けっきょく、クリス・チェンバーズの出番ってわけだ
はーい、テツガク肯定です。
スタンド・バイ・ミー、原作のネタバレ全開です。
苦手な方はお戻りください。
私は『スタンド・バイ・ミー』って映画が大好きです。
最近になって、原作、恐怖の四季の秋を読んだりしています。
読んだりしています、というのは。
映画の場面が原作にあるか、それを確認するために読んでいて。
まだ、全体を通しては読み切っていませんが。
やっぱり、かなり面白いです。
たしか、最初のタイトルは『死体(バディ)』だったとか。
ある場面を読んでいると、それを感じます。
それは、文庫本の198ページあたりから始まります。
ゴーディさんが友達に自分の考えた物語を話して。
テディさんとバーンさんがイマイチな反応を見せた後。
クリスさんとゴーディさんが二人で歩ていると。
そうクリスさんが言い。
作家の才能があるゴーディさんがそれを手放そうとしているのを心配して。
当時の子供達の不文律、暗黙の了解を破って。
思い切りゴーディさんのお父さんを悪く言いました。(正確には事実ですが)
それから、その時のゴーディさんが考えていた、自分の未来を言い当てます。
ここまで引用です、ミスがあったかもしれません。
それで、ここからも引用です。
そして、個人的にさすがだな、と感じたのは。
この全て、やたらとクリスさんがゴーディさんの未来を鮮明に語ったり。
ゴーディさんが恐怖を感じるほど、家庭の事情に詳しかったのも。
既に死んでいたから――冗談や何かの例えではなく。
本当にそうだったから、と今では思えてしまいます。
そうゴーディさんは思っていたようですが。
自分には見えない外側は他人しかわかりませんから。
時に、他人が自分以上に自分を知っているのは当然です。
同様に自分が他人の知らない他人をよくよく知ることもあります。
だなんて、少し話が逸れましたが。
ゴーディさんが恐ろしいと回想したのは。
引用した未来の話ではなく、現在、家でゴーディさんは無関心の存在である、ということ。(兄しか見ていない父。兄が死んでも、やっぱりゴーディさんを見ない父)
それを詳しく言い当てた時の話です。
そして、それよりも遠い未来、それをハッキリと語った。
十二歳のクリス・チェンバーズは年齢どころか一生を超越し。
既に何度か人生を終えたかのように、見えないはずの内面を言い当ててしまった。
……まあ、気づかれないって思って、信じているのは本人だけで。
案外、隣にいる誰かには筒抜けなんですがね。
それからクリスさんはゴーディさんに言います。
「どんな人が?」とゴーディさんは訊ね。
それをゴーディさんはこう思っていました。
教師や、新しいスカートがほしかったミス・シモンズ。
あるいは、エースとかビリーとかチャーリー、そういう人とつるんでいる兄のアイボール。
クリスさんの父親や母親、クリス・チェンバーズって個人の印象を歪める他人。
それにクリスさんは。
それから、先の場面。
森で夜を過ごす時、ゴーディさんは夢を見ます。
クリスさんが水中に引きずり込まれる夢。
水中にはテディさんとバーンさんがいて。
死んだ二人がクリスさんの足をつかんでいた。
そして、ゴーディさんの足もテディさんにつかまれる夢。
そして、原作の結末は……。
ゴーディさんを残して3人ともこの世を去った。
その後、懐かしのキャッスルロックで出会ったのはエースさん。
昔はお互いに友達が多くいたけど、今ではお互い1人。
原作のゴーディさんは映画同様。
家族を持って三人の子供を父親に預けたりもするそうで。
あのゴーディさんに無関心だった父親が孫には関心がある。
なんとも不思議な話ですが……。
私にとって、もっとも不思議なのは。
この結末の文章を読む限り……。
ゴーディさんはそこまで幸せそうではない、ということ。
少なくとも、この話の現状では。
確かに、クリスさんが心配していた未来は回避できました。
せっかくの才能を棄てることなく。
ただの皮肉屋に成り下がることなく。
いわゆる、輝かしい人気作家の称号を手にしたそうですが。
……あまり、いいとは言えない気がします。
映画版はよさそうですが。
原作ではクリスさんは。
