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平成初期生まれは『近所のおじさん』になれるか?

 
世は平成10年代後半。
ギャルもオタクもガラケーをふり、電波を求めた時代
ガラケーからは着うたが流れ、着うたフルが登場した。定額制の登場により、携帯の利用料金におびえることを知らない我らが、本来請求されるはずだったパケ代を見てキャッキャと笑った時代。

NANAが流行りごくせんは第2シリーズが始まった。中島美嘉YUIに夢中になる女たち。アンジェラ・アキはすばらしい歌声だったし、ピアノを叩いていた。オタクには流行らなかった電車男、部活内で回し読みした花男。1リットルの涙が放送された翌日、クラスの女の子たちの話題は持ちきりだった。少し前にはセカチューに狂わされていた層だ。ハリーポッターと炎のゴブレットが発売され、「ハリポタの雰囲気が変わってしまった」と嘆く、ハリポタとダレンシャンを熱く支持する読書好きの層。おネエ★MANSが大好きだった私。

平成10年代後半、私のようなオタクでも世間的には流行最先端の枠にいた。
流行は何度も入れ替わり、新陳代謝が早かった。それでもキャッチは早かった。
個々人としての差はあれど、中高生という集団の中にいれば嫌でも流行の最先端という立ち位置にいた。
大人になった今よりも、違う年代の人々と触れ合う機会がずっと少なかった日々の話だ。

近所のおじさんはおじさんらしい貫禄のある姿をし、おばさんもおばさんらしい貫禄のある姿をし ていた。
彼らは決まって、私たちの中で流行っているものを面白そうにきいてから、昔流行っていたものの話をした。それがとてもむずがゆくて大嫌いだった。
古くて埃かぶった、洗練されてないものの話なんて大嫌いだなんて思っていた。
そんなもの今時誰も知らないよなんて思っていた。
当時のテレビが特集する人気のドラマ・アニメランキングなんて一番嫌いなものだったと思う。私たちが見たことないものばかりが取り上げられるからだ。


高校を卒業して数年経っても、まだ同じカルチャーで育った世代は近くにたくさんいた。同年代生まれでなくても、前後3年程度の世代であれば、グラデーションで共有している文化があった。その文化は一般的な大学の期間である4年間程度、保持された。その後うっすらと廃れていった。それでもその次の流行を時たまゆっくりと飲み込む位はできた。

まだグラデーションの中にいた。濃度の低い方のグラデーションの中にいた。


30歳になった。

大体6年経過すると、自分と共通項がない環境に入れ替わる。これは体感だ。

普遍的なものは変わらないにしろ、相手も同じ文化を生きてきたから通じるだろうと言うある種の甘えが通用しなくなる。あるあるの話や例えとして使う時に、自分の世代で流行ったものを共通言語として全く使えなくなる。

昔が楽しかったなんて話はどの世代からもよく聞くが、それは自分が共通言語と思っているものを何の配慮もなく使って、当たり前のように感情を共有出来たからだ。
当たり前のようにそれが通じる人たちが周りにいたからだ。

残念ながら、私の青春時代に流行ったものたちの『共通言語』としての賞味期限は、グラデーション期間を通り過ぎてとっくの昔に切れてしまった。

あの頃大嫌いだったおじさんおばさんの昔話を聞く側ではなく、聞かせる側に入れ替えが完了しようとしている。入れ替えの進捗度は99.9%だ。流行という小さなローテーションから世代という大きなローテーションが始まっている。

当時の近所のおじさんおばさんは本当に近所にいた。そういうものだった。これから私たちはそこに行くが、いったいどこで近所のおじさんおばさんをやればいいのか。

私としてはやりたくて仕方がないのだけれど、枠は空いているか?どこかで募集はしていないか?たかだか10年、私たちがかけぬけていた間にあのおじさんとおばさんがどこにもいなくなってしまった。

まるで消え去ってしまったみたいに。

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