しかったが、部活をやる意味はこれだけではないという考え方が出来るようになり、そこまで落ち込むことは無くなった。


大学3年生の頃は、シーズン序盤はスタメンで試合に出ることが出来、今までで1番好感触のスタートだった。
相変わらずへたくそだったが、へたくそなりに頑張ろうとしていた。


このシーズンは覚醒していた和田柚樹を近くで見て良いところを吸収しようとした。
個の力で打開するような選手ではないのに、必ずチャンスメイクをするし、間違いなくこのシーズンのBチームの核だった。

同じポジションということもあり、練習の中でも一緒にプレーする時間が多かったので、練習や試合でよく観察をした。



そうすると、自分や味方がプレーしやすいように立ち位置を考えてプレーしているのだとわかった。

自分は決してうまくできる選手ではない。
だからせめて自分や仲間がプレーしやすいように立ち位置を意識してプレーしなければならないと思い、
身近にいる選手でお手本にしなければならない選手だと改めて感じた。



実際に話をしてみようとすると照れ屋なのか毎回雑に扱われるけどそんなところも含めて大好きだった。



ゆず君が話してくれないため、プレーに関しての相談は基本的には学生コーチの康宗君にしていた。
康宗君は攻撃的なサッカーを目指し、サイドバックが主役のビルドアップをしていたため積極的に相談をした。
様々な状況に合わせた対応の仕方を教えてもらった。

もちろん教えてもらってすぐにできたらはなからBチームにはいない。
できないときの方が多かったが、それでも学んでいる、上手くなれている感じがして楽しかった。

このシーズンで理想のサイドバック像が出来上がった。
ありがとう。康宗君。



このシーズンは、結局終盤はなかなか試合に絡むことができなかったが、個性あふれるでっかい背中の先輩方のおかげで充実したシーズンにすることができた。


このシーズンが終わった後カテゴリー編成が行われた。
来シーズンのBチームを引っ張っていくと勝手に思っていたクマとシンノスケがTOPチームに上がった。

個人的にシンノスケがTOPに上がったのはとても嬉しかった。サッカーに対する思いも知っていたし、ずっと頑張っていたのを近くで見ていたから。
来シーズンのBチームのことを考えれば少し不安もあったが、「絶対に落ちてくるな」と心から思っていた。



そうすると、大きな問題が一つ。



誰がBのキャプテンをやれるの?



個人的に今までプレーで引っ張っていた選手がキャプテンをやるべきだと思っていたから自分という選択肢はすぐに消した。



そうなるとタクムしかいないのだが、、、



立候補等した覚えはないが気が付いたら自分がキャプテンをやることになっていた。
当たり前に不安はあった。

しかし、

プレーで引っ張っていく自信がないなら自信がつくまで練習すればいい。

頼りがないならいっそのこと仲間に頼りながら進めていけばいい。

上手くできないということは最初から分かっていたから「キャプテン」という型にはまりすぎず自分なりにやればいいのだと思った。



そして迎えた大学4年、ラストシーズン。
Iリーグの開幕戦。
相手は東京国際大学。

自分は怪我をしていてスタートで出ることはできなかった。
隣を見るとチームの核であるタクムもなぜか怪我をしていてスタートではなかった。

前半途中で0-3。

後半にも1点追加され0-4で敗戦。


全く思い描いていたスタートではなかった。
このとき嫌な想像が頭をよぎった。

昨シーズンは最後の最後まで昇格争いができていたのに、今シーズンはそれすらできずにあっけなく終わるのかと。


そんな不安に拍車をかけるように続く第2節、第3節も黒星を重ね、3連敗となった。


このとき心の中では、シーズン序盤で黒星を重ねてしまっては昇格争いなど到底できないと思い、若干諦めの念を抱いてはいたが、曲がりなりにも今シーズンはBチームのキャプテンとして活動している以上、そんなことを気にするくらいならチームのために戦う方が何千倍もいいと考え行動するようにした。


その甲斐あってか、チームは第3節以降は白星を重ねることができ、昇格争いにも食い込むことができた。

しかし、シーズン終盤に失速してしまい、結果的には今年も昇格をすることができなかった。
最終節こそ勝つことができたものの、シーズンの目標を達成することができなかったということを考えるとやっぱり悔しいし、責任を感じてしまう。
自分たちにはもう挑戦する権利がなくなってしまった以上、あとは託すしかない。
毎年言われていることではあると思うが、それでも言いたい。



後輩たち、来シーズンこそはIリーグ1部に昇格させてください。



森田大斗としての大学サッカーは結果こそついてこなかったものの、その過程で多くのものを得ることができた。

ここでは大きな挫折しか書いていないが、小さいものを挙げだしたらきりがない。

これを読んでくださっている皆様も大小さまざまな挫折を経験したことがあるはずです。
果たして、挫折を経験した時に、逃げ出さず、投げ出さず、挑戦し立ち向かった人はどれくらいいるでしょうか。

