こどもてつがく 「私/あなた」は何者なのか?
R6年度こどもてつがく高学年4月スタート!
新年度になり、小学校5年生から6年生までの18名が集まりました。
なかには、3年目の参加になる人もいます。
高学年の参加者は、隣に座った人同士、世間話や雑談に花を咲かせるようなことは難しく、お互いに、横のつながりができにくいようです。
「哲学しよう」なんていう志を持った人が集まっているなんて、杉原から見ると、気が合う仲間がいる可能性もあるので、ぜひ友達になっておきたいと思うものですが……。
なんとか、参加者同士がもう少し交流する機会が持てるように、初回はグループワークを取り入れました。
哲学? 何それ?
初めて参加した人もいるので、プリントを渡して、哲学について、ちょっとだけ話しました。
哲学は、元々の語源フィロソフィアには「知を愛する」という意味があります。
哲学する人は、簡単に信じ込んだり、聞き流したりしません。なぜなら、それが本当に正しいのか、考える癖がついているからです。
「だとすると・・・こういうことになるのでは?」「でも、この場合どうなるのだろう?」「本当にそう言えるだろうか?」などと、引っかかりを持つことが得意になるかもしれません。
そうすると、大切な物事を考えることを人任せにせずに済むかもしれません。
少なくとも、どんな大切なことを人任せにしてしまいがちなのか自覚できるようになるかもしれません。
そんな知的な態度を、子どもたちに身につけてもらう時間にしたいと思い、てつがく屋は試行錯誤しています。
みんなで考えるためにひとりひとりができること
高学年の参加者はみんな緊張しているのか、最初はなかなか発言がありませんでした。
気まずい雰囲気の中、勇敢にも手を挙げてくれた子もいましたが、次に続きません。
以前から参加している子でさえ、目を合わせると、恥ずかしそうに首を横に振ります。
初めて顔を合わしたので、みんなが緊張するのは当たり前です。
もし、自分以外の人たちが遠慮して、自分の考えを口にしなかったら、自分にはどんなことが起こるのでしょうか?
まさに、今何が起こっているのかを言語化してみます。
全員にひとりづつ言葉にしてもうと次のような意見が出てきました。
・自分も遠慮する。
・なんで発表しないんだろうと思うかもしれない
・自分も自信がなくなる
・静かになるから自分も言いにくくなる
・周りの人が誰も何も言わなかったら、自分も言っていいのかわからなくなって、誰も何も言わなくなって、最終的には、もったいない時間が流れる。
・自分も発言しにくくなって、静かになる。
・みんなが発表せんかったら、自分も言っていい時間かわからんくなって、遠慮してしまう。
・発表したくても、発表していいのか怖くなって、発表したくなくなる。
・発表したくなくなる。
じゃあ、逆にみんなが遠慮せずに、自分の意見を口にしたら・・・・、と杉原が質問しかけると、何人かが「発表しやすくなる」「輪が広がる」「やりやすくなる」と口にしました。
どうも不思議なことに、私たちは「みんながそうだから」という理由で、自分まで自信がなくなったり、自分まで遠慮したり、やる気がなくなったり、怖くなったりする傾向があるようです。一人が発言しただけでも、次の人が発言して、そのうちになんだかみんなが変わっていきます。それは、お互いがお互いの力を引き出しているとも言えるような気がします。
少しづつ、スッと手をあげてくれる子が出てきて、場の雰囲気が変わってきます。
ひとりの言葉が、誰かの気づきになったり、誰かの発言を引き出したりする。だから個々人がよりよく過ごせる環境が作られるために、実は一人ひとりの貢献度が高いのです。そして、それだけ一人ひとりは影響を及ぼすことができるのだから、みんなきちんと役割を担っているとも言えるのです。一人ひとりの存在が、とても大切で大きく見えてきます。(でもそれって、本当はこどもてつがくの時間だけではなくて、この社会全体がそうであると思うのだけど……。)
「私/あなた」は何者なのか?
初回ということもあって自己紹介も兼ねた時間にしたいと考え、「私/あなたは何者なのか?」をテーマにしたワークシートも配りました。
他者を知るには、どうしたら良いのでしょう?
ここでは、質問事項を考えるワークにしました。
問いを立てる予行練習も兼ねています。
そして、質問事項を考えてもらった後で、2人1組になり、質問しあって相手の回答をメモします。その後、全員でどのような質問事項を考え、相手がどのように回答したのかを発表します。
前半の緊張感が嘘のように、各所で、にこやかな笑顔が見られました。
ある子が、唸りながら考え込んでいます。どうやらペアワークの相手に「自分が大切な人の命全員と2000人の命どっちを選ぶか」という質問を受けていたようです。答えに困り、体を捩らせて考え込んでいると、「じゃあ、1000人だったら?50人だったら?」と加えて聞かれていたようです。
人を殺してはならないという社会の中での掟についても、哲学では、しっかり吟味してきました。たとえば、ある人を助けるために他の人を犠牲にすることは許されるのか? この問題について考える例として有名なのがトロッコ問題です。社会の中でも限られたお金を誰にどう優先的に使うのかはいつも問題になります。その時誰かがどこかで少し犠牲になっているかもしれず、他人事でもない倫理の問題です。
学校や年齢、好きなスポーツや好きな教科を聞くなどの質問事項も多くみられました。他に、独創的でユニークだったのは、「月と太陽どちらが好きか?」「リーダーになりたいですか?」などです。
初回はこれでほとんど終わってしまったのですが、最後に少しだけみんなに問いかけて次回へ繋げます。
自分自身を知るそして他者を知るとは?
ファシリテーターから子どもたちへの最後の問いかけは次のようなものでした。
初回だから、自己紹介も兼ねてのワークだったけれど、お互いを知ることができたでしょうか? ほんの少しはできたかも知れない
ところで、みんなは自分が誰なのかを知っている?
みんなにはそれぞれ名前がある。でも、もし今の自分の名前が全く別の名前だったら、自分は別人だった?名前が自分を今の自分にしたのだろうか?
今日は、お互いに目で相手の姿を見ることができたけど、自分自身はどうやって見る? あなたは自分の姿を見たことがある? 鏡という道具を使うしかないかも知れない。でもどうやって鏡に映った姿が自分だと分かる?
相手の情報を知ることは、相手を本当の意味で相手を理解することと同じかな?
相手の情報を聞いて、それらの情報を大量に集めたら、それは「相手そのもの」かな?
他者を知ることより、自分を知ることの方が簡単?
ファシリテーターの問いかけに、子どもたちがハッとした表情になり、急に前のめりな様子に変わったようでした。子どもたちの中には、咄嗟に「できる!」「いやできない!」と反応が聞こえてくることもありました。
次回は、もう少しこの謎について子どもたちの議論の場を作りたいと思います。