ブルアカ『あまねく奇跡の始発点』感想②──勇者の資格
最終編3章までのネタバレを含みます。
↓ 前回の感想
連合作戦
なんといってもペロロジラvsカイテンFX Mk.∞ですよ。すごすぎる……。特にロボが理屈とかなく巨大化するというジェットジャガーのオマージュもあり、特撮をふだん見ない自分でも激アツになれた。なにより、ペロロジラもカイテンFXもすでにプレイヤーが「知ってるエネミー」だからこそ安心して見られる。
しかもなにがすごいって、カイテンFXの巨大化の制限時間3分がブルアカのふだんのバトルの制限時間と完全に一致しているんですよ。もちろん巨大化が3分までなのは特撮オマージュなんだろうけど、ここまでくると神に愛されているとしか思えない。最初に思いついた製作チームのひとは脳汁止まらなかっただろうな。
最終編3章
PVでも先出しされていた巨大戦艦での戦いが始まる。かなりヤマトとエヴァの味が強くて、ほんとうに日本のサブカルが好きなひとが作っているんだなあと思わずにはいられない。でもそうしたオマージュ要素がちゃんと作品に溶け込んでいて、必然性のある展開になっているのはこれまで空気感をきっちり構築してきたおかげだよなあ。
リオ会長とアリスの話は完全にパヴァーヌの積み残しを解消していくかたちだった。リオ会長はヒマリからのガチ説教とその後の有能ムーブ、さらにアリスからの赦しというかたちでしっかり「禊」をさせられていた。このゲーム、「禊」というか「落とし前」にすごくこだわるよな。ミカにしてもサオリにしても禊が完全に済むまで実装しなかったし、リオ会長もトキにごめんなさいするまでは実装させてもらえなさそう。でもブルアカのそういう生真面目なところが好き……(まあ別に禊とかしてないのになんか実装されている脱獄囚や横領犯もいるが……)
3章でハナコは「国を滅ぼしてしまった王」の話としてギリシア神話っぽい叙事詩の内容を語っている。その王は「予言者を追放し、神殿を壊し、門を閉ざし」たと言われていて、これはエデン条約におけるミカの行為(セイア襲撃)とパヴァーヌにおけるリオ会長の行為(要塞都市の建築)にかなり直球で刺さっている。
セイアはこの叙事詩について「王の過ちはただ一つ…彼が「王」で在るという事だけ」と述べ、それぞれの行動が立場上やむをえないものであったと捉える。力と立場のある者がそれゆえに最善手を選ぼうとして破局するというのはブルアカのストーリーでよく見られる構図だ。
セイアはさらに「王が自身の能力を諦めていれば──」と語る。力が破局を招くなら、いちどそれを放棄しなければならない。実際それをやったのが連邦生徒会長であり、彼女から職務を引き継いだ「先生」なのだということだろう。エデンにたどり着けるのは余計な力など持たず、無駄な賢しらさや予言など持たない「愚者」なのである。ちょうどタロットで正位置の「愚者」が「迷いなき歩み」を意味しているように──(諸説あり)。
そういう意味では、作中で何度も「愚者」であることが強調されているコハルが、その実、きわめて純粋な黄金の精神の持ち主として描かれていることとも平仄が合う。(コハルのことを愚者よばわりするのはほんとうに失礼だけど、でもそういうことなんだと思う)。
そして、ケイとアリス──
基本的に完全退場するキャラがいないブルアカにおいてこれをやるという、非常に気合の入ったエピソードだった。ケイとアリスの対話はパヴァーヌ2章終盤にてかなり駆け足で終わった感じがあったので、そこを拾ってくれて嬉しいという気持ちがまずひとつ。そしてパヴァーヌ2章における「アリス=勇者」「ケイ=魔王」という単純な構図をいちど否定したうえで、アリスに「理解できないとしても……ケイと向き合うべきでした」と言わせる絶妙さ。さらに「誰かを助けたいと思う気持ちこそ──「勇者」の資格である」という再定義をしたあとで、ケイにアリスを救わせる……その瞬間にケイは間違いなく勇者の資格を得ているわけですよ。
しかもケイの自己犠牲は、その前にアリスから「ケイも、ケイが望む存在になることができます。誰かに許可をもらう必要もありません」と言われたからなんだよな。機械的存在であったケイが自ら望んだ結果、その選択をしたという点に非常に重みがある。ケイは間違いなく理解できない存在を通じて己を理解して行動している。
古則や世界観についてもいろいろ思うところはあったが、長くなるので別記事にした。
↓感想③