StayHomeを本気で生きる
アインシュタインが相対性理論を言語化する以前から、人は時間に対して「等しくない感覚」を抱いていたのだろうか。
寝過ごした朝の10分は、驚くほど早い。
ふざけるなと文句を言いたいところだが、時計はふざけてなんかいない。ただ残酷なまでに、等しく時を刻む。
忙しいのは誰のせいなのか?
時間が足りないのは、どうしてか?
時間のせいにしていると、その正体は見えてこない。
昨夜は、一時間のライヴ配信中に、楽曲を仕上げるという実験をした。既存の楽曲をカバーするものだったので、何とかなるだろうと思っていた。
しかし、始めてみるとこれがなかなかどっこい、ハラハラの展開となり…最後はまるで、駐輪場から駅のホームまで猛ダッシュ、そのまま息を切らして電車に滑り込む学生のようであった。
ライヴ終了後、動画アーカイブを見て振り返ると、細かいことに気を取られ、時間を浪費する男を発見←セルフ観察、面白かった。
リミットがあるということは、どこかでこだわりを捨てる、諦めるということ。芸術の世界では、それは緻密な完成度を追求する上では悲しい足枷である。
が、一方で、リミットがあることで爆発的なエネルギーが放出されることもある。
ライヴは特にそうだ。この瞬間に、全てを出し切る。延長戦もやり直しも出来ないのだから。もちろん言い訳も出来ない。
政治的なことは置いておくとして、4年に一度の大会に照準を合わせてきたアスリート達の悔しさは、僕には到底想像もつかないが、僕個人の話をするならば、本番だけが本番なのではなく、準備に費やす一日一日もまた、全てを出し切るライヴ(本番)だと思いたい。
きっと、"StayHome"なこの時間も必ず有意義な時になると信じている。制限があるからこそ、生まれるものがある。
さてと、次はどんな実験をしようか。