不思議の部屋 どうやって人とそれ以外を見分けるの?ー人間とは?ー
文 不思議の部屋参加者 りょう
編集 てつがく屋 杉原あやの
R5年度丸亀市市民学級 丸亀市生涯学習センター
不思議の部屋 てつがくラボ 9月のレポート
今回は、前回話し合った「なぜ神様や仏様のルックスは人間なの?」という問いから生まれた、さらなる問いについて深めていきました。
まずは、「なぜ神様や仏様のルックスは人間なの?」という前回の話し合いから生まれた、各々の問いを出していきました。
⚫︎神様と仏様の違いはなに?
⚫︎神様という概念が存在する社会とは?
⚫︎どうやって人とそれ以外を見分けるの?
⚫︎神はいる?
⚫︎社会とは?
⚫︎神様は誰が考えたのか?
さて、面白そうな問いがいくつもある中で選ばれたのはこの問いでした。
『どうやって人とそれ以外を見分けるの?』
今回はこの問いを深めていきます。
どうやって人とそれ以外を見分けるの?
まずはこの問いを考えた人の説明を聞きます。
少しまとめると「人と似ていると思うということは、人間とそれ以外の区別がついているというはず、どこで、どうやって、人とそれ以外を見分けているのかな」ということでした。
最初に出てきたのは「形や色で見分けるんじゃないの」という意見。
それに対して「黒人とかは色が違うけど人間だよね」という意見も。
「黒人とかアイヌ人とかは、昔は人として扱われていなかった」という話もありました。
人間として見ることと、人として扱うことは違うのかもしれないですね、と進行役の杉原さん。
この時点で話し合いとしては、人とそれ以外の動物などを見分けるとき、どういう部分に注目するのかなという話に視点があったように思います。
上に書いたこと以外にも
「人は猿とかみたいに毛むくじゃらじゃない」
「動物は笑うってことをしない」
「動物は喋らないけど、人は喋る」
などの話が出ました。
話題はそのまま
「もし、人にとても似ている宇宙人がいたら、それは人なのか」
という疑問も出ました。
それに対しては
「確かに、形も色も似ていたら分からないかもしれない」
「でも、話す言葉とかは違うはず」
「もし、言葉も話せたら分からないかも」
などの声が上がりました。
もしもシリーズはもう少し続いて
「もし人によく似た妖怪がいたら?」
「もし人間そっくりのアンドロイドがいたら?」
という疑問が出て、「分からないかも」という意見や「でも、やっぱり違う気がする」という意見も出ました。ありえないもしもの話ですがここから違和感を感じる部分や、違いを抽出しても面白かったかもしれません。
ただ、今回は少し違う点で指摘が杉原さんからあり、「今は視覚に頼っているけれど、形や色以外で人だって分かる?」
という話になりました。
例えば、暗闇の中に人がいたら、それは人と分かるのか、それとも分からないのか。また、目が悪い人は人とそれ以外が分かるのかということが杉原さんから聞かれると、
「その人が喋ったりすれば分かる」
という意見が。
それじゃあ、喋らないと人だとは分からないのか。
これに対しては分からない気がする、という意見が出ました。
「それだと、私も喋っていない間は人間じゃない?」
という杉原さんの問いに考え込む一同。
僕は喋ってない間は人間じゃないとは思わないけど、どうなんだろう。視覚に頼りがちだけど、色んな部分を見て総合的に判断するのかななんて考えていました。
「人の定義が喋ることだったりする人からしたら、喋ってないと人じゃないかも」
という意見。
みんなも頭を使って少しオーバーヒート気味だったかもですね。そういう意図もあってか、ここで一度人の条件を確認しようということに。
出てきものをまとめると……
1. 形、色(手、足、指)
2. 二足歩行
3. 言葉を話す
4. 五感
5. 感情
6. 意思
7. 人格同一性
8. 人から生まれてる
9. 体温
このようになりました。確かにこれを見ていると、これらを満たしてれば人って分かる気がするなぁという気がしてきます。全てを満たすことはなくても、人だと分かるものはどれかを満たしているんですかね。
人間である時とそうじゃない時? - 死体は人間か?-
少し、人の条件を確認していると、面白い意見が出ました。
「これ、形と人から生まれた以外は、死体は当てはまらなくないですか?」
死体! 新たな視点が追加されました。
これまでの議論は、人とされるものと、それ以外の動物などとの差が主でしたが、ここからは、その、『人間』とされるものも、人である時とそうじゃない時があるんじゃないかという議論に移ります。
「死体は人じゃない」という意見がちらほら。
人だったはずなんですがどうなんでしょうね。一旦、ここで先程の人の条件と照らし合わせることになりました。
