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西田幾多郎の論文のタイトルがいちいちカッコイイ件


西田幾多郎の論文のタイトルが毎度毎度カッコイイ。
主要な著書であり日本で100万部売れた『善の研究』はそうでもない。ふつう。
先輩に聞いた話だと、元のタイトルは「純粋経験と実在」だけど、出版社が『善の研究』とつけたとか。納得。

「自覚における直観と反省」
「働くものから見るものへ」
「場所」
「場所的論理と宗教的世界観」
などなど。

特にカッコイイのが、
「私の絶対無の自覚的限定といふもの」。

一見何を論じてる論文なのかさっぱりわからない。
でもちょーっと精読してみると、
(西田幾多郎を専門とする兄弟子が多くて、勉強会などで私もけっこう西田の著作を読む機会が多い)
もう「私の絶対無の自覚的限定もいふもの」としか言いようがないからすごい。
本当にすごい。
私は西田の専門家ではないので詳しく言及するのは控えますが、
本当に「私の絶対無の自覚的限定といふもの」としか。
読めばこのかっこよさわかるよと言いたいところですが、そんなこと言ったら専門家に怒られそうだ。
そもそも全集にしか載ってないようなコアな論文だし、難解だし、専門家と勉強会やるくらいしないと読めません。

カッコイイかは置いておいて、私の厨ニ心をくすぐるのは、
田辺元の「生の存在学か死の弁証法か」。
これも、読んでみるとタイトルのまんまの内容だと思わせてくるからすごい。
超雑に言うと、「生の存在学はダメだ!これからは死の弁証法だ!」という著作。
ほらそのまんまでしょう、ってかんじ。

まぁともかく、私もこういうカッコイイタイトルをつけれるようになりたい。

人の発表みて自分も発表して、やっとわかってきたことですが、論題はめちゃくちゃ大事。
その論文の肝心要をぎゅっとできなきゃいけない。

西田の専門家はこれを「私の絶対無の自覚的限定というふもの」以外の言葉で言えなきゃいけないのか。
大変だ。(他人事)