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本がキライ

私が読書をしたと言える本の数は多くない。
正確にはタイトルも作者もほぼ覚えていない。
こんな話があったな、と心に霞が放たれるだけだ。

きっと話数で言えば相当な量だろう。
幼少期には祖母がたっぷりと読み聞かせをしてくれた。
1晩に10冊以上も読んでくれたこともある。
3歳から公文式を習い、幼稚園に上がった頃には1人で小公女を読んだ。
小学2年生で夏目漱石やミヒャルエンデの読書感想文を書いた。
中学生になる前には英語版の海底1万マイルを和訳版と並べて読んでいた。
自分で言うのも何だが、文字の習得も読む本のレベルも1つ頭が抜けていたように思う。

しかし、心を震わせるほど真剣に読んだことなどなかった。
読めるだけで、読むのは苦手だ。
繊細な描写や精神的な文面があると、メンタルが凹む。
だから距離感のつもりでさらりと読んでいる。

そんな自分が、1度だけ読書でよしもとばなな先生の『アムリタ』を読んで胸がわななくような気持ちになった。
真剣に読んでいたつもりはなくても、心臓にズドンと弾を撃たれた。
そこから、積読が部屋を埋めるほどになった。
また撃ち抜かれるのが怖いくせに、知りたくなった。
当時は勇気がなくて、開かずの本が増えた。
怖いくせに、捨てずに一緒に引っ越し続けた本。

本屋なんて嫌いだ。タイトルだけで追い込んでくる。
本なんて嫌いだ。平常心をかき乱す。

心の霞は読み知った物語より、自分の空想が鮮やかだから。
頭が破裂しそうになる。それなのにまた新しい本を買う。
苦しめてくる、この小さな世界。紙の向こうの世界。

本棚に並ぶ背表紙を撫でていると、愛情らしきものが頭をもたげる。
私の頭の中は触発されてストーリーでいっぱいだ。
好きで憎いあんにゃろうだ。
こいつらに乱されて、尽きる事ないアイディアに苦しめられる。

この部屋にある文字が一滴の涙だったら、溺死している筈だ。

ちくしょう。

私は、今日もまたキーを叩く。
本棚に悪態を吐きつつ。

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