× 1. 形、色(手、足、指)
× 2. 二足歩行
× 3. 言葉を話す
△ 4. 五感
△ 5. 感情
△ 6. 意思
△ 7. 人格同一性
○ 8. 人から生まれてる
× 9. 体温
1は当てはまらない、2は死体は動かないから当てはまらない、3も同じく当てはまらなくて、4~7は一旦飛ばして、8は当てはまる、9.はないといった感じになりました。
4~7についての話をまとめると4については「死体に感情はない」という意見がありました。
なんで死体に感情がないとおもうのか、を聞いてみると
「死体は反応がないから、死体は面白いことをしても笑わない」と返ってきました。
「でも、死体は動けないから反応がないだけで本当は感じてるのかも」
「反応があるかないかというのは面白いですね」と杉原さん。
実際、どこからを脳死とするかなどでも、感情や意思があるかは問題になるそうです。
ということで、4~7は分からないところもあるということで三角△としておきました。
赤ちゃんは人間?
また、赤ちゃんならどうだろう、ということで赤ちゃんいついても話あいました。1はちょっと違うところもあるということで△、2はまだ出来ないので当てはまらない、3も同じく当てはまらない、4はある、5もある、6もある(ちょっと怪しい部分も感じつつ)、7もちょっと怪しいから三角で、8は当てはまる、9はあるといった結果になりました。
そこで「人は成長して形が変わるから人間じゃなくなる?」という、発言に「そもそも人間って1つの時点に絞れないんじゃないか」という意見が出ました。
本人じゃないので正しく言葉の意味を理解出来ているかは分からないですが、人生のどこか一つの点(タイミング)を『人間』という基準には出来ないということだと思います。
例えば、20歳の状態を『人間』とするなら、赤ちゃんや、年をとった人は少し人間じゃないということになります。それってちょっとどうなんだろうってことですよね。
もし、人であるという基準が点だったら
「段々人になってく人と、今まさに人な人と、これから人じゃなくなってく人がここにはいるってこと?」
感覚的におかしな話に、みんなの表情が崩れ、笑い声が響きました。
当たり前な部分を確認しているようにも見えますが、大事な部分だと思います。
少し、変なことを言っているように思えてもそれが、いつの間にか出来ていた前提や、共通認識だと思っていたけれどそうでは無かったことを見つけるヒントになることがある気がします。
さて、先程の言葉から人間というものを時間の流れを含めて考えていくと、モデルケースですが
子供→大人→おじいちゃん、おばあちゃん→死体
というような風になります。
ここで少し疑問が生まれます。
「お腹の中にいる時、赤ちゃんは形とかも違うけど人間なのか」
確かに、受精卵の時とかは目で見えるかどうかぐらい小さいですよね。
それに対して参加者の一人が
「お腹の中にいるときは人間ではない?」と疑問が出て、さらにそれ対して「それじゃあ、人は人を産まない?」と、少し話が盛り上がりました
少し話が飛躍しすぎた気もするようなところで、杉原さんから「確かに、それはすごい面白くて、赤ちゃんの堕胎とかの問題で、脳死と同じように議論されてて、法律では、ここから人間という風に決まってて、でも、どこからが人間かはまだ議論が続いてるところなんです」とお話しがありました。
ここで「お腹の中で人の形とか臓器が出来上がったら人なんじゃないかな?」という意見。
「確かに、受精卵とかを見せて人間なんです、と言われても、うーんってなるけど、段々大きくなってきて、形が出来て、でも、まだ喋れない。そこから成長して、衰えていって、死んでしまったら最後は灰になるかもしれない。でも、その灰まで人間ですとしちゃったら、もう地球全体人間です、ってなっちゃうからどこかで、ここまでが人間ですって区切らないといけないのかなとは思う」と杉原さん。
「時間の流れの中では、この灰とかも人といえるかもしれないけど、そうすると人間以外の動物もみんな、すーっと繋がって消えていっちゃうような気がするよね。この中から『人間』ってのを抽出しようと思ったら、やっっぱりどこかで区切らないといけないと思う。その時、赤ちゃんと死体ってのは両端になるような気がして、比較するものとしてすごい良いと思う」と続けました。
一旦、死体を人間だと思うかをみんなに聞くことにして、人間だと、思う派と思わない派に分かれました。
どうして人間だと思うかを聞くと「死人って言葉があるし、人な気がする」「死体って聞くと、人のを思い浮かべるから」というような意見もありました。
「でも、」と人間だと思う派だった人が続けます。
「魂が宿るって言ったりするから、魂が抜けていったら人じゃないかも」
魂が関係してる?
