皇暦2681年7月25日 入籍しました❤️
遂にこの時がやってきた。
輝樹との入籍。輝樹と正式に家族になる日。
私が「後藤」になる日。
入籍する日は1年記念日である7月25日にすると
前から決まっていた。
日付が変わり、25日になった時、布団に入りながら、
「1年経ったんだね〜!」と2人で抱き合ったもんだ。
「そんなに私の事が気に食わないなら
結婚するの考え直せば!」
なんて言ったのもつい最近でもあったくらい、
それはそれは何度も何度も話し合いをした。
↑
これは輝樹が私の悪い行動を正そうとして言ってくれた言葉に対し、私が発しました。
それでも、そんな事言うのよくないよね。ごめんね。
合わないと思うとスパッと関係を絶ってしまう様な、
情がないというか、冷血というか。
そんな私がこうして今でも一緒にいるというのは、
私自身、相当輝樹に惚れ込んでるんだと思う。
私が初めて輝樹を知ったのは2016年の
あの政見放送である。
ニコニコ動画で見かけて、
最初はお笑い番組かなんかのネタ動画なのかと思った。
(改めて見返すとメッセージ性溢れ、遊び心もあり、
どの政見放送よりも伝わりやすい
立派な政見放送だと思う)
それから4年後の2020年。
地元のブラックな職場から抜け出し、
「兎に角東京に出てみたい!」という単純な理由で
コロナ禍の中、田舎から飛び出した。
新しい職場はコロナ騒動の前に内定を貰っていたので
こんな事になるとは思わなかった。
疲弊した東京の街は寂しさをより一層際立たせ、
愛する家族にすら会えず、時々涙を流したりもした。
そして暑くなってきた頃、
輝樹の政見放送が載った誰かのツイートが
私のTwitterのタイムラインに流れてきて、
すげぇ面白い人だな〜と流れで何となく
TwitterやYouTubeと見始め、
そのうちホームページやウィキペディア、
過去の記事などにまで目を向けていて、
知らぬ間にどんどんどんどんのめり込んでいった。
『こんな素敵な人がいるのか、逢ってみたい。』
そして、DMで連絡をし、たまたま次の日にあった
個人演説会に参加。
随時スタッフを募集しているという話を聞いては、
その日に後援会に入り、
次の日からはスタッフとして参加した。
輝樹は「俺は世に全てを曝け出している」と言うが、
ネットやテレビで見ただけでは後藤輝樹という人間は
50%位しか知ることが出来ないと私は思う。
逢えば逢う程、後藤輝樹を知ることが出来た。
知れば知るほど、後藤輝樹が好きになっていた。
後援会の人間が候補者に恋愛感情を抱くなんて不純だ!
そんなふうに思われるかもしれないが、
ここまで「後藤輝樹」を知ってしまえば、
恐らく男であっても惚れない人間はいないだろう。
仕方がない話である。
輝樹も私に対して好意的に想ってくれていて、
一緒にご飯を食べに行ったり、お出掛けしたり。
そして、輝樹からの告白を受け、
正式にお付き合いする事になった。
美しい景色を、美味しいご飯を、四季折々の風を、
心地よい匂いを、辛い道を、悲しい出来事を、
一緒に感じ、一緒に過ごし、時に反発したりして、
「やっとだね」と言い合える
この今日という日を2人で過ごせたというのは、
まさに奇跡の連続で出来ている。
恋愛ゲーム世界一レベルのプレイヤーでも
まずクリア不可能だろう。
この運の良さは宝くじ1等を連続で
10回当選しているようなもの。
ああ、また変な例えをしてしまった。
応援してくださる皆様。
いつも本当にありがとうございます。
この度、私たちは正式に結婚しました。
これからは夫婦、力を合わせて幸せいっぱいの
家庭を築いていきたいと思っています。
そして「後藤輝樹」の妻である事を自覚し、
全力のサポートをしていきたいと思います。
どうか温かくご指導くださいますよう
お願い申し上げます。
・・・
輝樹へ
輝樹、いつもありがとう。毎日幸せだよ。
これからは家族だよ。やったね!おそろっち!
たくさん想い出作ろうね。
お互い初めての結婚で
分からない事とか、怖い事とかあっても、
いつもの「余裕余裕!」の精神で乗り切ろ!
ていうか2人なら絶対になんとかなる!
幸せ確定だもんね☺️
おじいちゃんおばあちゃんになっても
手を繋いで歩こうね。
これからもよろしくね。
ずっと大好き♡
皇暦2681年7月25日
ごとうちなつより愛を込めて