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体が勝手に踊りだす、ってなんの歌詞だっけ

実は上京してくる以前、地元でモダンバレエを習っていました。
好きで、踊るのが楽しくて、習い続けていたんですけど、教室の壁一面の鏡で自分の姿を見るのはいつもけっこう嫌でした。
全然上手じゃないし、美しくないし、楽しくなさそうなんだこれが。カチコチ動いてるだけで、「踊ってる」という感じがない。
実際は楽しいのに。

バレエを辞めて上京してからというもの、相変わらずバレエやダンスは好きで、習っていた先生のところの作品も全部好きで。
チケット取って東京で全然知らん人の作品観たり、YouTubeに挙がってるアマチュアの作品観たり、テレビでローザンヌ国際バレエコンクール観たり。
あのめちゃくちゃ流行った登美丘高校ダンス部のバブリーダンスに関しては感動で泣いちゃったくらいだし。

で、昨晩、昔の発表会のDVDを見てました。
当時子供の自分が踊ってるのじゃなくて、先生たち大人と、お姉さんたちが踊ってるやつ。
昔から好きで何十回何百回と見てるやつ。

全部で25人くらいいる群舞なんですけど、チュチュを着てピシー!いかにもバレエ!みたいな感じではなくて、
赤いドレス着て、裸足で、床に転げたりしながら踊る、コンテンポラリーに近いやつです。
改めて震えました。

そしてやっと気づいたんですが、私は、自分が習ってた教室の先生と皆さんのファンなんです。彼女たちを推してるんです。観る側だったんです。
混じって踊るのは楽しいけど、おこがましい。
推しに混じって踊るなんて!
と思っている節がある。

みんなすごく楽しそうに踊る。
そして上手な人ほど、なんだか、どこか苦しそうに踊ってる気がする。

私が大人になってしまったからか、当時すごくお姉さんに思えた生徒さんたちも、今の自分より年下だったりする。
先生たちは大体思春期くらいの子に厳しくて、お姉さんには優しい。
当時は、我々クソガキは生意気で言うこと聞かないから仕方ないと思っていたんですけど。たぶん違う。

思春期、年若い子、とりわけ女の子は顕著ですけど、
「定まってない」からなんだって今になって思います。
ある程度大人になってしまうと「定まる」ので、厳しくしても限界がある。だからなんだって思います。

今思えば、踊りが体に馴染んでなかった。
心と体が一致しない、みたいな言い方になるでしょうか。

そういう、思春期の、「一致しないけどギリギリ一致させようという苦しみ」にしか出せない美しさが、踊りにはきっとあって。

先生たちに聞いてもそんなことは言わないでしょうけど、その特有の美しさみたいなものを、肌で感じるのでしょうね。
また、「一致させてあげたい」みたいな優しさもあって、指導には熱が入るんだなぁ、と。

大人になっちゃうと、例えば「体の動かせる範囲で自分を表現しよう」みたいな器用さが、踊りにも出るんだと思います。
かつてあんなに「踊ってる感じがしない」で、下手くそだったのに、
私も大人になって、17歳頃、途端に「踊れはする」ようになったんですよ。

心と体が一致したのか、体が動く範囲を把握できる。カチコチしない。スムーズに行く。
決して上手じゃないですけどね。楽しいとき楽しそうには踊れるようになりました。
鏡見ながら踊るのも嫌じゃない。

新しい振り付けだってすぐ馴染むし、一旦馴染んでしまえば、音を聴いて体が自然と動く。
(そんな歌詞があったような)

でもやっぱり、心と体がバラバラな、ぎこちない踊りにしかない美しさがある気がします。

馴染んでる踊りとぎこちない踊り、どちらが良いとか悪いとかはないですけど、どちらにも特有の。
つまり推せる。
推し活したい。地元に帰りたい。