『夢掴む日まで』 4年 後藤健太
1.はじめに
平素より、東京学芸大学蹴球部へ多大なご支援、 ご声援をいただき誠にありがとうございます。
2023シーズン主将の後藤健太です。
今シーズンも沢山のお力添えをいただきながら、 残留を果たすことができず、申し訳ございません。
新チームは、昨季の結果を受け、気持ち新たに始動しています。私たちの代で残すことができなかった関東リーグの舞台に、再び戻る強い覚悟を持って奮闘する蹴球部に対し、今後とも変わらぬご支援、ご声援のほどよろしくお願い致します。
副主将として一年間チームを支え続けてくれた昂生からバトンを受け継ぎ、2023年度卒業diaryのアンカーを務めさせていただきます。
2.宣言
いまからちょうど2年前。
蹴球部のブログで、私は以下の宣言をした。
『4年目の前期リーグを終えるまでに、
Jクラブからオファーを貰う。』
ブログタイトルは、『ラストシーズン』
即戦力としてプロの世界に飛び込もうとしていた私は、3年目のシーズンを大学サッカーにおける最も重要なシーズンであると位置付けた。
2年目のシーズンは、蹴球部の歴史が大きく変わったシーズンであった。
・アミノバイタルカップ 第3位
・総理大臣杯出場
・関東2部リーグ 第3位
・昇格プレーオフ進出
昇格プレーオフでは、あと一歩のところで昇格を逃す結果となったが、チームとしても個人としてもたしかな自信を手にしたシーズンとなった。
3年目。
実質的なラストシーズンで、チームは最悪な結末を迎えることとなる。
『関東3部リーグ降格』
10番を背負い、副主将として、チームを勝利に導く活躍が求められた。しかしながら、負け続けるチームの中で、解決の糸口を最後まで見出すことができなかった。
関東3部リーグへの降格が決まり、このまま待っていてはプロの舞台に辿り着くことはできない。
オファーを勝ち取るためには、自ら行動を起こすしかない。そう思い、春先から全力で動いた。
クラブの監督に電話で試合視察を懇願し、翌週には、試合会場にスカウトを派遣してくださったこともあった。
しかし、結果的にクラブへの練習参加は叶わず、夏までどこのクラブにも練習参加することができなかった。この時点で、2年前の宣言は実現できなかったことになる。
掲げた目標とは裏腹に、オファーを勝ち取るどころか、練習参加すらできていない自分がいた。ただ口だけの宣言で終わってしまったことを、心から情けなく思った。すべてにおいて覚悟が足りなかったという事実を突きつけられる結果となった。
宣言をした瞬間から、どれだけの危機感をもって行動できたのだろうか。
答えは、きっとラストシーズンにあったと思う。
プロへの夢を掴みたかった私は、一番下から這い上がる気持ちで、練習参加の機会を掴むべく必死に参加先を探した。
自身の履歴書を作成してクラブに送付したり、夏オフを利用してとあるクラブの練習場を訪れ、練習参加の懇願をしたりした。そこで練習参加を認めてもらえたこともあった。
夏終わりからは複数クラブに練習参加させていただいた。事前にHPや試合映像をチェックし、クラブの理念や志向するサッカー、選手一人ひとりのプレースタイルなどを事前に把握して練習参加に臨んだ。
監督、コーチ、強化部の方々にも、チームのベースとなる部分や、自身のポジションに求められる役割などを聞き、それを自身のプレーに落とし込んで取り組んだ。
そういった姿勢や意識は、クラブのスタッフや選手からも評価していただいた。しかし、シーズン中にオファーを勝ち取ることはできなかった。
やはりプロは、試合に勝つことで評価を受ける世界。特に攻守の切り替わりが激しい現代サッカーにおいては、チームの勝利のために90分間ファイトし続けられる選手でないと、評価はされない。その点において、私はプロで活躍するための基準に達していなかったと振り返る。
3.主将
関東2部リーグへの復帰に向けた1年、学生サッカー最後の1年、全部員にとっても、4年生にとっても、さまざまな想いをもって臨むシーズン。
私は、主将に就任した。
入学前から、最終学年ではキャプテンをしたいと思っていた。というのも、中学、高校とそれぞれチーム内には絶対的な存在がおり、常に彼らが中心となってチームを引っ張ってくれた。そのため、中高の6年間では、自身が中心となってチームをまとめる経験をほとんどしてこなかった。
大学では、そうした立ち位置ではなく、自身が組織の中心としてリーダーシップを発揮しチームの勝利に貢献したいという思いがあった。
結果的に、大学4年目でその願いが叶う形となりとても嬉しかった。主将を任せてくれた同期、そして後輩たちには心から感謝している。
主将と併せて、3人の副主将も決定した。部員による投票で、多くの票が集まった候補者の中から、最終的には『昂生』、『凜太郎』、『大』の3名に副主将をお願いした。
彼らは皆、私が持ち併せていないスキルを持っており、それらを発揮して私をサポートしてくれた。
主務としての忙しい役割を日々こなしながら、一歩ひいた視点で、幹部に対してもチームに対しても、意見を伝えてくれた『昂生』。
彼が幹部にいてくれたおかげで、チームは進むべき方向を見失わず、同じ方向を向いて進むことができた。
ピッチ内外で、チームが目指すべき場所、選手の立ち返る場所を発信し続けてくれた『凜太郎』。
学年ミーティングや代表者ミーティングの際に、様々な角度から意見を引き出すうまさには、私自身学ぶべき点がたくさんあった。
