高校陸上振り返り②
高校1年生冬の冬季練習がついに終わり、春が近づいていた。つまりシーズンインである。嬉しくてしょうがなかった。もちろん走り込みの量が減るからである笑
冬季練習の成果がどれだけ出ているかというのも楽しみだった。大会が楽しみになってきている時点で中学時代とは大違いだ。
そうして迎えた2年目シーズン初のレース。結構良い線行くかなと思っていたが、記録は12.01。めっちゃ力んでしまった。そう甘くないなと思った。隣に中学時代有名だった選手がいたこともあり、意識してしまったのもあったと思う。何はともあれ2年目が幕を明けた。
いよいよ高校2年生になった。正直陸上どころでは無かった。クラス分け発表があるからだ。僕は理科に興味がなかったため文系に進んだが、噂によると文系は英数クラス(選抜)以外の普通クラスはスポーツ推薦のゴリゴリ集団が集められるという。そんなクラスに放り込まれて馴染める自信がなかった僕は英数落ちに怯えていた。高校1年の最後の学力テストを謎の吐き気で欠席してしまったこともあり、当落線上だと思われた。
結果普通に英数クラスだったので悩みがなくなった。
ここから新入部員を新たに迎えた新チームがスタートした。
新入部員はわずかに4人。短距離に限ると2人である。しかしながら皆個性が強く、お調子者だったり、クールだったり、天然だったり、間違いなくチームに彩が加わったと言えるだろう。
シーズンに入ったため県総体に向けて多くの試合をこなして調子を上げていく時期だ。冬季の蓄えをどんどん爆発させていきたいこの大事な時期にまたアクシデントは起こる。
4月下旬にしてまさかのインフルエンザ大流行だ。クラスで珍しい時期にインフルエンザで欠席する人がいたかと思えば、部員も脱落し始め、気づいたら僕も高熱にうなだれていた。短距離に至っては全滅だった。
せっかく総体に向けてスピードを高めていける貴重な時期に1週間練習ができない+蓄えが失われるのは痛かった。しかしながらどうしようもない。GW10連休終盤、ようやく復帰し、レースにも臨んだ。リレーは論外。100mの記録は11秒68。悪くはないが不完全燃焼であった。
ここから総体までの時期はかなり気合が入っていた記憶がある。準決勝なるものに進んでみたいと言う思いが芽生えていたからだ。
中学時代は予選落ちが当たり前。次ラウンドに進むやつなんてガチ勢しかいないだろうと思っていたが、田舎の県総体の準決勝のボーダーは思いのほか低く、当時の僕の記録でも十分に狙える所にあったからだ。
イメージトレーニングなるものも直前になると頻繁に行っていた。せめて頭の中だけでもポジティブでありたいと言うことで準決勝に残っている妄想だ笑
また、この県総体でおそらく3年生は引退である。共に前年からの厳しい1年を過ごしてきたため、思い入れが強い先輩たちだ。前日のミーティングでチームのボルテージは過去1番高まっていたと言える。
いよいよ迎えた県総体。
緊張感と高揚感がそれまでの大会とは違う。何せ初めて目標を持って臨む大会だからだ。
リレーは残念ながら振るわず。
100m、予選。各組上位3名が準決勝に進める。
僕の組のメンバーを事前に見た感じ、知る限りでは持ちタイムが上の人は2人しか居なかったので順当に行けばいけるだろうと感じていた。幸い調子は良かった。
スタートはまずまず成功。そこから課題の体の前傾維持を意識して進んでいく。悪くない走りのはずだ。このままいけば大丈夫。
そんな僕の目線の先には、気づいたら3人の選手が走っていた。
大誤算だった。1人全くマークしていなかった選手が実は決勝進出レベルのスーパーエリートだったのだ。
自信があったのに4位に終わった。これで今年はおしまい。
タイムとしては11秒55。1年前からほぼ丸々1秒伸ばしたのだから上出来だ。そう言い聞かせつつ少し寂しかった。
しかししばらくしてアナウンスと共に電光掲示板が切り替わった。
各組で3位以内にに入れなかった人たちの中で、タイム上位3人が繰り上がりで準決勝に進めると言うものだった。その1番上には僕の名前があった。
やったぁやったぁ残れた。
やはり、目標にしていたものを達成できた瞬間は非常に嬉しい。この瞬間は今でもかなり印象深い。チームメイトや先生にも祝ってもらい、イメージトレーニングの成果を噛み締めた。
嬉しさのまま準決勝のコール会場に向かう。するとそれまでのルンルンモードは終わった。
やばい、有名なやつしかおらん。俺場違いやんけ。
そんなある意味贅沢な絶望感を持ちながら、準決勝のスタート地点へ向かう。合同練習で打ち解けたガチ勢に和ませてもらいながら、どうにか正気を保っていた。
雨が降る中の初めての準決勝だ。
準決勝はスタート前に実況の方に名前を紹介してもらえる。初めてのレーン紹介は照れ臭かった。
さあ、どうせ最下位だがスタート!