テディさんやバーンさんにはわからないだろうが。
ゴーディさんの話は面白いよって評していました。
きっと、それがわかる人がこの先にいると。
しかし、クリスさんの予言はココだけは。
まだ、この時点では当たっていないとも言えそうです。
もし、私だったら。
本当に必要なのは――映画化される作品を量産する作家って立場ではなくて。
クリス・チェンバーズさんみたいな人が隣にいる、そういう季節が必要だった。
そりゃ、空っぽな皮肉屋は困りますが。
別に成績がCだったとしても話は書けるわけで。
それを最高の理解者と楽しめる未来があるとしたら。
それこそが故郷。
ある意味でゴーディさんは多くの人同様に故郷を失った。
果たしてそれが、素晴らしいとは私には言い難いです。
たしかに、今の現状では。
誰も足を引っぱらないかもしれません。
なぜなら、誰も。
そこに足があることに気づかないから。
もとに戻ってしまった。
幽霊のような存在のゴーディ・ラチャンスさんに。
自分のことを自分以上に見抜いている、よき友達がいた。
それをゴーディさんは恐怖と言いましたが。
私はそうは思いません。
というか、実のところ、ゴーディさんもクリスさんを見抜いていた。
だから、彼を信じ、その先も彼と一緒だった。
ちゃんと関心を向けて見れば誰にだってわかります。
(うっかりバーンさんですら気づくこともあります)
テレビゲームだって見れば動きを覚えるように。
隣にいる人のことだって……私はゲームを覚えるのは苦手ですが。
まあ、人のことを観察するのは好きな方です。
なぜって、ゲームを覚えてもトロフィーがもらえるだけで。
ですが、人の好みを覚えれば一緒に楽しめるからです。
どう考えても、人を観察する方が面白いです。
多くの人はそれを忘れて、こわがっていますが。
私から言わせれば、腐乱死体が歩いている。
まさに、ウォーキング・デッド!
おそれている人の方が、誰かにはこわく見えるものですよ?
このスタンド・バイ・ミー。
それが死体ってタイトルだったのは頷けます。
最初は死体になってしまった、レイ・ブラワーさんのことかと思いましたが。
そういう意味ではなくて。
しがらみだったり、記憶だったり……。
ですが、私はそういう目では人を見ません。
少なくとも、私が出逢った人に関しては。
確かに今の私は日本人が大嫌いで、苦手としていますが。
それでも、出逢った人に対する想いは変わらず。
足を引っぱる存在とは思ったこともありません。
ただ、どうにも一緒に楽しむのが苦手。
そういう人種の呪いには頭を悩ませますがね。
どうして、一緒に楽しめないのでしょうかね。
この日沈む国の人達は。
安全圏からモノを言うしかできない。
一緒に地雷原の線路を歩く。
そういう泥合戦を楽しめない。
例え、服を泥で汚して、ヒルに身体中の血を吸われても。
このグリーンマイルの上で自分とは違うと思えた誰かと。
秘密の共通項を一緒に楽しむって奇跡……それを隣で楽しむんじゃなくて。
安全圏から見下している、悟りきった死んだ冷たい目で見下している。
なんのために、ココにいるの?
私?
決まっています、帰るためにです。
行き先は故郷、そのとおり。
人生は帰り道、目覚めは最高!
おそらくですが。
かなり遅れて、ゴーディ・ラチャンスさんは帰ることでしょう。
もしかしたら、その前に生まれ変わったクリス・チェンバーズさんに出逢って。
新しい想い出を楽しむかもしれませんが。
結局のところ、クリス・チェンバーズの出番ってわけです。
ゴーディさんはどう思っているのか知りませんが。
輝かしい作家になるより。
ああいうことを言ってくれる。
一緒に隣を歩いてくれる。
時には自分が何かを言いたくもなる。
不文律や暗黙の了解を破っても言いたくなる。
そういう友達を一瞬でも持つのは。
どんな功績よりも得るのが難しい奇跡です。
断言できます。
空っぽな皮肉屋がマシに思えるほど。
空っぽなトロフィーマシンになるのは。
かなり虚しく耐え難いって選ばなくてもわかります。
なにひとつ書かないのもしんどいですが。
ただ、書き続けるだけも、なかなか……。
ですから、クリス・チェンバーズが必要なんです。
それでは、また次の機会にお会いしましょう。