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年と歳(初稿)

年をまたぐと、どうしても「この1年どうだったかな」と考えてしまう。年末とか年始とか、人間が勝手に決めた区切りに振り回されて、窓も開けたくないような寒い時期に大掃除したりとか、すぐ忘れちゃうような今年の目標とか考えるのってヘンだよ、と思う気持ちもあるのだけど、いつのまにか、考えてしまう。

この1年を振り返ってみて、やさしくなりきれなかったことばかりが頭に浮かぶ。人間関係、年々上手になっていくし、年々やさしくなってきているのは確かなのだけど、やさしくなれない瞬間もめちゃくちゃあった。この歳になってまで、なんで周りの人と仲違いとかすれ違いとかするんだろうって思うんだけど、結構歳上の人とも喧嘩したから、歳がどうとかにあまり縛られない方がいい(し、他人のことも歳で縛らない方がいい)なと思う。これからもこういうことはあるんだろう。

仕事でもプライベートでも、歳下の人と関わることが増えたような気がする。少し前まで、「僕が一番歳下だったよね?(色んなところで)」って感じなんだけど、僕がかつてまたいだ社会や世界の境界を、同じようなタイミングで同じように越えてきた人が、増えていくのだから仕方ない。仕事では後輩のことを考えることが格段に増えた。今までと違う視点で人々や自分自身を見つめることになり、いろいろなことに気づいた。僕のいる場所が、年齢が、僕の生きている世界の中での歳上/歳下分岐点になるわけで、これから生きていくにつれて歳下の数が増えて、歳上の数は減っていく(傾向にある)のかと考えると、少しだけ、でも漠然と、不安になる。こんなこと、考えたこともなかったので、それだけ実は追い込まれているのかもしれない。

尊敬できる大人もいれば、尊敬できない大人もいる。尊敬できる大人も、尊敬できるところと尊敬できないところがある。尊敬される大人になりたい。つらい。尊敬できるようなことをしているときもあれば、そうでないときもあり、人間そういうものだと割り切れる心もあれば、我が身を振り返って、自分も他人の目に映れば尊敬できる/できないの間で否応なくジャッジされるのだなと思い至り、「えー笑(しかし切実)」などと思う。

歳下も歳上も関係ないのだけど、去年出会った歳下の人たちはたまたま心のやさしい人が多かった。僕が歳上だから、(パワーバランスが均衡ではないから僕にやさしくしてくれる)という説も多かれ少なかれあるのだけど、それにしても、僕がそばにいようがいまいが、この人(たち)が持っている「やさしさ」のとある側面(←常にやさしく居られるわけではないと思うから)は、しばらく揺るがないだろうし、ひょっとすると一生そのままを保っていてくれるかもしれないなと感じる。そういうやさしさに救われた1年だった。

そういうことを考えていると、やはり僕はやさしくなりきれなかったなと思う。譲れたかもしれないところで譲らなかった。言わなくていいことを言ったり、そういう言い方しなくていいときにそういう言い方したり、放っておけばいいようなことを放っておかなかったり、聞かなくていいことを聞いたりとか。関係を壊さずに、人とぶつからずに、フェードアウトしていく道とかあったのに、ね。といまでは思うこともある。

(仕事とかしてると特に思うけど、)仕事ができるかどうかとか、テストでいい点が取れるかどうかとか、どういう大学を出たんだとか、誰かに勝ったとか、僕にとっては重要じゃなくて、いつもほんとうにきらめきを感じるのはやさしくてかしこくて、かしこくてやさしい人だった。そういう人に、できるだけ近づきたい。これからの長い人生で。

すぐ忘れてしまうような今年の目標は、「去年よりもやさしくなる」です。

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