察するより話がしたい
アメリカにいるよ。
30歳。公務員をやめて語学留学しにきている。
新型ウイルスで解雇や内定取り消しのニュースを見るたびに、「公務員やめない方がよかったでしょ」という声が聞こえてくる。
私の脳みそがちょっと叫んでみている。
そしてついに留学先の大学は、授業をリモートにすることに決めた。
「おいおい、オンラインなら日本でもできるやないかい。」
脳みそがめっちゃ叫んでいる。
英語が話せない
留学先のアンケートで英語学習の年数を聞かれた。計算してみたら14年間勉強している。すっご!
しかし聞いてほしい。英語が流暢に話せない。本も辞書がないと読めない。
誠に遺憾であります。心の中の総理大臣がいい顔を決め込んで言ってる。
でも英語が好きだ。
本当は「英語という言語が作り出すヴィヴィットな思考と文化」が好きなんだ。
察する力と「みんな」
「分かるでしょ」みたいな空気が嫌いだった。
「分かりたくない!」と叫びたくなる。実際、反旗を翻して叱られたり嫌われたりすることがあった。だからできるだけ「みんな」のことを考えるように心掛けた。(でも結局我慢できず反旗を翻すプロの厄介者)
しかし「察する力」、日本で生きていくためには超重要だ。
日本語には、主語がなくても言いたいことが伝わる便利さや意味に含みをもたせることで想像力を掻き立てる美しさがある。わびさび!
「察する力」は日本語と日本語を話す人々が作り出した文化だ。ただ何でもかんでも察しすぎやしませんかいおとっつあん。
チャンス到来!「みんな」との討論会
小学校国語「討論会をしよう」みたいな授業が好きだった。
みんなと同じことが善である中で、バンバン意見を言うことが許されたのだ。公式版意見言い放題なんだから最高だ。
張り切って根拠を集めて「情報を伝えるには電話と手紙のどちらが良いか」という議論の準備をした。根拠を武器に主張をすることは気持ちよかった。痛恨…いや「痛快」の極みでございます!
でも議論の後、友だちに「怖いよ~」と言われて白目をむきそうになった。
電話と手紙のどちらが…という条件が甘すぎる議題に何もそこまで一生懸命になることは無かった。
しかしなんだろう。
友だちのことは好きだけど、はっきり意見を言うことが良しとされない風潮には馴染めなかった。
ハーマイオニーとキャサリン
11歳で英語を習い始めた。
「中学に入ったら英語が始まるから習った方がいいらしい」という理由からだった。そしてこれが楽しかった!
「私!いま!英語を勉強してる!」とTHの発音練習で舌を噛みながら興奮していた。(危ない。)
そこからティーン向けの小説(翻訳版)ハリーポッター(吹き替え版)などにはまった。
本の主人公が「彼はジョン。私のことが好きなのよ。だって毎日夢に出てくるんだもの!」とぶっとんだことを明確に言うのが好きだったし、ハーマイオニーが「ロン!違うわ。私に貸して!」と学年にとらわれずバリバリ勉強して魔法をかけていたのも最高だった。
昔、芸人がキャサリンというキャラクターに扮していた。
あれがおもしろかった理由は、言い回しの「奇妙さ」だと思う。彼女は「英語から翻訳された日本語」の特徴をよく捉えていた。
いつも主語から始まる英語を日本語訳すると奇妙になる。
英語の翻訳は「奇妙」だけど「はっきり」しているから私は好きだった。
そしていつしか英語を母国語にもつ国のヴィヴィット(鮮やか)な文化も好きになった。(ヴィヴィット:下唇噛んで読んだ?)
英語ペラペラ
英語と英語が作り出す思考や文化が好きになった私には夢があった。
「英語ペラペラ」
【目標期限】
小・中学生時代「ハタチくらいには・・・」
高校時代「帰国子女うらやましい・・・(ホームステイの勇気はない。母は許可を出してくれたのに!!!!)」
大学生「・・・(ああ受験終わった)」
社会人「死ぬまでに英語ペラペラになればいっか(勉強する時間ないな~ポリポリ)」
2年前「・・・死んだら話せなくない?!今やらな!!!!」
死ぬ前に気づいてよかった。自分をほめたい。
オーバーワークで体をぶち壊してしまったこともあり、人生をテツガクして退職を決意。英語についてもテツガクした結果「今ならいける!」と思い留学を決意。いま、アメリカにいるよ。
今日のテツガク「『みんな』なんていない」
「みんな」なんていない。
「みんなの考え」は「私の空想」だ。
あの頃の私に伝えたいけど、頑固だから多分聞いてくれない。素直さ欠如。
察する美しさにうんざりして、自分の考えをはっきり話したくなったら英語を使ってみるといい。英語が話せなかったら、英語が母国語の誰かと話してみるのもいい。英語は私の人生の抜け道かもしれない。
ヴィヴィットな国の目が覚めるような赤い机にパソコンを置いてテツガク。
今日もテツガクしてる?