統一教会と報道、自民党の対応について

こんなことを書いて、個人として損をすることは百も承知だが、もうどうにも我慢ができなくなった。

統一教会と昨今の報道に辟易している。怒りさえ覚えている。

論に入る前に、前提としてぼくの立場を言えば、個人的に統一教会には好感を持てない。いや、はっきりと言おう。ぼくは統一教会が嫌いだ。

天皇陛下を侮蔑する反日組織だし、霊感商法は多くの被害者を生んだし、合同結婚式なんていうのものは、憲法違反なのではないか、と考えているくらいだ。

しかし、少なくとも現時点では、合法的な宗教法人である。この点を忘れてはいけない。今なお、信者がいて、その信者には基本的人権がある。信教の自由がある。内心の自由がある。

だのに、どうだ。この加熱しまくった報道は。統一教会と少しでも接点のある人間は、それだけで悪者だと言わんばかりの取り扱い方。

信者の人たちは今、どんな思いで日々を過ごしているのだろう。触れるだけで菌がうつる、と差別されているような、胸が押しつぶされるような気持ちでいるのではないか。信仰を否定され、深く傷ついていることだろう。

ぼくは彼らの信仰について、少しも共感できない。それでも、何を信じるかで、人は差別されるべきではない、と強く思う。何を信じているかで人を判断するなど、愚かなことだし、とても下品だ。

彼らが反社会的組織に属しているのならば、それも仕方がないだろう。しかし、繰り返すが、統一教会は合法的な組織なのである。所属するのは自由だし、教義を信じるのも自由。国民の一人として政治参加する権利も当然ながら認められている。

もっと言えば、反社会的組織でさえ「過去にあんなことをしたから」とか、「この先、悪いことをしそうだから」といった理由だけで解散させることはできない。基本的人権の「結社の自由」が公権力を制限しているからだ。

さて、その上で、今の報道はどうだろう。彼らは誰のために報道しているのだろうか。霊感商法の被害に遭った人たちのため? いま協会に所属している人のため?

ぼくには「統一教会こそ悪の根源。それと関わった自民党は信用できない!」といったぼんやりした言説を垂れ流していれば、視聴率が取れる、新聞や雑誌が売れるという程度の判断であるように思える。ああ、情けない。

政教分離の原則がある、という人がいるかもしれない。しかし、それは「自民党(の議員)が便宜を図った」という事実を明らかにしなければならない。現状はどうだろう。

「なにか黒い関係がありそうだ」という推測だけで、あたかも大事件のように報道しまくる姿勢に、モリカケサクラ問題を思い出す。あれだけの時間を使って、いったい何が出てきたか。

ここで、聞くがメディアのみなさん。今の統一教会の報道に関して、信者の方の信教の自由はどう考える。統一教会の信者は、政治家を応援する権利はないのか。政治参加する権利はないのか。

組織に問題があるからと言って、ここまで叩きまくっていいのか。そもそも問題のない宗教団体は存在するのか。ないとすれば、統一教会だけを例外とするのは、どういう理由なのか。他の宗教団体と政治の関係には踏み込まないのか。

こう書くと、ぼくが統一教会を擁護していると感じる人もいるだろう。

違います。みなさん、「統一教会だから仕方ないだろう」と思っていませんか。これはぼくたちの自由が公権力に対して、いかにして担保されるかという基本的人権の問題と深く関わっていることなんです。

これが許されれば、次はあなたが信じている宗教や、支持している政党がその対象になる可能性が高まる。多様であるべき考えが一元的になり、全体的になり、国家の形が変わっていく。

ぼくにはそれがたまらなく気持ち悪いんです。

繰り返すが、ぼくは統一教会が嫌いだ。もっと言えば、自民党も好きではない。でも、今の「統一教会袋叩き」は極めて危険だと考えている。

付け加えるならば、リベラルを自称する政党の政治家たちが、基本的人権が侵されそうになっている現状に対して何も言わないどころか、むしろ、それを助長するような発言を繰り返すのを見るに、本当に信用できない人たちだな、と思う。彼らは弱者の味方ではないし、公権力に対して個人を守る気もない人たちだ。そのことも、心底悲しい。

あまりに長くなったので、自民党の対応については次回。

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