「なぜ裏切ったのか言いなさい」第3話

 その部屋は、研究所の地下二階にある。
 白い壁、白い床、白い天井。そして白い医療用ベッドが二つ。
 医療用ベッドには、それぞれ一人ずつの人間が眠っていた。
 その他に二人の人間がいる。
 一人は白いワイシャツと古びたスラックスに身を包んだ中年の男。何か不安そうな顔でオロオロしている。
 もう一人は相馬レミ。腕を組んで目を閉じて、壁に背を預けている。
 中年の男は、媚びを売るような表情で言う。
「相馬君。何か本気で言っているのかね?」
「既に手詰まりよ。校長先生」
 相馬はニヤリと笑う。校長は額に汗をかきながら言う。
「霧江トーコが戻ってきたのは、予定外だった。しかも、よくわからないうちに、私が教育委員会に申請をした事になっているから、追い返すわけにもいかない」
「何それ。システムがハッキングされたってこと?」
「そうだ。考えうる最悪の事態だ」
「この施設を学校に偽装したのがそもそも無理だったんじゃない?」
「十代の人間を集めて育成する施設だぞ。他にどうしろと言うんだ?」
「知らないわ。十代の人間を集めなければよかったのに」
「実験の都合上、それが都合がいいんだ……」
 相馬がバカにしたような事を言うたびに、校長は言い訳めいた言葉を発する。
「過去の失敗の話は後にして、さっさと次の方針を決めた方がよくない?」
「この状況で、私にどうしろと言うんだ?」
「霧江トーコは殺すしかない」
 五年前とは状況が違う、死亡確定の状況から生きて帰ってきた。多分、目的は復讐。殺られる前に殺るしかない。
 だが霧江は強い。通常の手段で殺すのは難しい。
「可能なのか? 須藤は生徒指導室を脱出する時に警備部隊を全滅させた。しかも、その須藤ですら霧江には勝てなかった」
「なら、もっと強い武力をぶつけるしかない。こいつらみたいなね……」
 相馬は医療用ベッドを指さす。
 ベッドに寝ている二人の人間は、人間兵器の失敗作だ。
 この前、相馬が須藤に使った注射よりも強力な薬剤を長期間にわたって投与し続けた。その結果、身体能力は上がったが、代わりに理性を失った。こちらの命令を全く聞かない。開放すれば暴走する。だから薬品で何年も眠らせている。
「昨日の夜も、そういう結論になったでしょ?」
 相馬は制服の襟を軽く引っ張って見せる。校長はそれをぼーっと見つめた後、ごほん、と咳払いする。
「まあ、そうだが……これを使うのはやっぱり危険じゃないかね? どうやっても制御できないんだから……」
「別にいいでしょ。暴走するなら暴走させればいい。爆弾みたいな物だと思って、指定の場所に放出して暴れさせる」
「終わった後も暴れ続けるんじゃないか?」
「狙撃で殺せばいい。それは私が担当するわ」
 相馬のあまりにも雑な計画に、校長は不機嫌そうな顔になる。
「使いつぶすのはもったいなくないかね? こんなのでも、それなりのコストが掛かっているのだぞ」
「構わなくない? 別の場所で使うとしても、こんな使い方しかできないし……それなら維持費の方がもったいないわ」
「むぅ、やはり仕方ないか」
 校長は諦めたように唸ると、真剣な顔で考え始める。
「実行に当たっては、教職員は退避させた方がいいな。生徒も寮に閉じ込めるか……あとは、霧江先生だけをどうにか呼び込む方法が問題だ」
「倉橋先生を使えばいいんじゃない?」
「だが、校内にいれば殺されるぞ」
「それが何? ここではたくさん死んでるし殺してるでしょ」
「あいつはかなり従順なタイプだ。洗脳しなくても言うことを聞く奴を亡くすのは惜しい」
「必要最低限の犠牲よ。問題ないわ」
 相馬は平然と言い切る。校長は鼻を鳴らす。
「ふん。まあ代わりはすぐ調達できるだろうがな」
「じゃあ、起床作業に入りましょうか」
「うーむ。本当にこいつらを起こすのか?」
 弱気になった校長を見て、相馬は額に指を当ててしばし考え込み、言う。
「でも追い詰められたら結局出すんでしょ?」
「それは、まあ、そうなんだが……」
「今が追い詰められている時よ。今使わなくていつ使うの? さっさとしなさいよ」
 相馬の熱弁に校長は目を見開く。
「どうした? 何か焦っているようだぞ? そんなにこれを使いたい理由でもあるのか?」