雨水で湿ったトラックを飛沫を上げながら走る。
猛者たちに必死に喰らいつく。
しかしながら無常にも差は広がっていく。
結果11秒83。疲労もあり、コンディションが悪い中当時の自分にしてはよくやったと思う。
強い選手たちに囲まれて走るという初めての経験、順位は良くなかったものの不思議と悔しさはなかった。当初の目的は達成できたからだ。
翌日の200m走も同様の展開。準決勝で惨敗。
これが当時の僕の実力だ。
2回目の総体。最下位近くで拗ねていた去年の自分はもういない。翌年に向けて進んでいく気持ちが持てた。
先輩は全員ここで引退。四国総体へと駒を進めたのは同期の長距離エースの1人だけだったが個々の記録は確実に上がっており、チームとしての格は前年よりも上がっているように感じた。
ついに僕たちの代の時代が来た。
キャプテンは当然長距離エース。
リレーのバトンパスがアンダー方式に変更になったり、アイシング用の巨大バケツが導入されたり、新体制として変化も起こった。
また、僕個人として、走法に関しても意識を本格的に行うようになった。
その走法はフラット接地である。つま先で設置を行うフォアフット接地とは異なり、親指の付け根の母指球を中心として足裏全体で地面を捉え、その反発を最大限に生かして前進する走法だ。
桐生祥秀などはこの走法の代表例として挙げられる。
顧問の先生は当初からこの走法を力説していたが、その頃の僕は、それどころではなかった。身体能力的な面が不足し過ぎており、細かい技術に心を向ける余裕がなかったのだ。
1年間の厳しいトレーニングを経てようやく体が追いついてきたため、接地という繊細な技術に目を向けることができるようになったのだ。
必要なのは足の切り替え、つま先の向き。日々のミニハードルトレーニング、流しで徹底的に落とし込んでいく。
スパイクもフラット接地向けのジェットスプリントを購入した。
夏は過ぎ、秋になろうとしていた。
さて、2回目の体育祭。去年決意をしていた。退部した元エースに70m走で来年は勝つと。試合よりも気合が入っていた。今動画を見返してもすごい殺気だっていた。結果勝利。いつの間にこんなに負けず嫌いになっていたのだろうか。謎にチヤホヤされて嬉しかった。体育祭の1日限りヒーローになれるのが陸上部に所属する醍醐味。ただほんとうに1日だけね笑
体育祭が終わると去年躍進した新人戦が待っていた。
台風のせいでタイムレースになってしまい、ラウンド制ではなくなってしまった。まずリレーで8位入賞。アンダーパス戦略が功を奏したようだ。この時既に調子の良さを実感していた。
お目当ての100mはタイムレースで後ろから2番目の組だった。つまり2番目に早いやつが集まる組。結構しんどいななんて思いながらスタート位置に着く。
号砲が鳴る。軽快に飛び出す。前には誰もいない。横にも誰もいない。全く力むことなくフィニッシュ。高校に入って初めて1着でゴールできた。
11秒31。また秋に一皮剥けることができた。どうやら暑い夏を通り過ぎるとその蓄積を放出しやすいようだった。
とにかくスタートからゴールまで気持ちよく走ることができて楽しいレースだった記憶がある。
このタイム帯にくると、たまに面識のないガチ勢に声をかけられるようになった。ただ、意識の根底には陸上に魂を売っていないダークホースでありたいという非常にダサい思想があったのであまり親しくはならなかった。
多分いつでもガチ勢のライバルではなく、挑戦者でありたかったのかもしれない。
1ヶ月後の隣県での大会。トラックが良くフラットの意識もうまくできたことから、ほんのわずかにベストを更新し、2年生のシーズンは11.30のベストで幕を閉じた。
高校ラストシーズンに向けた冬季練習が始まる。そして、その時期を年号で表してみよう。2019年末だ。
市場で未確認のウイルス発生報告など不穏な足跡が聞こえる時期だ。
最終章につづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?