「今、すごい面白いことを言ってくれた気がする。魂と死体との関連をもう少し聞かせてもらえますか?」と杉原さん。
「喋ったり生きてる人は、魂が宿ってて、死体から抜けてくから、その魂が元々持ってたものが思考と、五感とか、意思とかそこらへんなのかなって……」
少し確認として「魂、が宿ってて、それが抜けるってことは死体は人じゃない?」と杉原さんが聞きます。
「さっきのでいうと、死体は人じゃない」
「なるほど」
頷いた、杉原さんがホワイトボードに向かっていき説明をします。
「さっきの、すごい良かったのが、ここら辺を(上に示した人の条件の4~7番のこと)魂って言ってて、魂っていうと古めかしく聞こえるかもしれないけど、この概念、(西洋哲学のざっくりした流れの中では)現代では精神って呼ばれてるんだよね。あとこの、意思、理性ってのを精神の側に置く人もいるし、ただの脳の電波ということで肉体の側に置く人も、今でも両方います。こういうのは、うん、人間と死体とかを区別する上で大事かもしれない」と杉原さん。
ここで現れた、肉体と精神という概念。
世論(この場の)が魂の重要性に傾くなか
「でも、その魂を入れる器、ケースも人間の形をしているってことだから、魂が別の物体に行くとなったらそれは人間なんですか」と1人が投げかけます。
「例えば、犬に人の魂が入ったら……」
「それは、でも人間じゃないと思う」
「そしたら、ケースも大事だし、死体も人になるかも」
と話が進みます。
ただ、『魂』がなんなのか、あまり定まっていなかったので犬に入るというのがどういうことかなどは少し前提が甘かったかもしれませんね。
そこで、「例えば、魂を現代風に言って、精神にしてさ、私たちの精神性みたいなものを、パソコンに入れのって多分……」と杉原さん。
でも、これは「無理だと思う」と言われてしまいました。
「無理か」と呟く杉原さん。大人ができると思って子供が無理と否定する少し珍しい構図がそこにはありました。
一旦、精神と肉体の話に戻って説明をすることに
「この、精神と肉体は、哲学でずっと言われてて、心身二元論と言います。勿論これに、反論する立場もあります。精神を電脳空間に入れたらどうだろう。もしかしたら、この世界もそうやって夢をみているようなものなのかもしれないっていう思考実験もあるから」
「でも、地面があって感触もあるし現実だと思う」
「それも、プログラムされたものかもしれない」
「なんか、もうちょっといけそうですよね、なんか、なんか、いいな」と杉原さん。
「さっきの赤ちゃんと魂の関係とか脳死とかも、判定されるのは理性とか感情がなくなったってとこだと思うから、そういうのを魂が抜けたって言い方をする、かもしれない」と言う杉原さんに「そもそも、死ぬってことが一つの人間が終わるってのとイコールになるんですか」と疑問が。
少しみんなが悩み始めます。
「私が難しいなって思うのは、例えば、災害とかで長い間家族が見つかりません、それでも見つけたいって時に遺体が見つかったら、それは家族が帰ってきたと思うのか、ただボディが見つかったと思うのか。そこには差がある気がする」とみんなに語りかける杉原さん。
う~ん、確かに。
少し考えながら意見を交換しました。
そのあと、「あと、なんていうか人間というものを捉えるときに、色々あるっていうか、慣習上の人間と、死んじゃった人はもういないよって手続きしなきゃいけないから制度上の人間とか、色々食い違ってるのかもしれない」
と、杉原さんが論点をまとめました。
「それで言うと、死体遺棄罪とか、人として扱ってるけど、人として政府に登録的なのはされてなくて、人として扱ってるけど人として存在してないみたいな、なんなら制度の中でも捉え方に違いがありそう」
「思い出があるから、だからこの人は人だとか」
などど、意見が出ます。
宗教上や、地域による差異など色々と違いがあるのかも知れません……。
私たちがまだわかっていないこと
さて、話し合いは一旦ここでストップして、話し合いの過程で出てきた疑問を大事にするためにも『今日何が分からなかったのか』を挙げていくことになりました。
何が分からないことが明らかになったのか、一人一人ホワイトボードに書いていきます。
・人として生きるとは?
