![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13808045/rectangle_large_type_2_10a8dc8618e46e8507a7114b668f8717.jpeg?width=1200)
旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。
旅の形は人様々だが、僕はまだ、「終わりのない旅」というものを経験したことがない。
もともとは、いつにどこに行って、何をして、ということを決めてから旅に出かけるタイプです。
ですが、世界一周に出てからそのスタイルがすっかり変わってしまった。
きっとなんとかなる。
そんなちっぽけな自信を手に入れてしまったため、たいして予定も決めずに出かけ、行く先々でちょっと図々しく、行き当たりばったりを楽しむようになってしまった。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13801913/picture_pc_6b1e8979d8f3ae9e59ff573808fb6c68.jpeg?width=1200)
だけど、常に終わりは決めていた。
つまり、自分の家に帰ってくる日。
これだけは決めないと後戻りできない、何か底なし沼にはまってしまうのではないか・・・。と思ってしまい、臆病になっていた。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13802259/picture_pc_4e114bd59c7a5f271d6e0b4220577208.jpg?width=1200)
深夜特急の中でこんな一節があります。
旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。
人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。
私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。
何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。
これは旅や人生だけのことでもないなぁと、改めて思うところが沢山あります。
僕は「終わりのない旅」をしたことはありませんが、
色々な人生のポイントで「終わり」を自分で作らないといけないのだな。と強く思います。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13802297/picture_pc_89837ade1d4e00364e758373857dfcf4.jpeg?width=1200)
私の旅がいま壮年期に入っているのか、すでに老年期に入っているのかはわからない。
しかし、いずれにしても、やがてこの旅にも終わりがくる。
その終わりがどのようなものになるのか。
果たして、ロンドンで《ワレ到着セリ》と電報を打てば終わるものなのだろうか。
あるいは、期日もルートも決まっていないこのような旅においては、どのように旅を終わらせるか、その汐どきを自分で見つけなくてはならないのだろうか……。
この時、私は初めて、旅の終わりをどのようにするかを考えるようになったといえるのかもしれなかった。
僕が世界一周に出た最後の目的地が香港で、最後の最後までワクワクしたけど、終わりは決めてあった。
だから、帰国した時には、もっと旅していたい、という気持ちと、やっと家に帰れる・・・。という気持ちの両方があった。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/13802779/picture_pc_dbd429cc73c415a8023b15a7a04ca623.jpg?width=1200)
終わりのない旅だとどうなるのだろう?
どうやって終わりを決めるのだろう。
そんな話ができるのかわかりませんが、
TEDxHamamatsuSalon vol.13のテーマは「旅」です。
そんなに重い感じではなさそうです。
楽しそうです。
天竜浜名湖鉄道というローカル線を1車両貸し切ってしまいます。
皆さんと会えること、楽しみにしています。