あの頃夢見た、2020年の東京へのレクイエム
2013年9月8日の朝。
目覚めると「東京とイスタンブール、どっちだと思う?」と妻は言った。
目が開いていないまま、僕は「う〜ん、イスタンブール?」と
つぶやいたのだが、この直後、一気に目が覚めることになる。
封筒が開かれ「Tokyo」と発表される瞬間、
これを受けて喜び合う招致委員たち、
滝川クリステルの例のプレゼンテーションが
2013年中、話題になったのはご存知の通り。
この頃、長男が生まれて4ヶ月も経たず
7年後の2020年になったら、この赤ちゃんが
小学一年生になることが信じられなかったし、
一緒に東京オリンピックを見に行けるかも知れないと思った。
小学一年生だから、きっと大人になったら
うっすらとした記憶になってしまうかも知れないけれど、
東京オリンピックを見たということは
大人になっても幼少期の思い出になるはずだ。
朝起きて開口一発目が「イスタンブール?」程度の人であっても、
東京2020オリンピックの開催決定当時は、
未来に何か明るいものがある展望を見られたものだ。
7年後の2020年、僕は何をしているんだろう?
「2020」は、アスリートはもちろん、
多くの日本人にとって未来の光をまとう年号になった。
その頃の広告には、そんな雰囲気を反映して
7年後に何をしていますか?と
問いかけるようなものがあったし、
2020年を見据えたインバウンドの盛り上がりもあって、
7年後に向けて英語を、と謳うものもあった。
一方で、その頃から日本の少子高齢化の未来は
避けられないものになっていて、一昨年の
東日本大震災で日常のもろさを実感したこともあり、
未来を担う子どもが少なくなって
衰退していく日本の雰囲気もあった。
2020年を頂点にして、その後はゆるやかな
衰退になるのかな、とも思った。
それから7年後の2020年。
世界は未知のウイルスのパンデミックに見舞われ、
東京2020オリンピックは、さらに1年後の
2021年に行われることになった。
何度読んでも、変なSF映画の見過ぎだろう!という文章だが、これが現実。
そして明日の開会式を前にして、
開会式の前日にまでも、
この8年間で数々のトラブルが起きた。
アスリートの汗と涙をダシにした商業五輪の退廃、
いつまでも1964年の栄光を「昔はよかった」と引きずり、
多様性の時代に追いつけず老朽化していき、
一個人の力ではどうにもならない流れに
流される国を見ていくのは、つらいものがある。
2020年が頂点どころではなく、
そんなものもなく、実はずっと前から傾いてましたと
そんな様子を見ているようだ。
こんなはずじゃなかった。
去年から今年にかけて、こう思っている人ばかりだろう。
1年経って小学二年生になった長男と
去年生まれた長女は、これからどういう時代を生きていくのか。
こんな中でも、これからの世代には
未来に展望を抱いていて欲しい。
世界的な運動会の感動に頼ることなく、
手の届く範囲だけでも、希望を感じさせる
生き方をしていきたいと、今日の日に思う。