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「我は父親なり」という「パワー」に溺れぬこと
「早く歯を磨きなさいよー!」
「ちょっと!オモチャ出しっぱなし、早く片付けなさい!」
「もう寝る時間、遊ぶの終わり!」
日々、ヤンチャすぎる幼稚園の娘に投げかける言葉の嵐、まぁ日常だ。
しかし、これだけじゃ行動してくれないことが多々ある。いや、むしろほとんどそうかも、、
そんな時、言った後に後悔してしまう言葉がある。
「オモチャ捨てるからね!」
「園長先生に言うからね!」
「いいから、早くしなさい!」
我ながら、言語化してても寂しくなるボキャブラリーの乏しさ。そして、「父親」という限定的な「力」に頼った無能な叱り方だった。むしろ「叱る」行為ですらなく、行動を強制させるための「処理」に近い状態になってる。
子供に言っても、言っても行動しないと親もイライラする。けどその怒りを父親パワーとして子供にぶつけてはならない。ほぼ、確実に最後は泣かせて終わりだ。「片付けさせた」という親の満足感と、「強制的に片付けさせられた」という理不尽な不満を子供に植えつけただけだ。
そんな逃げ場のない怒りをぶつけられた子供たちはどうだろうか?
普段平日の帰りが遅くて、朝早く出て行く父親に、顔を合わせるためにこんなこと言われ続けたらどうだろうか?
私が子供だったら、ヤダね、最悪だ。思春期になったら必ず娘たちに「何言ってんだ?このクソ親父!」と言われるフラグ確定だ。
さて、、ということで、「父親」に匹敵するパワーを娘たちに渡してみた。
私はロボットとなり、娘たちに操られる片付けマシーンとなった
「お片づけ一緒にやろうか」ではつまらない。そんな言葉だけで子供が簡単に動けば世の中の親は育児に苦労していない。
子供が喜ぶのはアニメや漫画の構図。今まで持っていなかったパワーを授かり、世界の仕組みを変えられる時だ。
彼女たちにはコントローラーがわりにトイレットペーパーの芯を渡して私はこう応える。
「ワタシハ、オソウジロボットデス、カタズケタイモノヲ、テノウエニオイテクダサイ」
もう子供たちは大興奮だ。今まで「親パワー」に押しつぶされていた立場が逆転し、好き放題コントロールできる。しかし、ロボットは片付けるモノを渡されないと動かない。
だから彼女たちは急いで部屋の中に散らかっているオモチャを楽しんでかき集め私に集めてくる。そして私は「ウイーン、ガチャ」とか言いながらおもちゃ箱まで運ぶの繰り返しだ。
ただ、このロボットは優秀じゃないから時々疲れる。エネルギー補充は彼女たち自身がおもちゃ箱にオモチャを入れることだ。すると娘たちは競い合って片付け、コントローラーの主導権の取り合いだ。
そんな調子で「片付け」をただの遊びにするのではなく、「権限」を与えて愉しませる。結果いつのまにか部屋も綺麗になりお互い満足だ。
まぁ、設定を間違えるとロボットのエネルギー補給のためにあえてまた散らかそうとするので、ズルは良くないと柔らかくうながそう。
仕上げは父親のロボットアームで彼女たちを寝室まで運んであげれば完了だ。
夜22時過ぎ、満足そうな彼女たちはこうささやいて眠りについた。
「いい夢見れますようにっ!」