 校長は下卑た笑みを浮かべながら、相馬の肩に手をのせる。相馬は無表情でその手を見つめていたが、やがて言う。
「霧江は、私の事も忘れていなかった。先手を打って殺さないと、私ですらどうなるかわからない……」
「ん、んー? 君がそんな弱気になるのは珍しいなぁ」
「そうね……」
 相馬は目を逸らす。
「そもそも、霧江トーコはなんで今更戻ってきたんだ? 何かきっかけがあったのか? 誰かが呼び戻したのか?」
「それに関しても、調査は必要ね。まあ、ある程度の目星はついてる」
「何? 誰だ?」
「たぶん、倉橋先生でしょ。何か話しているのを見たわ」
「バカな。あいつが私に反抗していると言うのか?」
「逆らった自覚があるとは限らないわ。ただ、ちょっと昔を懐かしんだり昔の生徒を可哀そうに思ったりしただけかも」
「くそっ。やはり洗脳していない職員は処分するしかないか……」
 校長は悪態をつくと、医療用ベッドの前に立つ。
「薬剤を一回投与しただけの須藤が、素手で警備部隊を全滅させた。なら、五年かけて薬剤を投与し続けたこいつらは、どれだけ強いんだろうなぁ」
「ふふふ」
 思わず相馬は笑ってしまう。
「どうした?」
「いいえ。なんでもないわ」
 校長の私兵を銃で皆殺しにして、須藤を脱走させたのは相馬だ。
 だが校長には嘘を伝えている。まだ校長がその嘘を信じているのを見て、相馬は内心、ほくそ笑んでいた。

 この学校に赴任してから一週間。
 その朝、トーコはいつものようにスクーターで学校へと向かっていた。九十九折りの坂道を登り切り校門のゲートの前で止まる。
 ゲート前には誰もいなかった。監視カメラで見ているはずの警備部隊すら出てこない。
「……ちょっと? なんで今日は誰もいないのよ! 開けなさい!」
 何かとてつもなく嫌な予感がした。だが、ここで帰るわけにもいかない。
 大声を出しても誰も来ないことを確認してから、トーコはスクーターをその場に止めて、校門のゲートを飛び越えた。
 詰め所のドアのノブを回すが開かなかった。
 カギのかかった窓から中をのぞく。
 無人。荒らされた形跡はない。
 電子機器の類は普通に電源を切られている。電源プラグが抜かれた電気湯沸かし器を見て、さすがにトーコは眉をひそめた。
 この学校に、休日、などという物があるわけがない。仮にあったとして、警備室を空にする理由がない。
 ゲートを乗り越えても誰も来ないということは……警備システムが完全に止まっているか、職員が全員死んでいるか、あるいはわざと放置しているか。
 どれだとしても異常事態だ。
 トーコはしばし考えた後、スマホを取り出しジェイクを呼びだす。数コールで出た。
「何? 忘れ物?」
「違う。何か様子がおかしい。今、校門を入った所だけど、誰もいない」
「どういう意味?」
「そのままの意味よ。普段いるはずの人間がいない。しかも、別に攻撃を受けたわけではないらしい。異常の理由がわかってから電話しても遅いような気がしたから、電話した」
「わかった。すぐ行く」
「いえ。校内までは来ないで。何かの罠の可能性がある」
「それ、どこまで行くのがちょうどいい?」
「坂道の入口手前ぐらいね。学校に来る気がないって言い訳できるギリギリまで来て」
「わかった。ついた」
「それと、最悪の場合は今日中に脱出することになるかも知れないから、覚悟しといて」
「脱出って、今のセーフハウスから?」
「いえ。日本から」
「そこまでする?」
「この国、警察は優秀らしいから。私たち、少なくとも銃刀法を違反してるでしょ。警察が介入するような状況になったら、アウェイでやっていけるわけないわ」
「確かにそうだけど、計画を途中で放り出すことにならないかい?」
「相馬にはもう会った。忘れていたことも思い出した。私を嵌めたクズなのは確認済み。命を懸けてまで追及したい疑問はないわ」
「じゃあ、今すぐ脱出するってのは?」
「さすがに、そういうわけにはいかない。ここで何が起こっているのか確かめないと……」
「わかった。気を付けてね」
 通話を終える。
「私もバカね。偽教師なんだから、生徒なんて見捨てればいいのに……」
 トーコはひとりごちると、カバンの中の拳銃の感触を確かめた。すぐに使うことになるかもしれない。
