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結城ちか、世界への道のり Vol.2

続き

前回の記事で全く時期が書かれてなかったので、補足すると、「グラドルコレクション」から誕生したアイドルというコンセプトでユニットが企画されたのは、2014年の秋〜冬にかけてくらいだった。
2015年の2月に顔合わせをして、そこからレッスンして5月にお披露目という時系列。
(余談ではあるが、2015年の春からビットコインのATMを扱う仕事もしてた)

第二回「分裂から卒業、そしてソロへ」

毎週ライブを平日1回、両土日にダブルヘッダーみたいなスケジュールで活動して、月に多いときは20回以上ライブしてたような気がする。

山梨から通いで頑張ってた結城ちか、も撮影会以外のスケジュールは全て出演してたので、相当交通費がかかってたように思う。


そんなある時、結城ちか、が事務所を辞めたいと言い出した。


あまり、他人に興味がないので、メンバーの事務所がどんなところだとか、聞いた事なかったので、相談にはなるべく乗るようにしてた。
(*今ならNGって分かるけど、この頃は、何も気がつかなかった)


とりとめもない話が多かったので、「ふ〜ん、そうなんだ〜」みたいに聞いてる事が多く、普段のライブや活動に支障があるような感じではなかったので、特に深く考えてなかった。
(ちゃんと考えろよ!ってツッコミありがとうございます(笑))


そうこうしてる時に、メンバーとファンに一体感が生まれるイベントがあった。


「汐留ロコドル甲子園2015」


日本テレビ主催の企画で、優勝したらテレビに出れるとか、日テレの特設ステージでライブできるとか、ちょっとテンションの上がるアイドルのコンテスト。

ファンの応援によって順位が決まるみたいな、よくある感じの仕組みだけど、当時は初参加だったので、ファンもメンバーも運営スタッフもワクワクしてたように思う。

事前投票以外に当日のファンの声援のボリュームなども審査対象で、ファンも参加してる感がでる面白いイベントだったが、結果は惜しくも敗退・・・


熱い暑い夏が終わった・・・


当時の運営スタッフは、基本的に自分ともう一人で、メンバーの事務所の人だった。
楽曲やデザイン、資料やら集計などパソコン使うような仕事は俺で、ライブブッキングやらメンバー集めなどはもう一人の人がやって、基本的に経費も売上も折半という分かりやすい感じだった。


9月には名古屋遠征とかもあって、これから色々展開していくぞー!!
みたいな時期に、結城ちか、の事務所辞める話が本格化してきた。

結城ちか、の事務所は、もう一人の運営の人が誘ってきた事務所だったので、相談してみたらって感じで、徐々に事務所を辞める方向に話が進んでいった。


この辺りの具体的な話は色々な関係者に迷惑がかかってしまうので、フワッと触る程度にしとく。


ようは、色々な事務所や人物が登場して誤解や嘘や勘違いなど、多くの掛け違いをした結果、GracoRexが分裂するという形になった。


GracoRexの名前とか楽曲の権利を売って欲しいって話もあったんだけど、俺が断ったので、分裂という方向になった。

メンバー達は一人も悪くないので、俺がGracoRexを辞めて、みんなに楽曲を残してあげてもよかったかな〜なんて思った時もあったけど、今色々できてるのは、この時にGracoRexを手放さなかったおかげだと思うので、結果良かったと思う。

読んでて意味不明だと思うけど、結城ちか、を語る上でGracoRex分裂騒動とかあったんだ〜ってことだけ理解してくれればOK!


ちなみに、今現在は、その時に誤解された人たちも、真実を知って和解してる。
俺の方から言い訳も文句も言ったことないので、揉めた記憶はない。
恨み言を一切言ってないので、当時のメンバー達とも関係は良好だ。


GracoRex結成時は、「こいつとは世界を目指せるぞ!」と思った逸材の
結城ちか、は分裂した側に行ってしまったので、どうしようかな〜と思ったけど、なんとなく分裂の予感がし始めた頃から、準備はしていたので、GracoRex2期生は意外とすんなりと始める事ができた。


今思えば、GracoRex2期生は、残ったメンバーの分裂のショックを紛らわすために作っただけのような気がする。
残ったと言っても二人(実質一人)だけで、いつ消滅してもおかしくない状況だった。


俺が行ってないGracoRex最後のライブで人づてに結城ちか、が残りたかったと大泣きしてたと聞いたときは、こんな結果になって申し訳ないなと思い、必ずいつか合流して世界を目指したいと思った。


別のグループとして活動を始めた結城ちか、だったが、脱退の決意を固めるのには時間がかからなかった。


分裂騒動で結城ちか は念願通り事務所を辞める事ができていた。


しかし、アイドルグループを続けるなら、もう一人の運営の人の事務所預かりという立場で活動する約束になっていた。
この時に色々約束もあったらしいが、徐々に約束が違うという事が起こってきて、こんな思いをするならアイドルグループにしがみ付く必要はないと考え始めていた。


結城ちか の中で、脱退を決定付けたのは、給与未払い問題だった。


これも現在では、和解しているので、関係者に迷惑かかるとまずいから、そういう事件があったんだな〜でOK!


2015年12月31日付で事務所預かり状態を解約し、同時にアイドルグループも脱退した。


俺側からみる結城ちか空白期間は3ヶ月で終わった。


ようやく世界に向けて再び動き出す事ができるようになった。

ちなみに、現在結城ちか がプロデュースしているNEOMARYというアイドルグループの名前は、この空白の3ヶ月の間にネーミングもロゴも誕生している。


2016年1月1日 ついにソロ活動開始!


元旦か動き出したいという事で、SHOWROOMのイベントに出場した。


1位になるとZepp DiverCityでライブができるというイベント。
戦う期間はわずかに7日。


他のライバルはグループばかりで、ソロは圧倒的に不利な状況で、結城ちかソロ活動を何としても成功させたいと願うファンの後押しで、見事に優勝!!!


憧れの舞台だったZepp DiverCityでソロ活動をスタートする事ができた。

メジャーアイドルが参戦するライブの前座的な扱いでは、あったものの、堂々とオープニングアクトをやり遂げ、ソロとしての華々しいデビューを飾った。


特筆すべきは、この時にお披露目したソロデビュー曲「ちかづきEVOLUTION」を自ら手がけているという点。(*現在のグラドルコレクションのテーマソング)


もちろん、俺も手直しや修正など手伝ったりしたけど、当時の彼女の心境や熱い想いが凝縮された詩なので、是非とも聞いて頂きたい。

「ちかづきEVOLUTION」(楽曲)

「ちかづきEVOLUTION」(歌詞)


続く



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