・形と色が人間と同じであれば人間と思っていたけど、魂の入っていない死体などは人間?
・どこからどこまでが人間とみなされる?
・仲間意識ってどこから来てる?というかそもそも何?
・魂は人間なのか?
・分類って必要?
・土に還った細胞って人?
・赤ちゃんは、形や色、考えることが違うけど、人なのかどうか?
形式を揃えるために疑問形式にしましたが、上に書いたような分からないことが書かれました。
みんながホワイトボードに書いている間も話はポツポツと続きました。
「人の骨とかって人間なのかな」
「それは、違う気がする。ペットボトルとか全体でペットボトルって言っても、この外したキャップをペットボトルとは呼ばないじゃないですか」
「あ、それすごい面白い。それこそ同一性の話とも繋がると思うんだけど、例えば飼い猫の尻尾がなくなっても、それは飼い猫なのか。もっと、どんどんなくなっていったらどうなるのか。
他にもおじいちゃんの形見の時計を修理するってなって、針だけ使いますってなったらそれはおじいちゃんの形見の時計と言えるのか。そういうの私好きな議論なんですよね」
「生きてるものなら、生きてる方な気がする」
「そういうのも気になりますよね、単純にパーツの大きい方がそれと言えるのかとか」
「それで言うと、医療が発達してて人を真ん中で分けても右と左で生きれるってなったらどっちがその人?」
という話や。
「奴隷とかは人だけど人として扱われてない」
「そうですね、そうゆう人として扱うってのもどういうことなんだろう」
「人権があるかとか?」
「昔、黒人奴隷制度の時とかは人権とかいう概念がなかったかも」
という話もあがりました。
まとめ
まとめのような話をすると、
最初、人間とそれ以外のものを形や色などを頼りに区別しているんじゃないか、ということで話し合いが進みました。でも、死体や赤ちゃんの例を挙げて考えてみると、その人間というのもよく分かってないということが分かりました。誕生から亡くなって、土に還っていく流れの中でどこからどこを人間とするのか、その話し合いの過程で魂という言葉も登場して、心身二元論に関しても少し言及がありました。話し合いをしてみると当たり前にあると思っていた人と人じゃないものの境界線が、今回は特に死体と赤ちゃんの部分でしたが、案外曖昧なんだなと思います。とは言っても、区別が必要になる部分はあるので制度上の人間や、宗教などの慣習上の人間はあるのかもしれません。
編集後記
上のまとめでほぼ内容については言ってしまったので、少し10代不思議の部屋という、メンバーも含めた空間について思ったことを話そうと思います。みんな、すごい良く考えながら発言をしていて、考え途中のアイデアも共有しながら話が出来て良かったと思います。僕よりも歳が幼ない子達が懸命に考える姿を見ていると僕もしっかり考えないとなと思いました。ちょっと、レポートを書きながら思った惜しいところは、だとしたら、こうなるって話が多くてややこしくなっちゃったかもなぁというところですね。発想の飛躍があったりしてとても面白かったですが、ここは違うと思うという点はもっとしっかり主張できるとより良いと思います。
僕は参加者の年齢をちゃんとは知らないのですが、推定小学生から高校生、という知識に大きな差があるだろうこの年齢層でこうやって話し合いをできるのはとても面白いなと思います。小学生だからこそ持っていた検証の甘い前提や、高校生だからこそ持っていた凝り固まった常識のようなところを刺激しあって、より哲学的な思考ができるようになると良いなと思います。