「……行くか」
 気合を入れてから、校舎に向かって歩く。

 入口にたどり着くまでの間、誰にも会わなかった。何の妨害もない。
 どこかから狙われているという気配もない。
 校内に入る。廊下の明かりが消えているが、それ以外に異常はない。トラップを警戒しながらげた箱を開けて、内靴に履き替える。
 職員室の扉に耳を当てると、中から物音が聞こえた。人がいる。
 ノックしてみる。
「誰だね、入りなさい」
「霧江君? 来たのか……そうか」
 倉橋がいた。少しほっとした表情にも見えた。他には誰もいない。
 普段なら授業が始まる前の準備をする頃。この時間帯にほぼ無人なのはおかしい。
「倉橋先生。あなただけですか?」
 トーコの問いに、倉橋は力なく頷く。
「そのようだ。たぶん、私だけ何の連絡も受けていないが、」
「私も連絡されていませんが?」
「だろうね。だからここにいる」
 倉橋は、既に何かを諦めているように見えた。
 全てのカーテンが閉まっているのに気付いた。
「カーテンを閉めたのは?」
「私だが?」
「狙撃を警戒したからですか?」
「さあね」
「私を見てほっとしたのは、私が刺客ではないと判断したからですか?」
「……ずいぶん物騒なことを言うね?」
 倉橋は穏やかな顔でそう言う。
「なんですか、それ。覚悟を決めてるみたいなけど、全部を諦めてるだけでしょう」
「私にも私の人生があったんだよ。全く他人に誇れた物じゃないから、話そうとは思わないがね」
「はぁ?」
「ここに長年務めているのに洗脳されていない職員は、人でなしだ。もちろん私も例外じゃない」
 倉橋が何を言っているのか、トーコには全く理解できなかった。
 確かに、学校内で生徒が射殺されているのに警察を呼ぶ事すらせず隠ぺいしているのは、人でなしかも知れないが……。
「どうして私とあなただけ、連絡が来なかったんですか?」
「君は今日、殺される。たぶん私も」
 トーコの質問に倉橋は答える、感情を交えず、事務的に。
「誰がそんなことを決めたんですか?」
「校長だよ。生徒や教職員の生殺与奪を握っている者が他にいるかね?」
「校長って、そんな権力があったんですか?」
「普通の学校は違うかも知れない。だが、ここではそうなんだよ」
「そうですか」
 トーコは、自分で答えながら間抜けな返事だな、と思った。だが他に言いようがない。
 倉橋は廊下の方を見る。
「つまり、敵が襲ってくるかもしれない、という事だ。今この瞬間にも」
「敵が来るなら戦って倒すだけです。私は今までそうしてきた」
「勇ましい事だよ。何か武器はあるかね?」
「いえ……手元には何も」
 トーコは嘘をついた。倉橋はトーコのバッグをちらりと見た後、頷く。
「では、そういう事にしておくとして……一番いいのは、職員室から動かないことだ」
「なぜ?」
「私が校長なら、屋上から狙撃させる。むしろ、よくここまで来れたね」
「用心していますから」
 トーコは適当に答え、廊下につながる扉を指さす。
「ここに閉じこもっていた所で、刺客が来るのを待つだけになると思います。私はもう行きますよ」
「そうかい? 気をつけなさい」
 倉橋はあくまで職員室に居座るつもりのようだった。それならトーコも一々気にしないことにした。

 〇

 職員室を出る。廊下の端で何かが動いたような気がした。だが、そちらを見ても不審な物は見当たらなかった。
 とりあえず見なかったふりをして、廊下を歩き、靴を履き替えて外に出る。次の方針は決まっていた。敷地内にある学生寮を見に行く。
 校舎から数歩離れて、トーコは辺りを見回す。
「屋上から狙撃か……」
 この辺りに、そこまで高い建物はない。しいて言うなら、校舎の屋上が一番高い。
 あまり深く考えても仕方ないので、トーコは気にせず堂々と歩いた。
 学生寮は校舎の北東にある。コンクリート造りの白い建物は、穏やかな朝日に照らされていた。
 ここが無人だったら、本当に異常事態と呼ぶしかないと思っていたが……実際はさらに異常だった。
「何これ」
 思わず声が出た。
 正門らしき場所はコンクリートのブロックのような物を並べて塞いであった。絶対に乗り越えられないという程ではないが、校門よりも厳重だ。
