月次祭を斎行いたしました。
本日は月次祭を斎行いたしました。
月次祭とは毎月1日15日に半月のはじめに地域や氏子崇敬者の穏やかな生業ができるように祈願をいたします。
神社の祭には、個人の祈願とは違い「公」の祭がいくつか行われます。
祈る対象は個人ではなく、共同体です。
小さな家族の単位から関わる人々の最大値まで。
自分も含めて自分以外の誰かも含めての平穏を祈ります。
生活が稲作中心であった日本の歴史の中で、共同体の平穏と言うのは自分の生命維持において同義でした。
この時期はじまるお祭りは田植祭です。
生産者のみの繁盛を祈るのでは無く、稲の生育とうるわしい秋の稔を得て家族の安泰や地域の発展を祈念します。
現代的な感覚で考えると理解しづらいことかもしれませんが。
自分以外の誰かと接する機会が少なくなり、情報が先行してその「誰か」を想像しづらい時代です。
copilot+PC
時代は常に変化しています。
話しは変わりますが、copilot+PCの発売にはとても興味が沸きました。
AIの発達は目覚ましく情報処理技術の発展は人手不足による負担を軽減できると期待されています。
私のようなワンオペの人間には助かる手段です。
人が行う仕事との棲み分けが一層進み、事務効率が上がり手のかかる作業が減ればより祭に注力できます。
AIなど技術の発展は扱う人間の問題だけであり肯定的に捉えています。
ちなみに文章はちゃんと考えて書いています。
公 おおやけ
人間は社会を形成して生きている以上、国家や地域、民族、宗教といった枠組みの中で生業を営んでいます。
一人では生きられません。
祭や公という概念は、個人の優先と寄っては離れての繰り返し。
個は当然【尊重】されるべきものですが【優先】されるべきものとは違うと考えています。
自分へのご褒美は小さいお返しで際限が無い欲求ですが、他者への施しは満足度の高いお返しであると考えます。
大きな技術革新の時代は時代が動く時。
明治開国、高度経済成長期などに並ぶ令和の時代。
そんな時にはいつも文化や宗教が人の心から離れていく時代。
大切な歴史や文化を内在する神社の役割は大きく変わらずに【伝える】を続けていきたいと思います。
【月次祭】と【AI技術の発展】と【公】を考える