村田沙耶香『消滅世界』読んだ。酷評。

おととい妹に、「これ読んで感想ちょうだい」と件の本が送られてきました。

読了したので、感想考察つらつら好き勝手書いていきます。
(余談ですが私は本や論文読むのがめっちゃ早い。ほぼ唯一の特技です。)

割とボロクソ書きます。
また、ネタバレもします。読了した前提で書きます。
嫌な人、未読の人はブラウザバック推奨です。

読んだ人は、もし私の解釈に読み違えがあったら是非教えてほしいです。
(できるだけ好意的に読みたいという意識はあるため)

さて、本作は『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した村田沙耶香さんの作品です。
私は『コンビニ人間』読んでないけど、けっこう期待した。
芥川賞作家さんだし、あらすじに書かれた設定に惹かれたし、冒頭?序説?もつかみとしてバッチリだったからです。

しかし読後、端的な感想、好かん。以上。

です。

先に良いと思った点を書きます。
テクニックすごいなぁと思った箇所はたくさんありました。
「夫婦でセックスするのは近親相姦」という割とセンシティブな世界観で一本書き上げていることがすごい。
また後半にかけての描写の加速感は凄かった。割と素朴な、共感しやすい世界観から、「実験都市千葉」に引っ越してからの異常な情景の連続にかけて。非常に映画的だと思った。

また一番いいなと思った点は、個人主義の行き着く矛盾を描けていることです。
「私がしたいことが実現する」「私が気持ち悪いと思う」ことを重んじた結果、
「私」は名前も呼ばれなくなる未来が来るわけです。
「清潔」で、「合理的」な実験都市千葉では、夫婦も家族もない。個人を縛るものは何もない。
その代わりみんなが「おかあさん」で「子供ちゃん」でしかない。名前を呼んでくれる人はいない。
これは共同体やそのしがらみを捨てた人間の末路だという気がします。
さぁこんな世界に愛はあると思いますか?という著者の問題提起と解釈してもいいでしょう。

しかし、これは私的にはかなり好意的な解釈。
上記の良い点も込みで、私は好かん。

その問題提起のデカさで著者自身の思想を隠しつつ、でも著者自身の思想が滲み出ちゃってる感じがして好かんのです。
結果滲み出るなら隠さなくていいのに。
そういう意味での「好かん」。

いっこずつ行きましょう。

まず主人公に共感できない。
主人公の「雨音」は語り部なのに、異常な世界(SF的な世界)に投げ込まれた読者に寄り添ってくれていないと感じる。

あと、冒頭であんなに印象深い母親が、全然掘り下げられていない。

雨音の母親は、「愛する人とセックスする」ことで雨音を産みました。
雨音の母親は、特定の個人を愛することこそが愛派です。
一方で雨音はそんな母親が嫌で嫌で、「愛した人とは絶対セックスできない」「恋した人とだけセックスする」わけで、最後には夫でもない誰かが産んだ「子供ちゃん」を愛する(?)わけですけども。
これは皆を平等に愛することこそが愛ということ。
それが対比になって、母親への反発、家族からの自立を表しているっぽいことも読み取れはするのですけど。
その反発の仕方がどうも私は好きになれない。
ていうか反発にも失敗してると思うし。

母親への反発に成功するルートとしては、大きく2パターン考えられます。

1つは、母親と真逆を行き、誰のことも愛さないことです。
具体的には、「実験都市千葉」に完全に馴染むことです。
誰からも縛られない代わりに、自分も誰かを縛らない。みんなが「おかあさん」で、「子供ちゃん」に分け隔てなく平等に接する。それを愛だと定義づける。

2つめは、母親に言われたように誰かを愛し、母親とは違う愛し方を会得することです。
トゥルーエンドを描こうとしたらたぶんこれになる。
夫(名前忘れた)と、セックスを介さない愛を貫くことです。子供が欲しいなんていう欲求を捨てるか何かして、母親が提示するのとは違う、新しい「家族」のあり方を提示することです。

また、母親に反発しないパターンもオチとしてはあったでしょう。

でも雨音は、夫とも疎遠になって、「子供ちゃん」で自尊心や承認欲求や、あらゆる欲求を満たすこと、つまり「子供ちゃん」をマスターベーションに使うことを選んだのですよね。たぶん。
しかも母親を監禁するかなんかして。つまり、自立できないのに物理攻撃で無理矢理家族から独立した、と。
著者がバットエンドを描いたのか、トゥルーエンドを描いたのか。その意図はわかりかねますが、
母親の愛を呪いかのように言っていたので、おそらくバットエンドと読んでいい。
母親の嫌なところ(清潔じゃない性欲?)だけを、いちばん嫌な仕方で体現した形。
母親は家族(愛する人)と清潔じゃない欲望もすべて分かち合っていたけど、
雨音は子供が「子供ちゃん」であることをいいことに、小児性愛に流れて、徹底的に家族を作らなかった。自己愛に終始した。本人はそれを家族と思っていそうだけど。

オチまで読んで、ぶっちゃけ「ええ、それだけ?しかもけっこう胸糞」という感じ。
だって、こんなに色々人間ドラマが描けそうな設定なのに。
雨音の結論に至るにしても、深堀りが足りなすぎる気がする。
「逆アダムとイブ」も全然効いているように思えなかった。「逆アダムとイブ」は雨音の両親じゃろ。という。

なんていうか、おかしな例えかもしれないのですけど、日本のダメダメな野党のポスターっぽい。
与党を批判するし、政権交代は説くけど、自分らの公約で具体的に何するかは書いてないポスター。
これは著者っていうか主人公がですけど、ブーブー文句は言うけど代替案は出さないクラスメイトみたいな。
あんたのパッションが見たいんだよ!もっと熱くなれよ!
という感じ。
「私はどこでも正常になれるのよ」みたいなこと言ってたけどね。

というか、わかんないけど、たぶん著者が雨音派なんですよ。
つまり平等に愛することこそ愛派。
(大間違いだったら教えてください)

母親が全然深堀られてないあたり、深ぼられてない割にめちゃくちゃ気持ち悪くて嫌な母親として描かれているあたりが、そんな風に見える。
父親もまったく出て来ないしね。
家族がテーマなようで、家族に属してない人間ばかりが出てくる。

「問題提起ですよ」「これはバットエンドと解釈するのが一応正当ですよ」という雰囲気をめっちゃ出してるんですけど、
著者当人が本当にあれをバットエンドとして描いているかどうかは微妙。正直わからん。
というか著者も迷ってるか揺れてるのかな。

要は、私はそのへんの揺れっぽいのが好かんわけです。
センシティブなテーマなのだから、もっと炎上覚悟で潔く書いてほしかった。
オチは冷静に読んだら炎上必至な気もするけど、あのオチの過激度を下げるために小細工したんだとしたら残念すぎる。見たかったもん。炎上ではなく、著者の訴えが。

私は家族が大好きなので、著者が「家族とか嫌」派の意見だとしたら、尚の事さらけ出して見せてほしかった。

私は家族が嫌で嫌で仕方なくて、反抗した末に、色々葛藤して気づきがあって、結果家族大好きになった性分なので。

まぁ、私が「家族」というテーマに厳しすぎるだけかもしらん。
考え方の相違と言えばそれまでですが。



みたいなことを妹に話したんですが、そもそも妹の感想は聞いてなかったんですよね。

妹が絶賛派だったらどうしよう…