評価を受ける人と評価を避ける人
こんばんは!毎日投稿161日目になりました。今日も頑張っていきましょう!
世の中には、2種類の人がいます。面識のない人からも評価を受ける人と、そんな評価を避けて面識のない人を自分が評価する人です。
芸能人やYouTuberなど、多くの人に見られるような人が前者、その他マジョリティが後者に当たると思います。
前者は、世間(もしくはネット)に流れる「好き」「嫌い」という嵐に耐え、活動を続けます。後者は、前者のそんな苦労には目もくれず、昼夜問わず評価を浴びせ続けます。
評価を受ける人の中には、そうである以上、低評価を受ける人も少なくありません。視聴者は無情のごとく悪い評価を突きつけます。中には誹謗中傷に及ぶ人までいます。
それでも、評価を受ける人は、評価を受けることを選びました。僕は少なくともその点では高評価に値するのではないかと思います。
つまり、僕が言いたいのは、自称評論家(似非評論家)として日陰にいながら日向にいる人たちに評価を下す人より、悪い評価を受けてでも日向にい続けようとする人の方が何倍も良いのではないかということです(これ自体評価みたいなので何とも表現しづらいですが😅)。
「底辺YouTuber」「売れない芸能人」など、差別表現っぽく使われることも少なくないですが、挑戦しているだけでも僕は凄いなぁと思います。もちろん、売れないまま楽観的に同じことをただ繰り返しているだけではいけませんが。
でも評価を下すことは誰にでも出来ますが、評価を受けようとすることは誰にでも出来るわけではありません。僕は是非評価を下す人より、評価を受ける人を目指したいと思います。
これは余談ですが、いずれ大多数の人が評価される時代が来るかもしれません。Amazonレビューでは商品の評価が盛んに行われていますが、それが人でも起こるようなイメージです。
既にUberEATSの配達員や僕がやっている英会話サービスの講師などもその対象になっています。AIが労働市場に参入し、全人員が必要で無くなってくると、この評価の対象が広がってきます。
なぜなら、非正規雇用やフリーランスの業態の増加に伴い、マッチングサービスも増え、それの利用者は評価の対象となるからです。いつまでも評価を下す側にいようとする人にとっては生きづらい世の中になるかもしれません。