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わたしのこと。#9 俳優になるまでのはなし。つづき

目が覚めてから10秒くらいはたいてい寝ぼけて混乱していて、場所も時代も、何もかもがわからなくなる。目覚めた瞬間はいつも実家の2段ベッドの上にいて、右側の壁に窓がないことに驚き、光の速さで考えながら、あ、ここは今東京で、2段ベッドじゃなくてロフトベッドに寝ていて、もうわたしは大人なんだった、と整理しながら世界に降りてくる。床で昼寝なんてしてしまうと、さらに迷子になる。
ここは実家じゃないから、ただいまーって父も母も祖母も帰ってこないし、そもそも父は亡くなったし、祖母はボケてしまって施設にいるし、だから大人は帰ってこないんだよ、というかわたしも大人だし!
みたいなことを毎日繰り返して、諸行無常を思い、また大河の一滴だということも思い知らされる。
みんなが知っているような何かを成し遂げるひとなんて一握りで、でもみんなが知っているような何かである必要もないとも思うし、たいていはささやかで、でも悩みもたくさん抱えて、しあわせを数えながら死んでいく。

読者モデル時代のポラチェックから。



#8 からのつづきです。俳優になるまで。

就職を辞退したまま大学を卒業したわたしは、東京に暮らしはじめ、アルバイトをしていた。一方で大学の頃から頼まれてやっていた読者モデルも続けていた。住まいが東京に移り通いやすくなったこともあり、件数もぐんとふえた。原宿の美容室制覇できちゃうんじゃないかな?ってほどたくさんの店舗に行った。手元にあるショップカードと名刺は膨れ上がり、百科事典のような厚さだった。有名どころはほぼ回ったのではないかと思う。大学生の頃から原宿に行くと必ず声をかけられ、一旦立ち止まると後ろに2、3人は並んでしまうという具合で、トイレに行きたい時なんかは困ったりした。
多くはないけれどギャラも出ていたのでアルバイトのように通っていた。カットもカラーもトリートメントもすべてキレイにやってもらえるので10年以上自分で行くことはまずなかった。

モード系雑誌のポラ。
長いとき。
短いとき。

そんななか、あるエキストラ会社に声をかけられ、バイトもしているし、その延長でやってみるのもいいかな、と思って登録した。今はもうない会社だが、後に有名になったタレントさんなども登録していた大きな会社だった。わたしはダンスも習っていて器用だったので、何歩でここに歩く、とか画面のここで商品を見せて欲しい、とかいう要求に応えるのも上手く、エキストラの他にスタンドイン(タレントさんの代わりにリハーサルをするひと)や商品カットのパーツモデルなどもやったりした。仕事は結構あるほうで、エキストラなのにCMでセリフをもらったり、現場で気に入られて俳優さんに近い役割を与えられたりした。
今から思うと、エキストラとしてはずいぶん頑張っていた方だと思う。
それでもやっぱり扱いの悪い現場もあって、真冬の公園で3時間もキャミソールで立ったまま待たされて風邪を引いたり、挙句、そこの緑の彼女、いらないわ、とか簡単に言われてしまうことに嫌気もさしていた。おなじ人間なのに、モノとしてしか見られないことがあり、これは耐え難かった。
おなじ時間を過ごすなら、お芝居する方にいきたい。と思ったのが俳優になろうと思ったきっかけだ。
そんなわけで、エキストラ時代に優しくしてくれた俳優さんは一生忘れられない。またその逆も…。
わたしは俳優さんでもスタッフさんでも、エキストラさんや立場的に下に置かれているひとに対する態度などをよく見ている。この世界が激しく縦社会なのは理解しているが、やっぱり理不尽はよくない。乱暴だったり、思いやりや思慮配慮が欠けているのは嫌いだ。有名無名で対応変える人もはっきり言って嫌いです。蔑ろにされたり、嫌な思いはたくさんしてきました。
昨今いろいろ言われているけれど、強いパワハラセクハラは確かにあります。というか、ありました。許されない時代になってきて良かったと思っています。これからはもう無理です。

冒頭に戻ると、みんなが知っているような何か、ではないかもしれないけれど、作品として何かが残るというのは素敵なことだな、と思って俳優の世界に踏み込みました。
なので当時は映画に憧れていたはずなのだけれど、紹介してもらったのが舞台の制作をしている事務所で(現所属事務所です)、自動的に舞台のレッスンを受けるようになり、以後15年以上ほぼ舞台の世界でやってきました。右も左もわからない中、宿題で脚本も書いたりして、仲間に当て書きしながらみんなでお芝居して、毎日のように笑って泣いて飲んで、何度も舞台に上げてくれた事務所には本当に感謝しています。よく怒られたけどしがみついてよかった。花澄が一番最初に根を上げると思っていたんだけどなぁ、最後まで残ってるなぁ、というのはいつも言われることです。
わたし打たれ強いんですよ。ダンスの先生もめちゃめちゃ怖かったし、あと心臓に毛も生えてるんで。

舞台の、あのダイレクトに反応が返ってくる感覚は、やった者にしかわからない財産だと思っています。一発勝負で、駆け抜けるところも、映画では味わえません。集中力も自ずとついたと思います。初日の朝とか、ウゲェってなるけど、それも含めて愛しい時間です。板の上にいる時は、最高にしあわせを感じます。最初は見てる方がドキドキすると言っていた家族も、いつの頃からか普通に楽しんでくれるようになりました。

…なのですが、コロナ以降4本くらい舞台が飛んでしまって、なんか縁自体が途切れてしまった感があって(そのあと昨年1本やりましたし、来年も予定はあるのですが)それですこし違う方向にシフトしたいなあと思っていたところに映画の主演のお話と、写真を本格的に発表したいなというのも重なって、今はちょうど舞台を少し離れて、転換期にいるのかなあというところです。
「相棒21」のお話もありがたかった。ちょっと高めのハードルが、ポツポツと目の前に現れるようになっていて。仕事が仕事を呼んで、ひとつひとつお芝居に取り組めたらいいな、というのが今の目標です。まだわたしのことを知っている人の方が少ないと思うので、繋がって回り始めたら嬉しい。いま撮影中の映画も早くお知らせしたいです。まだ大変なシーンが残っていますが。

と、ここまでを、また沖縄に撮影に戻る前に書き記しておきたくなったので、残しておきます。クランクアップしたらまた見えてる世界が変わっているような気もするし。それともいつも通りなのかなあ。まだわからない。舞台とは別種類の刺激があることは確かです。毎回新鮮で、慣れることは無さそう。
でもドラマで一言ふたことしゃべっていた頃よりも、最近の方が緊張しなくて、それはびっくりしています。出来上がった現場にいきなり行って、いきなりしゃべってって方が逆に短時間でいろんなものが押し寄せてくるのかな。全体をよく読んで、役割を考えて取り組める今の方が、落ち着いてできている体感がある。現場が楽しい。

もっと、お芝居したいなあ!
(もう台風こないで)

わたしはやりたいことがたくさんあるので、もう何屋でも構いません。写真を撮ることもお芝居も、本当に愛すべき時間だと思っています。今は大所帯のなかにいるので、撮影が終わったら、また静かなひとりだけの世界にも篭りたいなあって思っています。わたしには両方が必要。

M型ライカでセルフポートレート撮ったという、気の遠くなるような写真集はこちらから購入できます。
編集デザインも自身で手掛けました。マルチ!(笑)
素敵な本になっていると思いますので、ぜひお手に取ってみてください。

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