中国が超ざっくりわかる〜中国歴15年すがぬまの人生を添えて〜
初の note では、自分が幼少期(1994)〜高卒(2010)までいた「生の中国」を紹介するとともに、自己紹介も少々織り交ぜて書いていこうと思います。あくまで、個人的な見解と偏見なので、あしからず。(3分ちょっとで読み終わります、コーヒーを片手にどうぞ。)
あ、おかげさまで、note 第二弾書きました〜
中国ってこんな国〜東西南北のざっくり特徴〜
私は1992年に、中国人の父と日本人の母との間で、東京に生まれ、生誕まもなくして中国の最北の省(日本の都道府県的な)「黒龍江省ハルビン市」の祖父のもとで暮らしていました。まぁ、日本でいうところの北海道みたいなところですね。そこは、冬は一番寒い時期でマイナス30度以下の極寒の地で、立ちションをしたら、壁から尿が地面に垂れる間に凍ります。
と、ここで中国の北部と言いましたけれど、中国はざっくり北と南で分けることができます。北は政治や軍事が盛んで、南は経済や文化が発達しているなんていわれたりしてます。そして、北の人の特徴はみんな身長が高く、声が大きくてワイルドな感じです(偏見)。南の人は小柄で、インテリっぽい印象(超偏見)。マニアックな話ですが、北と南の地理的な境界線は秦嶺・淮河線(しんれい・わいがせん)という山と川にうまく区切られてて、中国の中学地理のテストに必ずでます。覚えておきましょう。
長い間中国人の皆さんと一緒に生活していて(まぁ、私も半分中国人ですが)言えるのは、中国人は一度仲良くなれば凄く優しくしてくれて、家に連れてってくれたりご飯をおごってくれたりします。また、商売人気質なところもあり、とにかくビジネスの嗅覚が鋭く、皆何かしらの副業をやっている印象でした。今でも仲の良い親戚は、米の品質点検の本業をやりながら、副業では、田植えをして米をECで売ってます。みんな本当に逞しいです。
実は、「世界の工場」なんて言われている中国は、主に中国の南部を指しており、モノづくりが盛んです。IT系の会社も南部に多く、Eコマースとジャック・マーで有名なアリババ社や、WeChat でおなじみのテンセント社も南の地域の企業です。私の大好きなドローンのDJIも南です。それに対して北は、モノづくりというよりも比較的商売人が多い感じで、交渉事に長けています、めちゃアグレッシヴです。
南は、ものをつくるのが得意、
北は、ものを売るのが得意。
なんて、言ったりいわなかったり(これもちょっと偏見ですね)。
ちなみに、北の有名な都市といえば、北京、天津、大連、青島などがありますね。南は上海、深セン、広州などがあります。
東は主に沿岸部で中国の経済的に発達している地域です。中国の経済すげぇ〜って印象は大抵ここの地域から来ていて、上記で言及した都市は全部東の沿岸都市です。東と西はやはり今でもだいぶ経済格差があり、昔、中部の農村公園にいったときは、ロバが車より多かったのを覚えています。でもこの格差は実は「狙っていた格差」でもあるんですって。「先ずは一部に富を、その後に全てに富を。」by 鄧小平(中国のすっごいおっちゃん、毛沢東が建国の父で、彼が開国の父なんていわれたりしてます。)今では、格差も少しずつなくなって、農村部でもみんなスマホで TikTok してます。
好好学習、天天向上!色んな意味で凄い中国の教育
さて、そんな中国の北部ですくすく育った私も、小学校に通う年になります。(余談ですが小1〜小3は日本にいました。)
「好好学習、天天向上」という言葉が記憶のすべてだったと思うくらい、勉強を中心とした学校生活でした。好好学習=ちゃんと勉強して、天天向上=毎日向上しなさい、この8文字はでかでかと黒板の上に飾られて、とにかく勉強!という感じでした(図参照、まさにこんな感じ)。
小学校はみんなしっかりと愛国教育を受けるので、赤いスカーフを着用します。これを忘れるとまぁ〜怒られるので、スペアを何枚も持ってました。月曜はみんなで校庭にあつまり、国旗を揚げながら国歌斉唱。制服は控えめにいってダサく(全身青のジャージ、地域差あり)、一切のお洒落を排除し、勉学に励め的なメッセージを感じます。
さて、なぜこれほどまでに勉強が重視されているかというと、実は私と同じ世代の子供たち(俗に言う「90後」、1990年以降に生まれた人たち)の親世代は改革開放(1978年の政策、ざっくりいうと「俺たち社会主義だけど、資本主義のいいところ取り入れて市場経済やっていこうぜ!」by 鄧小平)される前に生まれて、ほとんどの人は経済的な事情もありしっかりと教育を受けられない時代に育っています(大卒はとても珍しい)。
しかも、それに加えて一人っ子政策ときたもんですから、自分たちが勉強できなかった分、一人しかいない愛する子供に全心血を注いでとにかく学を身につけ将来立派になってほしいと皆願うので、だから90後の親は皆教育熱心でした。
小学校だったのにもかかわらず、ほぼ全員が放課後塾に通ってましたし、学校の先生も放課後に生徒集めて勉強を教えてました(深くはツッコミません)。しかも、任天堂やSONYとかも、中国の政策でなかなか市場に参入できず、家で遊べるものはありません。なので、ネットカフェが皆のたまり場で、カウンターストライクが大ブームでした。昨今では、中国のスマホゲームがものすごい勢いで成長していますが、これも実はそもそもコンソール型のゲームがないからなのです。(最近になって、テンセント社が総代理でSwitchを国内販売し始めましたね。)