 ここは通さないと言いたいらしい。トーコが中に入れないのはもちろん、中の生徒を外に出したくないのだろう。
 出てこないなら、たぶん安全なのだろう。無視していい。

 トーコはここからどうしようかと考える。
 もうやる事がない。田所を心配しても意味がないし、倉橋は諦めの境地に入っている。相馬は姿を見せない。それなら、全てを無視して帰ってしまうのもありかも知れない、などと思ったりもした。
「……?」
 トーコは辺りを見回す。
 何かわかりやすい予兆があったわけではない。ただ、確実に普通ではない空気を感じた。
 校舎の屋上、明るくて何も見えない。屋上のフェンスの規則的な影。その規則性を破るように一か所だけ飛び出した異物が。
「っ!」
 トーコは何も考えずジグザグに走った。一秒ごとに走る方向を変えて。
 近くで銃弾が土に跳ねる音、そしてほぼ同時に銃声。
 トーコは校舎の壁まで駆け寄り、背を預けて息をつく。
 敵は校舎の屋上にいる。真下は撃てないはず。
「……」
 確信はないが、今のスナイパーは相馬だったような気がした。
 この時点で帰るという選択肢はなくなった。
 トーコは油断なく周囲を見回す。第二のスナイパーがいる可能性もあった。今のところ、その兆候はないが、早めに校舎の中に入る。
 げた箱で内靴に履き替えようと考えて、すぐ思い直した。既にそういう事を気にしていられるような事態ではない。バッグの中から拳銃を取り出し、バッグはそこに置く。
「……行くか」
 トーコは気合を入れて、土足のまま廊下を歩き出す。
 待ち伏せを警戒しながら階段を上り、三階のさらに一つ上。屋上への扉がある。
「……」
 トーコはそっと扉に手をかけた。深呼吸して覚悟を決めると、扉を勢いよく開けて屋上に飛び出る。拳銃を構えて扉の正面、左右をクリアリングする。
 屋上には、誰もいなかった。
「……」
 トーコが上がってくる前に逃げた、塔屋の裏に隠れている、塔屋の上に隠れている。可能性はいくらでも考えられる。
 屋上のフェンスにロープが結ばれているのに気付いた。ロープは校舎の外に垂らされている。ここから逃げたのだろう。
 トーコは自分もロープを伝って追いかける事を考え、即座に却下した。モタモタとロープを降りている所を狙撃されるだけだ。
「はぁ」
 ため息をついて、校内に戻り、屋上の扉を閉める。
 スナイパーを見失った。
 一発目が当たっていたらそこで終わり。避けたとしても誘われる。スナイパーを追いかけて屋上までノコノコ上がってしまえば、校舎に閉じ込められる事になる。嫌な攻め方をされている。
 スナイパーが隠れた方向を予測して、そことは逆側に逃げれば校外に脱出できるが……
「東西南北の四択としても、正解はせいぜい一つか」
 賭けとしては分が悪すぎる。
 トーコはなんとなく倉橋が職員室に居座った理由が分かった。何を選んでも正解だという確信が持てないなら、選ぶことが無意味になる。
 それでも諦める気はなかった。
 トーコは警戒しながら階段を降りる。
「霧江先生、何をしているんですか?」
 三階と二階の中間まで下りた時、男子生徒から声を掛けられた。
 その男子生徒は二階の廊下に、当り前のように立っていた。
「誰?」
「佐藤です」
 顔を知らないので、本当かどうかわからない。
 見た感じ、武器を所持していないが、油断するわけにはいかない。
 それと、トーコの気のせいかも知れないが、生徒と言うにはやや年が上のように見えた。偽の学生かと疑う。
「どうやって学生寮の外に出たの?」
「普通に門を通って出ましたけど?」
 学生寮の正門を通ったなら、コンクリートのブロックで塞がれているのを見たはずだ。それに言及しないのは不自然。
「……あなた、私が担当した生徒だっけ?」
「そうですよ」
「私が何の教師か言ってみなさい」
「えーと、保健室の先生ですよね?」
 間違い。トーコは即座に拳銃を向けた。男子生徒は嫌そうな顔で両手を軽く上げてみせる。
「白衣で判断して、適当なことを言っているでしょう?」
「まあそうですけど。……正解は何だったんですか?」
「化学教師よ」
「化学って調合の授業はないですよね。白衣って必要ですか?」
