わたしのこと。#6 食べ物のはなし。
よし、要望もあったので、いったん写真の話を離れて、食べ物のはなしをしよう。
どういうわけかわたしは現在、食べることが大好きなので、どこから書いてよいものやら迷ってしまう。どの時期を切り取るかによって食に対するスタンスが全然変わるので、書きながら整理しようと思う。
幼少期、団地に住んでいた頃は身体が弱く、とにかく食が細かった。保育園の帰りに寄るたまの外食は嬉しかったが、日常での食事は苦手だった。なにしろ時間がかかり、父が帰ってくるまでに食べ終わらないと、このガキゃあ‼︎まだ食べてんのかぁ‼︎と言って殴られたり、トイレに閉じ込められたりしたからだ。タイムリミットはいつも帰宅時間だったので、恐ろしくて仕方がなかった。
おっかない人が帰ってくるまでに食べちゃったほうがいいよ。と言われて食べていた。楽しいわけがない。
反則技だが、口いっぱいに詰めてトイレに行き、ぺっと出したり、こっそりテッシュに包んで捨てたりしていた。このテッシュはなんだぁぁ‼︎となった時はもう死んだかと思った。命懸けで食べてた(いや、食べないようにしていた)気がする。
4歳下の妹もさらに輪をかけて食べるのが苦手だったので、わたしよりも余計に怒られていた。
姪のゆったんは何よりも食べるのが大好きなお子ちゃまで、大きな口でバクバク平らげていくので、え、子供ってこんなに食べるもんなの…?食べるのが好きだと…?突然変異なの…!?と家族一同目を丸くしている。
ちなみにわたしの初恋のまーくんは、保育園時代、給食もなかなか食べられず、ひとりポツンと昼休みまで取り残されている時、ボクが100数える間に食べてごらん、と言って付き合ってくれるような優しボーイだった。100まで数えられるのもすごかったし、文字もスラスラ読めたのでかっこよかった。絵本を読み聞かせてくれて、同い年なのにそんなテンポで読めるの!?とびっくりした。優しくて物知りで、わたしにとってはヒーローだった。
引っ越して祖母と同居するようになってからは、主に祖母が食事を作ってくれるようになった。両親が共働きだったから助けてくれていたのだが、今から思うとあまり料理は好きじゃなかったのかなあと思う。めんどくさいもんね。毎日じゃ。美味しかったものもあるが、そうじゃなかったものも結構あった。でも今となってはそれすらも恋しい。また食べたい。できれば美味しかったほうのやつをリクエストして、一緒に食べたい。
とにかく身体が弱かったので、東洋医学にはとてもお世話になった。園児の頃から震え上がるほど苦い薬草を煎じたものを飲んでいたり、ツムラの漢方もずいぶん飲んだ。後にテレビで大人気になった石原結實先生とも小学生の頃にすでに出会っていて、かの有名なにんじんリンゴジュースは何年も毎朝飲んでいた。それから一通りの健康食品は通ったんじゃないの?というほど色々なものも試した。健康のことに関しては、お金を惜しまない家だった。アロエエキスやノニジュースのようなライトなものから、アムリットという名前の、どう考えてもうんちみたいな匂いのするインドのアーユルベーダの真っ黒な発酵ペースト?なども、毎日ゾワゾワっーとアニメ並みの鳥肌を立てながら舐めていた。あれは何だったんだろう。今でもあるのかな?ちょっとは人に優しい味になってるといいな。ちなみに今まで試した中で二大まずかったものは、このアムリットとモリンガの種だ。モリンガ茶はいけるけど、種、あれはだめだ。余韻がひどい。
そんなわけで基本的に食べることは好きではなかったが、好みのものだけを頼める外食や、たまに買ってもらえるドーナツなんかはとても嬉しかった。ご褒美は嬉しい。いつもご褒美がいい。
実は今でも、ご飯はぜんぶお菓子でもいいくらいなのだが、人として破綻するので踏みとどまっている。住みたいよね、お菓子の家。甘いものとしょっぱいものを交互に並べてくれたらたぶん一生暮らせるような気がする。でもこのnoteを書いている今現在は少し節制中なので、コンビニにすら行っていなくて偉い。食に関してはどうしても甘やかしたい気持ちがつよい。だってもう怒られないし!
人生の入りとしては、食に関して嫌だった記憶が濃いのだが、それでも様々なものは気を使っていてくれていたと思う。玄米を混ぜてくれたり、白砂糖を使わなかったり。大豆でできた唐揚げなんかもあの当時で食べていたのは相当早い。内と外から両方整えるということで、瞑想やレイキなんかもずいぶん早い段階で通った。瞑想しながらよく寝ちゃってたっけ…
できてる出来てないは別にして、必然的に内観する時間は、子供にしては人より多かったのではと今になって思う。ピュアな状態に帰ることができた。肉体と、魂と、宇宙とを行き来していたような感覚だった。目に見えないものの感覚を大事にしていた。
食べることが楽しくなったのは、高校生、大学生くらいからだと思う。外で自分で好きなものを食べようと思えば食べられるようになってから、楽しいなと思えるようになった。学食や、友だちと食べるミスドは美味しかったな。(お菓子だな…)
受験生のときは食べられなくてガリガリに痩せたりしたけど、友だちとおしゃべりしながらの時間は楽しかった。少なくとも食に対しての恐怖は消えていた。食べる時間がどういう時間なのかが大きいのだと知った。塗り替えられてよかった。ちなみに父はヘビースモーカーだったので、パパッと自分の分を食べたらもう外にタバコを吸いに出て、いつもみんなとは一緒にいなかった。
改めて言うが、父のことを恨んではいない。
ただ、大いに学びにはなっていると思う。
面でも反面でも、教師は教師だ。
とまあこんな感じで。
うん、書いてても変わった子供だな。これが第一章です。
第二章は、菜食になる。です!
書くのがゆっくりになってしまうけど、気長に待っててください!
そして、写真のしゃの字も出てこなかったけど、恒例なので宣伝しちゃうよ!
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