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PR視点のブックレビュー:鹿毛康司著『「心」がわかるとモノが売れる』

2011年3月。東日本大震災の直後、僕のもとには次々に大企業からの相談が舞い込みました。『戦略PR』が注目されて間もなかった僕への相談が何だったかというと、「テレビCMが当面打てないから、代わりにPRでなんとかならないだろうか?」というもの(いくつかは丁重にお断りし、いくつかは可能な範囲でサポートさせていただいた)。テレビをつければ、画面は震災報道とACの公共広告ばかり。そんな中、鹿毛さんがつくったミゲル少年が歌う「消臭力」のCMは、日本中に強烈なインパクトを与えました。

このCMの本質はインパクトだけではありません。ミゲル少年が歌うポルトガルのリスボンは、かつて津波被害で人口の三分の一が亡くなった場所。このテレビCMを初めて観たときには微妙な印象だった僕も、この事実を知って、そこにある種PR的な奥深さを感じました。そして本書では、このCMがつくられることになる背景も細かく描写されます。なにしろ驚くのは、この決断が震災発生からわずか「5日後」だったということです(皆さん、震災から5日後に自分が何をしていたか、思い出してみてください)。

震災の話に限らず、鹿毛さんたちの実行力とその裏舞台が追体験できるのが本書。それだけでも読み応えがあるのですが、僕なりにPRの視点で眺めると、鹿毛さんやエステーという企業に「ナラティブ」な要素が感じられます。

「この手紙には簡単にお返事を書くことができませんでした。そしてブランドは企業のものではなく、お客様の生活や人生の中にあるものということを思い知らされたのです」MBA留学でマーケティング理論を習得し、帰国した鹿毛さんは、勤務していた雪印乳業で「天狗」(ご本人いわく)になっていたそうです。そこに勃発したのが、世間を騒がせたあの食中毒事件。世間のバッシングが続く中、お客様から手紙をもらいます。「母一人子一人で貧乏だったけれど、母乳の出ない母は雪印の粉ミルクを与えてくれた。なぜなら、棚で一番高いのが雪印だったから。だから、雪印というブランドは私にとって母の愛情そのものなのだ」という手紙です。「商品や企業は”主役”ではない」と鹿毛さんは言い切ります。

ナラティブの主役は企業ではなく生活者。企業と生活者が、現在進行形かつ永続的に紡ぐ物語がナラティブです。雪印での経験は、鹿毛さんにとって「ナラティブ」への目覚めそのものだったのかもしれません。その後のエステーでも、鹿毛さんのツイッターの「フォロワーさん」が宣伝部員として入社したり、西川貴教さんとの「企業とCMタレント」を超越したつながりなど、まさに共創的な「物語」が繰り広げられます。エステーにナラティブカンパニーの要素があったとは、本書を読むまでなかなか気づきませんでした。

本書をつらぬく大切な要素は「心(ココロ)」ですが、ブランドや企業の「人格」というものについて、あらためて思いを馳せることになるでしょう。オススメです。

追伸:来週の月曜日(7月5日)の夜、鹿毛さんとトークセッションやります。ご興味あるかたはぜひご参加ください!

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