相対的便利さ

こんばんは!毎日投稿163日目になりました。今日も頑張っていきましょう!


   1945年に終戦してから76年が経ちました。戦争の危険性から抜け出し、戦争で命を奪われる危険性がなくなり、一気に経済発展に力が注がれた高度経済成長期を経て、白黒テレビはカラーテレビに、更には現代ではカラーテレビの役割をスマホが代替しつつあります。
 
   人々が文明発展、すなわち日々の便利さの向上に一生をかけて勤しんだ20世紀後半から、今日は2022年、街並みは原型をとどめていないほどに変化しました。

   もし50年前、当時の最先端を追い求めていた人たちが現代の人々の生活を見れば、天国のように映ることでしょう。日々の洗濯は全自動が当たり前、買い物も家から出ずにオンラインで頼めば何でも、料理さえ届きます。一定の月額を支払えばスマホ1つで映画は見放題、音楽は聴き放題です。それでもなお、僕たちは発展を求めています。なぜでしょうか?

   理由は2つあるでしょう。1つは資本主義の構造です。資本主義は人に何かを施すことで対価としてお金を得ます。商品然り、サービス然りです。その対価というのは、需要と供給の原則に基づいて決定されます。人により大きな便利さを提供した方が、より大きな便利さを享受できる(受け取った対価でサービスが受けられる)という構造です。
 
   したがって、現状維持では大きな対価を得られず、更なる発展を遂げることでそこに価値が生まれます。つまり、「より便利な生活を享受したい」という人が持つ普遍的な欲求を「より発展した商品、サービスを」とすり替わってしまうわけです。これが資本主義を資本主義たらしめている性質です。

   2つ目の理由は、人が感じる「相対的便利さ」です。1~2世代前の人が今を見れば天国だと思うだろうことは上で述べましたが、それはこの「相対的便利さ」によるものだと思います。
 
   相対的便利さとは、「生まれた瞬間、または育った環境がその人にとっての幸福度の基準点となり、その後はその基準と比べてどれほど便利な生活かで幸福度が決まる」という考え方です。
   
   面白い事実ですが、働く年数の前半を年収1000万円、後半を600万円で生活するのと、前半を500万円、後半を1000万円で生活するののどちらが幸福か、という問いに対し、総合した金額は少ないにも関わらず誰しも後者を選びます。
 
   つまり、人が便利さを感じるのは、その便利さを享受しているときではなく、それまでより相対的に便利な方向に“変化した”ときです。しかし、このように“変化”だけに幸福を感じていたら、いつまで経っても永続的な幸福を得ることは出来ません。そこで必要なのが、「足るを知る」精神です。というかこれが「足るを知る」ことが必要な理由なのです。

   かといって、1つ目の理由で挙げたように、心が純度100%、「足るを知る」精神で満たされてしまうと、価値を感じられない人になってしまい、資本主義の中では生きづらくなってしまうかもしれません。ビジネス界の歴史を創り上げてきた偉人たちがハングリー精神に満ちていたことも事実です。僕がベストだと思うのは、表ではハングリー精神を持ちつつ、心の奥で今の便利さに気づくことです。それが自分の幸福度を最も底上げする最善策だと思います。

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