【映画評】生きる 黒澤明
人が死ぬといろいろある。葬式はときに修羅場だ。(余談だが、私の祖母が亡くなったとき、親父と叔父が大喧嘩してえらいことになった)。
『生きる』は市役所で形式的に仕事をこなすだけになっていた男、渡辺が、ある日ガンに冒され自分の死期を知る。僅かに残された人生を、たらい回しにされていた市民のための公園整備に捧げる。
通夜では故人が生前どんなだったかが語られる。そうやって亡くなった人を偲ぶのだ。
そんなシュチュエーションを見事に利用して主人公の「余命を知ってからの期間」を描く場面は無駄がなく鮮やかすぎる。
渡辺は上司やヤクザの脅しにも屈せず、市民によりそい、公園を完成させ、死ぬ。がんであることを周囲には隠して。
死ぬ。人は死ぬ。だが、渡辺の死に方はあまりに静かで、美しい。
歌いながら、ブランコの上で、自分の作った公園の。
通夜で同僚は今までの自分たちの形式的な仕事を反省する。そしてふたたび判をおした生活へもどっていく。何もなかったかのように。
公園には子供の声が響いている。
観客も日常にもどっていく。私はいったいなにがつくれるだろうか?
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