「私がこの学校で教わった時も調合の授業はなかったけど、教師は白衣を着てたわ?」
「それはたぶん、その人が白衣を着たかっただけですよ」
「なら、私が白衣を着て化学の授業してもいいでしょうが」
「おっしゃる通りですね」
 男子生徒は素直に認めた。
「負けを認めるの?」
「いえ。今の状況がよくわからないです。間違えることぐらい、誰だってあるでしょ? あと、なんで僕は銃を向けられてるんですか? 先生のことを知らなかったぐらいで、そんな怒らなくても……」
「私の担当科目を知らないのに、名前と顔を知ってるのはおかしいでしょ。バカなの?」
「おっしゃる通りですね。ところで、この後どうする気ですか? 僕を殺しますか?」
「……姿を消してくれない?」
 トーコは、一応言ってみる。校長の命令で出てきたなら、素直に帰るわけがない。姿を消したとしても、また別の場所から近づいてくるだろう。
 それでも睨み合ったままよりはいい。
 既に相馬を見失っている。このまま膠着状態になって、後ろに回り込まれるのが一番まずい。
 男子生徒は挑発するように言う。
「撃たないんですか?」
「撃たれたいの?」
 トーコは睨みつける。
 目の前の男子生徒が敵だという確信が持てなかった。
 学校に生徒がいることの何がおかしいのか、という常識が邪魔をして、相手を射殺する決断ができない。
「いいえ。今のままの方が僕には都合いいんですけど……」
 背後で物音がした。トーコは慌てて振り返るが誰もいない。
 視線を戻すと、男子生徒も消えていた。
「なんなのよ……」
 トーコは苛立ちを覚える。
 刺客らしき存在をまた見失った。それに後ろからの音は、多分別の刺客。
 相馬も入れて、一人で三人を相手にしないといけない。
 仕方ないのでさらに階段を降りる。一階。
 少しだけ顔を出して、廊下の左右を確認する。誰もいない。
「職員室に戻ろうかしら……」
 トーコは職員室の入り口に目をやった後、その考えを打ち消した。ここで倉橋と顔を合わせたところで、事態は何も進展しない。
 それならどうするかと考え……かすかな足音が聞こえたような気がして、トーコはさっき自分が下りてきた階段を振り返った。
 さっきの男子生徒、佐藤がいた。
 手には拳銃。既にこちらに銃口を向けている。
「……」
 トーコは即座に振り返って佐藤を撃ち殺すことを考えた。
 無理だ、たぶん相手の方が早い。
「さっさと撃てばいいじゃない」
「さっきのあなたも撃たなかったでしょう」
「そうね……」
 あの時点で佐藤は銃を見せていなかった。だからトーコも確信を持てなかった。
 しかし、トーコは既に銃を見せている。撃たれてもおかしくない。立場が逆だったら絶対撃つ。なのになぜか撃ってこない。
 佐藤は平然と言う。
「何をしても僕の方が圧倒的に有利なんだから、ハンデぐらい上げるのが礼儀だと思います。さっきのあなたもそう思ってたんですよね?」
「何を言ってるの?」
 トーコが困惑していると、佐藤は不思議そうに首をかしげる。
「おかしいですね。僕の予想だと「ふざけるな!」とか叫んで襲い掛かってくる所なんですが」
「期待に応えられなくて悪かったわね」
「遊んでくれないようなので、僕は帰りますよ」
 佐藤は変な笑みを浮かべながら視界から消えた、最後までこっちに銃を向けたまま。
「……」
 佐藤がいなくなった後、トーコは階段の方に銃を向ける。
 誘われているのはわかっていが、追わないわけにはいかない。
 トーコの想定しているラスボスは、スナイパーの相馬。先に他の敵を片づけておかなければ、戦っている最中に背後から襲われる。
 スマホを取り出し、ジェイクに電話をかける。
「今どこ?」
「山のふもとだ。今すぐ行った方がいいかい?」
「だめ。どこかにスナイパーがいる。正確な狙撃地点はわからないけど、正門をカバーしてないわけがない」
「参ったな。どうすればいい?」
「自己判断でなんとかして。こっちはとりあえず敵の前衛を倒す。連絡終わり」
 返事を待たずに通話を切ると、トーコは用心深く階段を上る。
 階段を上った先。右か左か、さらに上か。三択。
 トーコは数秒迷った後、右に決める。当たりなら銃撃戦。外れならすぐ振り返ればいい。
 廊下に顔だけ出す。佐藤の姿はない。
