人間五十年


 はーい、テツガク肯定です。


 ちょっと昔、織田信長さんが人間五十年だって。
 ファイヤーダンスをしながら、叫んだとか叫んでないとか。
 そもそも、本当に織田信長さんなんて人がいたのか。
 それすら、怪しい限りですが。

 そんなことは、トタン屋根の上にです。


 さて、この五十年。
 今回の話の中では、人の一生が五十年というテイで話しますが。
 その人の一生も、気がつけば百年だ、となっています。

 昔、相方と似たような話をした気がしますが。
 もし、仮に五十年から百年時代になったというのなら。
 年齢の感覚も合わせて変更した方がいいと思います。

 そうですね……50歳が100歳なら15歳は30歳。
 そんな感じですね。

 現在の20代の方々には申し訳ないのですが。
 正直、今、20代の方々を見ても。
 ホント、20代というより10代な感じで。

 でも、私達よりもなんでもできる、超人類らしくて。
 いつの日か、アメリカとロシアで大統領にでもなってもらわないと。
 全く割に合わないくらい期待されている、超凄い若者です。

 あ、その、そういうことじゃなくてですね。
 とにかく、20歳とかそういう数字だけで見ていると。
 素直に正直に違和感を覚えます。

 いくら若い人が賢くなっても。
 やっぱり、なんか違うんです。

 もちろん、それは40歳や60歳にも言えることで。
 なんか40歳で20歳、60歳で30歳。
 そう考えて、やっと納得できる感じです。
 こんなことを言っている私も、相当変な感じですが。


 とにかく、年齢というものさしは。
 そこまで当てになるのか、と。
 ずっと、感じて思っています。

 ちょっと考えてもみてください。
 一年とは何をもって一年として。
 一歳とは何をもって一歳とするのか。

 もし、公転周期を一年として。
 一年で一歳というのなら。

 地球の人と木星の人では。
 同じ10歳でも偉い違いがあります。

 地球の11年が木星の1年で。
 地球の10歳は木星の110歳です。
 とんでもない差です。

 そして、それは地球でも同じかもしれないと思っています。
 その公転周期が速くなっているとかではなくて。
 廻る忌々しい時代によって、1年の意味が変わっている。

 良くも悪くも昔の1年は重く濃く。
 良くも悪くも今の1年は軽く薄く。
 それが、年齢という数字と実際の人柄に現れている、そんな気がします。


 特別、昔の人を崇め奉る気はありませんが。
 人の生き死を日常茶飯事で決めていそうな人と。
 いろんなことを手軽に知れる人では。
 
 考えた方に見方にいろいろ違って。
 できること、できないことも違って。
 その違いが年齢という謎の印象とも違う。


 まあ、昔の人が本当にいたかもわかりませんし。
 正直、会ったことも話したこともないので全く知りませんが。
 それでも、これまでの年齢の尺度は全く当てにならない気がします。

 15歳で元服とか……。
 10歳でポケモンマスター目指して旅に出るとか。
 高校卒業して直ぐに峠を走り回って最速神話とか。

 正直、30歳過ぎても無理ですよ。
 でも、なんか80歳過ぎても、隠居はしてない気がする。
 もし、そこまでこの世にいたら、の話ですが。


 とにかく、百年時代なら。
 それまでの年齢の尺度も変えた方が……。
 例え、それが一般的にならなくても。

 自分の中では。
 もう、一般的な尺度は壊れているんだと。
 勘違いをしてもいいのかもしれません。

 もったいないじゃないですか?
 もう、20代じゃないから老害だなんて。
 残りの永い時間が、ただの懲役に変わってしまいます。

 あなたが何歳か存じあげませんが。
 今、この瞬間がある限り、もう少しだけ前へ出れるはずです。

 年齢なんてシカトしてしまいましょう。
 GOです、GO! Here is a wonderland.
 I,I,I,I,I,I,I,I,can still... 

 『Emotional Fire』で『Dancing Is My Fever』です!


 それでは、また次の機会にお会いしましょう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?