おれの『名前』 3年 石神貴雅
みなさんこんにちは。E類生涯スポーツ専攻3年の石神貴雅です。
平素より東京学芸大学蹴球部への多大なるご支援やご声援、誠にありがとうございます。今後とも弊部への厚いご支援のほど、よろしくお願い致します。
ともくんとは部内の縦割りが同じで、先日第1回が開催されました。1年生から4年生までのグループなので普段関わりの少ない選手もいる中、ともくんは圧倒的なコミュ力で場を盛りに盛り上げ、最後はお代を僕らの分まで支払い颯爽と帰っていきました。カッコいい漢です。
その明るいキャラクターに隠れがちですが、人として凄くしっかりしている所が僕が本当に尊敬してるポイントです。しっかりとは性格です。体型ではありません。礼儀とか常識とか、人としてやるべき事を当たり前のようにやっている事が信頼出来る人柄を作り上げていると思います。僕は本当にそれがないので、見習わなければならないと思っています。昨日のブログを読んだ方なら、しっかりしている人だと気づいたことかと思います。「最近、歳で昔よりもご飯の量を食べれなくなった。」と嘆いていたことはここだけの秘密にしておきますね。
リクエスト通りともくんを持ち上げられた(語弊がないように、本心です。)と思うので、本題の今回のブログテーマであるおれの『○○』に入ります。タイトルがナルシストみたいになるのが嫌でこのテーマにするか悩みましたが、おれの『名前』について話そうかと思います。大層なタイトルに反して内容は無いに等しいので、軽い気持ちで読んでください。
なぜ名前について紹介しようと思ったか、それは僕の名前の読み方にあります。僕とはじめましての人はぜひ1番上に戻って僕の名前を音読してみてください、絶対に読めません。
読みましたか?
正解は、「いしがみたかのり」です。
皆さん恐らく、「いしがみたかまさ」と読んだことでしょう。驚きの不正解です。
正直、小さい頃はこの名前が大嫌いでした。
この名前の良くないところは、キラキラネームのように読めないから考える間が生まれて尋ねられるムーブではなく、たかまさという圧倒的な模範解答が存在するせいで平然と呼び間違えられるムーブになることです。
そのために生まれた、新しい学年になって先生が僕の名前をさらっと間違える、僕が訂正する、周りがくすくす笑う、というもはや人生の定番となってしまったこのくだりが思春期の僕の心には恥ずかしさとして突き刺さり、凄く嫌でした。
特に全校集会の表彰でこのくだりになった時は、将来絶対に改名してやろうとまで思いました。
しかし今は、この名前を気に入っています。なぜなら、この名前の読みに両親のこだわりを感じられるようになったからです。
なぜ、この読みになったか。
それは、「たかまさという響きが戦国武将みたいで嫌で、母親が猛反対したから。」です。
ここまで引っ張っておいて、本当に全然大したことない理由です。なんならめちゃくちゃしょうもないです。(皆さんにも、両親にもごめんなさい。)
しかし、この小さな理由だからこそ、両親のこだわりを感じられるのではないかと思います。一般的に、名前は漢字の候補を出して読める組み合わせにするか、読み方を決めて当てはまる漢字を探します。漢字を貴雅と決めた上で、ちゃんと読めるのに雅の字のマイナー読みを探すパワープレイにはなかなかでません。
きっと、漢字の意味にも名前の読み方にも凄くこだわりを持って、愛を込めて、名前を決めてくれたのでしょう。証拠に、僕の名前は画数もめちゃいいらしいです。何がどういいのかは知りません。
僕に凄く愛を注いでくれる両親には、感謝の気持ちしかありません。
存在を教えていないのに、僕のために機械音痴ながら蹴球部のTwitter速報やYouTubeの配信を見つける両親です。きっとこのブログも存在を教えていないけど読んでいることでしょう。普段は恥ずかしくて言えないので、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。
いつもありがとう。これからもよろしくね。
皆さんに感動を与えた?ところで今回のブログは終わりにさせて頂こうと思います。だらだらとした内容の薄い文章を最後まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。他の部員ブログの方が面白さも内容も段違いで良いので、ぜひ読み漁ってください。
明日のおれの『○○』は、私服のユニクロ率90パーセント越えのあの人です!
服の他にも沢山こだわりを持っていることでしょう。どんなこだわりを書いてくれるのか、楽しみです!