後輩からの信頼がとても厚く、各カテゴリーの選手から意見を吸い上げ、チームをより良い方向に導こうと奮闘し続けてくれた『大』。
ピッチ内でも、選手に対してポジティブな声を掛け続け、その熱量で多くの部員にいい影響を与えた彼の存在はとても大きかった。
彼らと力を合わせて困難に立ち向かっていく過程は、とても貴重な経験となった。しかしながら、春先から勝てない苦しみを味わってきた中で、結局は最後まで解決の糸口を掴むことができなかった。
開幕前に掲げた、『関東3部リーグ優勝・2部昇格』という目標は叶わず、シーズ途中で『自動残留』へと目標を設定し直した。しかしながら、結果的にそれらの目標を達成することはできなかった。
残留を信じてピッチ脇から声を枯らして声援を送り続けてくれた仲間、スタンドから温かい目で見守り続けてくれた保護者の方々、そして来年以降の蹴球部を背負っていく後輩たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも、今シーズンは多くの1,2年生が関東リーグの舞台を経験した。ピッチの上で感じたその貴重な経験を新チームに還元し、強い学芸を取り戻していってほしいと心から願っている。
4.卒業後
今日までほんとうに沢山の方々が、自身の進路を気にかけて連絡をくれました。この場を借りて、心より感謝申し上げます。
幼い頃からテレビ越しに憧れてきた華やかなプロサッカーの世界。
その世界で活躍するには、まだまだ伸ばしていかなければいけない部分が沢山あります。次なるステージでは、そうした部分を自身の強みに変え、上へ上へと這い上がる気持ちでプレーしたいと思います。
昇格も降格も味わった大学4年間。その経験を活かして、次のステージでは攻守両面でチームの勝利に貢献します。
今後とも、ご声援のほどよろしくお願い致します。
5.感謝
ここからは、これまで私がお世話になった指導者、先生に向けて感謝の言葉を綴りたいと思います。
【東京学芸大学蹴球部 星監督】
4年間、ご指導をいただきありがとうございました。
東京都リーグから関東2部リーグに昇格を果たした関東大会、総理大臣杯出場を決めたアミノバイタルカップ、昇格プレーオフ進出を決めた関東リーグ最終節は、特に深く胸に刻まれています。歓喜の瞬間を星監督と共に喜び合うことができ、ほんとうに嬉しかったです。
この4年間、スタメンで起用し続けていただきありがとうございました。また、進路を選択するうえで親身になって相談に乗ってくださったり、アドバイスをいただき心から感謝申し上げます。
【青森山田高校サッカー部 黒田監督】
黒田監督のもとで、3年間ご指導をいただけたことは、人生の財産になりました。
臨んだ結果を手にするために、24時間365日をどうマネジメントしていくか。それこそが『勝者のメンタリティ』をもつことにつながると学びました。
サッカーの本質を追求し、勝負に勝つことの喜びを味わった3年間はこの上なく幸せな時間でした。心から感謝申し上げます。
【FC東京u-15深川 奥原監督】
『サッカー選手である前に、ひとりの人間としてどうあるべきか』この言葉は、私がサッカーをするうえで最も大事にしている言葉です。
『強く、愛される選手』この言葉が表す意味を、これまでのサッカー人生で模索し続けてきました。
この先の人生においても、サッカーを通じて出会うすべての方々に感謝し、プレーで希望や勇気を届けられる選手になりたいと思います。
奥原監督との出会いが、私の人生を豊かに、そして大きなものにしてくれました。心から感謝申し上げます。
【スカイFC二砂】
私のサッカー人生における原点です。
子どもたちのチャレンジを応援し、伸び伸びとプレーできる環境をつくって下さったおかげで、サッカースキルを伸ばすことができました。
並みいる強敵を打ち破り、ブロック大会優勝を成し遂げたあの瞬間は、サッカー人生におけるハイライトです。素敵な6年間を、ありがとうございました。
【杉並児童合唱団】
私がサッカー以外で唯一夢中になれた場所でした。週二回のレッスンに心躍らせながら通っていたあの頃が懐かしく思い出されます。
レッスンとチームの練習が重なってしまい、小学4年生の途中で、私は合唱団を辞める決断をしました。どちらの道に進むか、おそらく人生で最も悩んだ瞬間だったと思います。
メンバーの一員として、「紅白歌合戦」や「世界一受けたい授業」、「任天堂ドラゴンボールDS」のcmなどに出演させていただけたことは、一生誇れる自慢話です。
音楽の素晴らしさを教えてくれた麻子先生、スタッフ、OBのみなさんに心から感謝申し上げます。
6.おわりに
12月4日からスタートした4年生の卒業diaryも、本日の更新をもって最後となりました。
それぞれ異なる想いを抱いて入部した27名の同期が、サッカーを通じて得た喜び、挫折を伴う経験から味わった苦しみ、本気でサッカーと向き合った自分自身への誇りをもって、蹴球部を巣立ちます。
卒業後は、それぞれ別々の道を歩んでいくこととなりますが、蹴球部員としての誇りを胸に活躍する27名を、今後とも応援していただけると嬉しいです。
そして、これからも東京学芸大学蹴球部への変わらぬご支援・ご声援を、よろしくお願い致します。
2023年12月30日
後藤健太
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