 左側。階段。そこにも姿が見えない。
「……」
 それなら教室の中に隠れているのか。一つ一つ探していくのは面倒だが、他に方法はない。
 前後左右を警戒しながら、右側の廊下へと少しずつ進んでいく。一つ目の教室。半開きの扉から室内に飛び込みクリアリングする。
 誰もいない。教卓の中と掃除用具入れの中も確認して、この教室は無人だと結論する。
 廊下に出ようとした所で、二つ目の教室の扉から、頭と銃を持った右手だけが飛び出しているのが見えた。
「っ!」
 佐藤が銃を乱射する。
 トーコは教室に飛び込んだが、一発が足を掠めた。
「結局追ってくるんですか?」
 佐藤が廊下から話しかけてくる。
「追わなかったらどうしてた? 私を見逃してくれた?」
「実は、あなたを殺すように命令が出てるんです」
「一階で撃たなかった事、後悔するわよ」
「その言葉、そっくりそのままお返しする事になるでしょうね」
 教室の後ろ側の扉が少し開いて、佐藤の腕と拳銃が出てくる。トーコはそこに向けて撃つが、佐藤はすぐに退いたようだ。
 トーコは、膠着状態はまずいな、と思いながら、教室の前側の扉から廊下に手だけを出し、数発撃つ。それから顔を出した。佐藤の姿はない。
「どこだ?」
 素直に考えるなら、二つ目の教室に逃げ込んでいるはず。
 だが廊下側から突撃するのは不利すぎる。
 窓を出て外から回り込もうかと考えて、スナイパーの存在を思い出した。廊下から行くしかない。
 話しかけてみる。
「私を殺すように命令されたって? 誰の命令よ?」
「校長先生に決まっているでしょう」
 意外にも返事が返ってきた。
「なんでそんなのに従ってるの?」
「別に理由はありませんよ。ただ、他にやることもないし、武器ももらったので……」
「そう」
 やや反論しづらかった。傭兵をやっていた時の仲間には、もっと曖昧な理由で危険な戦いに身を投じている者も多かった。
「どうせ無報酬でしょ? 今からこっち側につく気はない?」
「そんな交渉しかけるのは辞めた方がいいですよ? ここで鞍替えするとかただのバカでしょ」
 佐藤の言うことは、まあ正論ではあったが。それはそれとして、声で大まかな位置は分かった。
 トーコはケガをした左足から靴を脱ぎ、左手で持つ。
 それからトーコは廊下に飛び出す。佐藤は教室の扉から半身を乗り出していた。その顔めがけて靴を投げつけた。
「うあっ?」
 佐藤は反射的に、拳銃を持った手を盾にして靴を防いでしまう。
 その隙にトーコは拳銃を数発撃った。佐藤は慌てて教室の中に逃げていく。
「右肩に一発」
「……」
 命中個所を指摘してみたが、返事はない。
 トーコは10秒ほど待ってから、教室の中に踏み込む。
 佐藤は教卓の裏側に隠れているようだった。血の跡が床についている。
 トーコは、一応何かの偽装である可能性も考えて、教室内を見回してから……教卓に向かって拳銃を連射した。
 教卓の向こうから佐藤の悲鳴が聞こえた。
 トーコは警戒しながら、教卓から距離をとって回り込んで裏側を確認する。
 佐藤が全身のあちこちから血を流して、座り込んでいた。
「なん、で……後ろに隠れていたのに……」
「こんな薄っぺらい鋼板、貫通するに決まってるでしょ」
 トーコは油断なく佐藤に歩み寄る。右手の近くに落ちている拳銃を、足で蹴って動かした。
「なあ、僕は死ぬのか?」
「そうね」
「は、ははは……そんなわけないだろ。こんなので僕は死なないよ」
「死にたくないなら、銃を持って出て来なければ良かったのよ」
「おい、ふ、ふざけるな。なんで殺すんだ。僕は死にたくてこんなことをしてたわけじゃない……」
「私も同じよ。ごめんなさい」
 トーコは一応謝ってから、佐藤の頭に銃を向け、二発撃った。
 確実に相手が死んだ、と確信できるまでの数秒を待って、それからトーコはため息をつく。 
「はぁ……」
 敵に話しかけたりするんじゃなかった、と少しだけ後悔した。おかげで余計な事ばかり考えさせられる。
 最初に会った時に撃っていれば、弾を無駄にしたりケガしたりせずに済んだ。けれど、もう一度同じ状況になっても自分は撃てないかもしれないと、トーコは思った。
「相馬なら躊躇いなく撃てるのかな……」
