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ゆるい共同体に助けられている

星々ワークショップに参加して、あらためて、グループメンバーに助けられているなぁと感じた。

このワークショップは毎月1回の講義をベースに、5〜6人のグループで合作をする。共通の世界設定を持って、各自が個別の作品を書くんだけれど、作品同士は設定にリンクしている必要がある。

自分の作品における、できごとや人物の行動は、他のひとの作品と整合をとる必要があるので、書きながらむやみに変えるわけにいかない。なので、最初にしっかりと設定を決めた。これは、講座の特性によるものだ。

もうひとつ、いいなぁと思うのは、メンバーとやりやすいと感じてることだ。いや、もしかたら、メンバーは「こいつやりにくいな」って思ってるかも知れないんだけれど。なんだろ、こうしたいんだけど、という意見に対して、そのまま反対意見をぶつけるんじゃなくって、なんでそうしたいんだっけ? それは互いの物語にどういう意味を持つんだっけ? というのがベースになってるからかも。

別件で、私は最近、自分のことは棚に上げて、コメントするようにしている。アーロン・イリザリーの「みんなではじめるデザイン批評」をもとに。で、今回「この表現は分かるんだけど、ちょっとひっかかる」というのを、ちょっと強めにコメントした。ところが、先生は特に疑問には感じなかったみたいだった。だめじゃんw まだまだ審美眼というか、デザイン批評(文芸批評とは、まったく異なると思う)スキルが足りてないなーと思う。

同じようなことがSF創作講座でもあった。「この設定は、物語世界での必然性に欠けるんでは」と、何度か続けて指摘したことがある。が、その人は、翌週、文学賞の一次選考を通過していた。もちろん、わたしは通過したことはない。ださいw ださすぎる。

それはそれとして、うまくなった、と言われたので、非常に機嫌がいい。機嫌が良すぎて飲みすぎた。トップの写真は、青緑の色素が入ったビール。

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