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夜の来訪者
『夜の来訪者(An Inspector Calls)』という映画を観た(2015年イギリスTV映画版)。イギリスでは誰もが義務教育中に学ぶという、J.B. プリーストリーという劇作家による戯曲が基になっている。
ある晩、裕福な邸宅で家族が婚約の祝賀を開いていた。そこへ警部と名乗る一人の男がやって来る。そして男は、ある若い女性が自殺したことを告げる…。
主要登場人物はその場にいた両親、娘、息子、娘の婚約者、警部、そしてこの若い女性のみ。特権階級を鼻にかけている両親と同調する娘の婚約者。どこかで階級社会に疑問を抱きつつも、その特権を利用してきた長女。親から一人前と認められず、アルコールに力を借りている悩み多き次男。
若い女性の生と死と、五人の言動との関係――ひとつひとつが警部の尋問によって暴かれていく。
ラストと思わせるところで、警部が語ることばが秀逸。ひとはさまざまな他者――会ったことも、これからも顔を合わせることはないかもしれない数え切れないほど多くの人々――に支えられて、お互いに知らず知らずのうちに影響を与え合って生きていることを再確認する。
裕福になって、他者の存在を忘れてしまう人々がいる。不自由のない暮らしを手に入れた途端、『金は天下の回り物』であることなんて、端から知らんぷりを決め込む“天界”の人たち。
貧富の格差が進むアメリカでは今、富裕層が自分たちのための独立した自治体をつくっているという(関連動画)。開いた口が塞がらなかった。新たな自治体でも、彼らの生活を円滑に心地良いものにしている縁の下の力持ちは富裕層に属さない人々だというのに。同じ社会の一員として、さまざまな層・人種・背景をもつ人々が交わらない先には何が待っているのか。
この戯曲は1945年に初演されたものだが、ひとは、世の中は、ときに一進一退を繰り返しているだけのように思われてならない。