 トーコは頭を振って余計な思いを締め出すと。とりあえず移動することにした。廊下に出ようとした時、足音が聞こえた。
 味方の可能性はない。銃の残弾数を確かめてから、待ち構える。
 やってきたのは、さっきとは別の男子生徒だ。やはり、どこか不自然だった。しかも、最初から手に銃を持っている。
 その生徒はトーコが隠れている教室の手前で止まる。
「いるんでしょ。霧江さん」
 トーコは話しかけてみる。
「あなたは、誰?」
「俺だよ、中島」
 中島は、同窓会で久しぶりに会ったかのような口調で、そんな事を言う。
「校長が、こいつを殺せって言って写真を見せてきて、どっかで見た事があるって思ったら霧江さんだったんだよね」
 そう言えば、クラスメートにそんなのいたな、とトーコは思った。
「それで、何しに来たの?」
「行けって言われたからちょうどいい、と思って。なんか、もう五年ぐらい経ってるらしいね」
「そうね……」
「高崎って覚えてる?」
「いたわね」
 お互いに銃を持っているような状況でなければ、懐かしい気分になれたかも知れない。
「実は俺の恋人だったんだけど、知ってた?」
「初耳ね。そうだったかしら?」
 トーコの知る限り、そんな事実はなかった。
「周りに話したことはなかったっけな。高崎にも秘密にしろって言っておいたし……」
 喋りながら、佐藤は横に歩いて姿を隠す。
 トーコも銃を構える。
 状況はトーコの方が不利だった。廊下に出るか、ずっと教室内にいるかの二択。
 話しかけてみる。
「高崎さんがどうしたって?」
「なんか俺、気が付いたら捕まって、眠らされて、目が覚めたら五年も経ってる感じなんだよね。酷くない?」
「よかったじゃない」
 トーコは言った。別に皮肉などではない。トーコが過ごした五年に比べれば、寝ているだけでいいとは、平穏でうらやましいと思った。
「高崎はどこに行っちゃったのかな。俺がいきなり姿を消して、悲しんだりしていないかな」
「知らないわよ」
 急に姿を消したという意味では、トーコも同じだ。クラスメートはどう思ったのだろう。
「あなたはどう思ったわけ?」
「何の話?」
「私が急に行方不明になって、驚いたりしなかった?」
「……いや、どうだったかな」
 中島は言葉を濁した。覚えていないのか、なんとも思わなかったのか。
「高崎は、どこにいると思う?」
「知らないわよ。卒業したんでしょ」
 トーコは深く考えずに言った。卒業生がどこに行ったかなど知る由もない。
「それより。こんな事やめた方がよくない?」
「どうして?」
「あなたが、銃を持って人を殺しに行くような人だと知ったら、高崎は止めようとするか、あるいは失望するんじゃない?」
「別にそんな事はないと思うよ。仮にそうだとしても、黙れって言って殴れば済む話さ」
「……そう」
 中島が何を考えているのか、トーコには理解できなかった。とりあえず、高崎と恋人だったという話は、一切信用しないことにした。
「まあ、高崎がいないんだったら、それはしょうがないんだけど。よく考えたら霧江さんの方がかわいいような気がしてきたし」
「それはどうも」
 トーコの中から、中島を撃たずに終わらせるという選択肢が消えた。
 銃を構えたまま、教室の後ろ側のドアから廊下を覗く。
 中島は、トーコが前の扉から出てくると思い込んでいたのか、そちらに向けて銃を構えていたので、反応が遅れた。
「あっ?」
 トーコが撃った銃弾は中島の胸に命中し……何も起こらなかった。
 中島は不快そうにトーコを睨む。
「なんだよ。なんで俺を撃ったの?」
「……」
 トーコは中島の胴体に銃弾を何発も撃ち込む。が、中島は少しよろめいただけでダメージを受けた様子がない。制服の下に防弾チョッキでも着こんでいるのか。
 トーコは狙いを頭に変えて、もう一発撃った。中島の頭部から血が出た。が、これも致命傷にならない。
 中島は嫌そうな顔で頭を押さえる。
「おまえ、やめろって言ってるだろ。マジで殺すぞ?」
 銃の威力が急に弱くなったのか、あるいはトーコの知らない方法で頭も防御しているのか。
「どうなっているのか、説明してもらえる?」
「知るかよ。その銃、本物なのか? そっちも俺を殺そうとしてるわけ?」
「……」
