文章を発信する・・その2

理由
②文章を書きたかったから


私が高校生の時、
DecologやAmeブロが普及する前、
HPを作成するのが流行った。
友人とHPを作成し日記を書いたり、掲示板で他校生と交流したり、プリクラや写メをアップしたりする。

ガラケーを使った新しい遊び。

当時の私は同級生たちの日記を読みながら、
なんてつまらない文章なんだろう。といつも思っていた。

確かに文章から、本人がその日なにをしていたかはわかる。
彼氏・彼女とのラブラブっぷりや放課後の充実感は書いてある。
でも驚くほどに文章能力がない。
文章を公開して発信しているにも関わらず、
読み手への配慮がなさすぎる。面白くない。
なんでみんなこんなのを発信しているのだろう。
恥ずかしくないのだろうか。


かく言う私も
実はHPを作成し日記をつけていた。
でもその日記の存在は、本当に仲のよい友人数名にしか教えなかったし、
どこにもリンクしないように細心の注意を払い、
とにかく広まらないようにしていた。

公開しない理由としては
誰も私の日常に興味がないだろうというのがひとつ。
そしてなにより、私の書いた文章の内容について他者に触れられることをとにかく避けたかったから。

例えばその日○○ちゃんと遊びに行った
という内容を書いたら、
翌日他の友人に「なんで私も誘ってくれなかったの」と
咎められる可能性がでてくる。
(実際、高校生はそういう事がよくある)
それは避けたい。

○○ちゃんが見るかもしれないし、
じゃあこのことは書かない方がいいな。やめておこう。
なんて気を使って書く内容を厳選していたら
それはもはや日記ではなくなる。

自分の思考のはけ口として始めたのはずなのに、
そこにすら気を使ってしまったら本末転倒だ。

特に当時一番頭の中を占めていた恋愛についても、
文字にして頭の中を整理したかったけれど、
誰かに知られるのは絶対に避けたかった。
知っている人が増えたらそれは秘密ではなくなる。
想いを寄せている相手に伝わる可能性が生じる。それは困る。


これらの理由からほとんど公開されることのなかった私の日記だったけれど、
ただ、文章としてはよく書けていたと思う。

後に読み返しても
私これ何を書きたかったんだろう。
恥ずかしい、消したいとはならなかった。



昔から本を読むのは好きで、おかげでいろんな言葉や言い回しに出会えた。
本はすごい。

小学生ながら基本的な文章の構成を理解していた私の作文には、
ありがちな「です」「ます」や「思いました」の多用や、語尾のバラつきはなかったし、句読点や行替えのタイミングも上手くできていたと思う。

それは本当に文章を読むという行為をしていないとわからないことで、より多くの文章に触れている人ほど、自分の書きあげた文章を最後に読み返した時に違和感を感じやすい。
あれ?ここなんか変じゃない?
とすぐ気付いて添削できる。

だからいつかもし子供ができたら、目が悪くならない程度に本を読ませたい。


そんなこんなで文章を書き出して、
その対象が読者がほとんどいないHPから、
誰も見ることができないDecologになった。
(存在を誰にも教えなかった上にpassもつけたいたからこれはもはやメモと同じ)

そのうちmixiやTwitter、FacebookやInstaglamといったSNSが普及したけれど、
そもそも自身の日常を発信したいわけではない私は、それらにあまり興味がなく、
暇つぶしとして
あくまで見る専用に登録している程度で発信はほとんどしていない。

そうじゃないんだよ。とずっと思っていた。


そしてこの度このnoteに出会えた。とても嬉しい。

やっと思う存分文章が書ける場所を見つけられたので、
個人を特定されない程度の内容で、
日記としてではなく、エッセイとして
(思いきり一般人の私がエッセイって言葉を使っていいのかわからないけれど)考えている事を発信していきたい。

理由②も長くなってしまいました。
③に続きます。

こんなつたない文章を読んでくださった皆様
ありがとうございます。





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