おれの『声』 1年 池井勇太
みなさん、こんにちは!A類保健体育コース1年の池井勇太です。
平素より東京学芸大学蹴球部への多大なるご支援やご声援、誠にありがとうございます。
今後とも変わらぬご支援のほどよろしくお願いいたします。
前回の古関くんを始め、先輩方が素晴らしいブログを書かれているので自分も1年生のトップバッターとして頑張っていきたいと思います!拙い文章になるかもしれませんが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
さて、今回私は俺の「声」というテーマで話していこうと思います。
みなさんは自分の声に助けられたということはありますか?
これはこだわりというよりは最近気づいた自分なりの特徴になります。
というのも最近グラウンドに行くと一部の先輩から挨拶する時にイジられることがあります。最初は特に気にしていなかったんですが、最近蹴球部にとどまらずA類保健体育コースなどその輪が広がってきたので一回帰り道に昔からそのようなことがあったのか振り返ってみました。すると、意外と昔から声の部分でいろいろあったことを思い出しました。
というわけで、自分の声について昔から今までのことを思い出と一緒に書かせていただきます。
私が、最初に声について何かを言われたのは小学校6年生の頃です。この時は主に二つの場所で共通のことを言われてました。その共通の言われてたことというのは、「ドラえもんみたい」でした。自分でもいまいち自覚がないのですが、声変わりする前は声がかなり高かったそうです。合唱練習では隣の人に「歌の声高すぎる」と言われ、小学校の所属していたサッカークラブのチームメイトからは、試合後の振返りで「変わった声の出し方するね」と言われて、結論としてドラえもんみたいと言われてました。とても印象に残ってます。そこからは、合唱では口パク、試合では声の自粛が続きました。
中学校に入学して、クラブチームに入ると声を出さないとキーパーとしてやっていけなかったので、少しずつ大きな声を練習や試合から練習するようになりました。合唱も歌わないと成績がとれなかったので、歌えそうな部分から練習はしていました。こういう時期に重なって、声変わりし切ったことで今の声が出来たと思ってます。
高校生では、気づいた頃には他の人よりも声量が出せるようになっていたことでかなり助けられました。例えば、高校2年生の時にサッカー部で、監督から、「お前の方が声試合中通るから」と言われて試合に使ってもらったことは、少し笑ってしまったけれど、良い思い出です。他にも、最後の文化祭のクラスの劇では、アラジンのジーニー役を思いっきりこなしたりもしてました。
振り返ってみると、自分ならではの声だからこそ、良い思い出も経験も出来たんだと思ってますし、これからも出来ていくと思います。みなさんもぜひこのような意外と意識しないところに注目してみてください。もしかしたら思いがけない発見や気づきができるかもしれません。
次は、工藤征也くんです。いつも明るく熱心な選手なので、いろいろなこだわりを持っていると思います。おもしろいブログを期待していてください。
かなり長くはなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!