中高は、山東省の青島(チンタオ)という都市(みんな大好き青島ビールでおなじみ)で過ごしてましたけど、経済的に発展している分、教育も日本に近いかなぁ〜と思いきや、勉強の競争は一層激しく、高校に至っては小さな山の中に建てられており(青島二中)、しっかりとした塀があって、週末以外は帰宅禁止泊まりこみで勉強です。
もちろん、部活なんてほとんどなく、基本7時に起床して17時くらいまで勉強して、夕飯とシャワーを済ませて、その後は19時から22時くらいまで教室で自習(必須)。見回りの先生がいるので、携帯いじってるがバレたら当然没収ですし、少しでも喋ってるのがバレても廊下に立たされる感じです。
携帯を連続3回没収されて、100ページの反省文(論文!?)を書かされたことがありますし;他クラスの女子とちょっと青春しちゃって手をつないでいたのがバレて校内放送で名指しで晒し者にされたりと、いい思い出でいっぱいでした。
何がいいたいかというと、北京大学や清華大学(日本でいうところの東大、京大)に受かっている彼らは本当に偉い、強靭な意志の持ち主らです。
牧場経営の地獄と起死回生の不動産投資からわかった中国経済のあれこれ
さて、そんな中国での生活ですが、経済的に支えていたのは父親が営んでいた牧場です。実は小学校の頃はほぼ牧場で生活しており、牛の乳をしぼって、ネスレ(中国)に上納していました。
中国といえば、GDPが近年で日本を上回り世界2位となっていますが、根本的なところでアメリカや日本などの資本主義国家とは異なり、社会主義をなんだかんだ貫いています。特徴的なところでいうと、土地は国のものだし、企業も国の発展に重要な領域(インフラ系とか、重点産業など)はほとんど国営なのです。日本で例えると、東京電力、NTT、トヨタ、MUFG、第一生命、JT、JP、JRなどが全部国営企業的な。
けど、社会主義は結局失敗の連続というソ連の教訓もあり、鄧小平のおっちゃん(凄い人)は「我々は社会主義“市場経済”という、中国独特のヤツでやっていこう!」と、なんと資本主義の市場経済をいい感じに社会主義に取り込んで、なんだかんだ制限はあるもののしっかりとビジネスができます。
ということで、いい忘れていましたが、うちの父方の家系は共産党の幹部が多く、色んなコネもあり、無事「黎明牧場」(親父の名前が黎明)をはじめることができたのです。そして、これまた独特のルートでニュージーランドの生きの良い牛たちを仕入れることに成功して、一儲けか?とワクワクしていたタイミングで悲劇は起こります。
なんと、ち、乳がでんっ!
そうなのです。データではめちゃくちゃ乳を出すともっぱら噂のニュージーランド牛なのですが、ここに来て拗ねたのか、データの半分の乳も出ないのです。個人的な見解ですが、おそらく中国の北の風は彼らにとって寒すぎたのかもしれません…(黎明牧場編・完)
そこで、すがぬま母が素晴らしい経営判断を下します。ここは、戦略的撤退をし、すぐに牧場の牛と牛舎を売っぱらい、土地の貸し出し権も他人へ譲渡し、できたお金で不動産投資だ!と。
中国では、土地は国が所有しています。つまり、簡単にいうと、個人は土地を所有できず、土地の使用権を国の許可をもらって所有できるのです。故に、ここは家を建てる土地だと、国が決めれば家しか建てちゃいけないし、農業用の土地だと決めれば、農業しかしちゃいけない。
余談で、また自分の親戚の話だけど、農業用に国から借りた土地に、少し裕福になって魔が差したのか、ホワイトハウスみたいな家を立てて、共産党の衛星にバレて、3日間で更地にされたらしいです。
とまぁ、そんな感じの中国ですが、2000年〜2010年はとにかく不動産の価格がどんどん上がっていき、それをうまく転がしていた大量のお金持ちが生まれます。日本の銀座で爆買している中国の方々は大半が不動産と絡んでいると思います(偏見)。
バブルといわれていたりもしますが、結局まだ価格は高いままで大きくは弾けず、共産党がなんとかコントロールしているみたいです。すがぬま母は、見事先見の明で、青島のいいところでマンションを購入し、それのおかげもあってなんとか高校に通ってしっかり勉強し、日本に帰ることができたのです。ありがとう、父、母、そして中国。そしてごめんね、ニュージーランドの牛たち。
そして日本へ…(エピローグ)
ここまで、約15年間中国での生活を終え、高校卒業とともに日本に帰国しました。ただいま、じゃぱん。
中国での厳しい教育に耐え抜いたおかげで、東大に入らせていただけたり、ビジネス当たり前な環境で育ったこともあり、起業もして、今は愉快な仲間たちと LIFE PEPPER という会社で日本企業の海外戦略とマーケティングのサポートをしています。なんだかんだ、中国は自分にとって第2の母国みたいなもんです。ありがとう、ちゃいな。
さて、長文でしたけれども、初めての note 、こんな感じでどうでしょうか… もしいい感じにシェアされたり、いいねされると、モチベーションが上がってもっと色んな中国のマーケティング情報を発信しちゃいますし、されなくても、仕事と割り切って、しぶしぶがんばります。
では、こんな感じですが、またお会いする日まで。
あ。ツイッターでも結構つぶやいているので、ぜひ👇