「まあ、殺せって言われてるし、殺すか……」
 中島はゆっくりした動きで拳銃を持ち上げる。トーコは、その銃を持つ手を撃った。銃は吹っ飛んだ。
「いでっ?」
 さすがの中島も悲鳴を上げて手を押さえる。右手の指が一本、変な方向に曲がっていたが、それだけだ。
「てめぇ、やりたがったな? さっきから優しくしてやったのに、つけあがりやがって!」
 中島は豹変し、襲い掛かってくる。
 めちゃくちゃな殴り合い。
「ぐへっ?」
 力は中島の方が強かった。
 トーコは腹を殴られて、拳銃を取り落とし、その場にうずくまる。立ち上がろうとするが、中島は両手でトーコの首を絞めてくる。
「がっ、ぐっ……」
 軌道を圧迫されて呼吸ができない。トーコは必死に逃れようとするが、腕の力が強すぎて、どうにもならない。
 中島は、トーコの耳元で囁く。
「俺はさぁ、五年もベッドに縛り付けられて、変な薬を注射され続けてたんだよね。校長は、強化人間を作る研究とか言ってたけどさぁ」
「ぐぎぎぎぎ……」
「俺の皮膚と筋肉は防弾チョッキと化してて、頭蓋骨は装甲板なみに硬いんだってさ。意味が分からないけど、実際、銃が効かなかったんだから、本当なんだろうなぁ」
「んぐぐぐぐぐ……」
「霧江。おまえが高崎の代わりになってくれるって言うなら、命だけは助けてあげてもいいけど? どうする?」
「……お断り、よ」
 拳銃で戦ったのが良くなかった、と思った。人体の仕組みが変容していても、動けないほど硬いわけではない。アサルトライフルの弾丸なら、さすがに貫通できたはず。
 息が続かなくなって、周囲が暗くなっていく。
「やめて! 先生を殺さないで!」
 誰かの叫び声が聞こえた。何発かの銃声。
 トーコの首を絞めていた力が緩む。
「効かないって、言ってるだろうが!」
 中島は、乱入してきた誰かに向かって叫ぶ。
「ぐあっ?」
 悲鳴。トーコはそれが田所だと気付いた。
「あー、もうこいつでいいや。こっちの方が言うこと聞きそうだし」
「いやっ、辞めて!」
 トーコはどうにか呼吸を回復して立ち上がる。
 中島が田所に覆い被さるようにしている。トーコは中島の首を掴んだ。
「くそっ、まだ生きてたのか、おまえっ?」
 中島は跳ね起きるが、トーコは頸動脈を絞め続けた。中島は10秒ほど暴れていたが、すぐに静かになる。
「はぁ」
 トーコは安堵のため息をついた。
 今すぐ手を放して蘇生すれば死なない、と思った。だがトーコは中島が動かなくなった後も頸動脈を閉め続けた。ここで殺す以外の選択肢をとったら、死ぬのは自分だ。
「あ、あの……何が、どうなってるんですか」
 床に倒れていた田所が上体を起こし、困惑したように言う。
 トーコは中島の首を締めたまま返事をする。
「助けてくれてありがとう。この男は、DV彼氏で殺人未遂犯で改造人間だから、あなたは何も気にしなくていいわ」
「属性、多くないですか?」
 田所は変なツッコミを入れてくる。
「それより、何があったの? 学生寮は閉鎖されてなかった?」
「はい……表も裏も閉鎖されてたんですけど、窓が開くようになってて、そこから出てきました」
「何しに来たの?」
「相馬さんっていう人が、学生寮の私の部屋に来て、それで、霧江先生を助けに行けって言われたから」
「相馬が? なんで?」
「わかりません。でも、この銃をくれたのも相馬さんです」
 田所は近くの床に転がっているリボルバーを拾い上げる。
「そんな銃じゃ、中島には勝てないって、知らなかったのかしら」
 知っている可能性は高い。須藤の時ですら、近距離なのにライフル銃を持ち出していた。
 こんな拳銃では何の役にも立たない。
 田所が死んだらどうするつもりだったのだろう。どうもしないのか。相馬にとっては駒の一つですらない。
 むしろ、相馬が自分を助けようとする理由が、トーコにはわからない。
「それで、肝心の相馬はどこにいるの?」
「教室で待っている、って言ってました」
「……教室」
 数十個ある教室をしらみつぶしに探すのか、と考え、すぐに打ち消した。
この場合、教室はたぶん一つしかない。


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