もちろんたまには逃げ出すことは大事だと思う。そうしないとどんどん壊れていってしまうから。
ただ、それを言い訳にして逃げ続けてしまうと、一生成長することはないと思う。

私は、逃げることの言い訳を探して時間を浪費するより、愚直に挑戦し続ける方が楽しかったし充実した時間を過ごすことができた。

だからこそ、これを読んでくださっている人の中で悩んでいる人、壁にぶち当たっている人がいたら、どんな些細なことからでもいいから挑戦することをやめないでほしいと思う。
それに気付いてくれる誰かが絶対に見てくれているから。




私のサッカー人生を書き続けるとだらだらといくらでも書いてしまうのでここらへんで終わりにする。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
最後に、なかなか感謝の気持ちを伝える場面がなく、せっかくなのでこの場をお借りして感謝の気持ちを書き連ねさせていただきます。

【父へ】
今まで何の不自由なく育ててくれて、自分の意見を最大限尊重して接してくれて本当にありがとう。なにかと文句を言ってくる父さんだけど、高校まで、かなりの遠方まで足を運んで試合を見に来てくれて本当にうれしかったし、そのおかげで頑張ることができていました。
父さんは間違いなく一生自分の人生の目標だし、いつか超えられるように頑張ります。
おれも社会人になるし、これからは少しずつ恩返しもしていきたいと思っています。
これからもよろしくお願いします。


【A保サッカー部+タカホへ】
大学生活で一番お世話になっていたのはA保サッカー部のみんなとタカホ。
1、2年生の頃は1週間のうち必ず1回はシンノスケかコウの家に集まって騒いだね。本当にやってることは高校生に毛が生えた程度のものだったけど、それが心から楽しいと思えたのはやっぱりみんなのことが大好きだからだと思う。
これからも末永くよろしく!


【後輩たちへ】
絶対に、100%おれのことを尊敬してるやつなんていないと思うけど、それでも本当にありがとう。愛してる。

来シーズン以降、TOPで活躍する選手たちは、東京学芸大学蹴球部の「顔」として、部を引っ張っていってください。周りを見れば頼もしい仲間がたくさんいることに気付いて、みんなで東京学芸大学蹴球部の歴史を紡いでいってください!

来シーズン以降B、Cで活躍する選手たちは、腐らずに、進むべき方向をしっかりと見定めて突っ走っていってほしいと思います。評価されない・見られていないとふてくされるのはめっちゃ簡単だけど、それ以上にださいことはないよ。

てか、Iリーグめっっっっっっっっっっちゃ楽しいし!!

もちろん、皆のことを関東リーグで見たいのは当たり前なんだけど、そうならないのが現実だから。

今はまだ花開かなくても、信念をもって継続してればいつか絶対に日の目を浴びる日がくるから、本当に頑張ってください。応援しています。


【同期へ】
入学当時、おれらの代は外れ年だみたいな空気感あったよな、確かに先輩方見たらそう思われても仕方ないかもしれないけど、こうして4年になって結果で見返すことができたTOPのやつらマジでかっこいいよ。本当に尊敬してる。トップのメンバーは克明はじめ頼りなさすぎるメンバー多いけど本当に誇らしいです。

それ以外の同期は、タクムとかそうたはじめぬるま湯みたいなやつらが多かったな。そんな空気感が本当に心地よかった。大好きだった。
でもやるときは本当に同じ人かってくらい頼りがいあるしこっちもこっちでマジでかっこよかった。


俺らの代は輝以外はちゃんと学年会来るからまた開催した時にゆっくり話そうね。
輝はちゃんときてね。


これ以上長くなってもあれなのでここらへんにしておきます。




人生の夏休みともいわれるこの大学4年間。

そんな時間を東京学芸大学蹴球部に費やすことができたこと。

本当に私の人生の財産になりました。

大学サッカーって熱いです。最高です。





最後に、これまで私に関わってくださったすべての皆様に感謝申し上げます。


本当にありがとうございました。


本当にお世話になりました。




さて、次回の卒業ダイヤリーは、学連の男村松宥です。

村松は学連として4年間関東大学サッカー連盟に所属し、様々な大会運営をしてくれていました。まさに縁の下の力持ちですね。

関東学連の学生の中ではかなりしご出来の村松ですが、高校時代はあの強豪校でスタメン、、?全国経験者、、?

面白すぎる経歴を持つ彼の文章をぜひお楽しみに!!

みんなを釘付けにする文章見せて!
皆様、次回もお楽しみに!!

#紫志尊々 #jufa #大学サッカー

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