タイムトラベル
『不適切にもほどがある!』というドラマを見ている。先ほど第4話が終わったところなので、これからどうなるのかはわからない。
日本ではちょうど去年の今頃放送されていたドラマのようだ。
「ふてほど」という4文字は去年何度か耳目に触れたので、先日の一時帰国中にTVをつけたとき流れていた再放送をみて、ああ、これのことなのかと思った。
主人公が昭和から令和にタイムスリップする話だ。僕が2024年の年末に日本で見たのはこれの第3話だったようだ。
その日、僕は大使館へ行かなければならなかった。緊張する用事だった。もともと他の大切な用事があったのに僕の不手際で予定を変更してもらった申し訳なさもあり、朝から気分が悪かった。
シャワーを浴びてから、濡れた髪を乾かし、服を着てホテルの部屋を出るまでの十数分だけTVをつけた。
ホテルの部屋は高層階で、窓からは気持ちよく晴れた青空が広がっていた。横浜港が見えた。
しかし高層階がゆえに窓は開かず、外の光と裏腹に部屋の空気は重かった。だから気分転換にTVをつけたのだ。
内に内にと塒を巻く意識を自分の外に向けたい。誰かが自分以外の他の誰かに向けて話している声を聞きたかった。
このドラマのドタバタ具合は、ちょうどよかった。
年が明けて僕はポーランドに帰国した。
大使館へはこの帰国に関わることで行ったので、結果的に用事はうまくいった。
留守にしている間に溜まっていた仕事を片付けて、一息ついて思った。日本が恋しい。
この感情は久しぶりだった。初めてかもしれない。何かが変だ。戸惑い、心が揺れる。落ち着かない。
1ヶ月という期間は、一時帰国としては今までで最長だった。しかし、いろいろと心の休まらない状況にあったため実際に日本を楽しんだのは1週間もなかった。不完全燃焼だったのかもしれない。
日本語が聞きたくて、何か日本のドラマがないかとNetflixをスクロールしていて「ふてほど」を見つけた。
ああ、あれだ。と思い何の気なしに再生する。1話を見て、なるほどこういう話だったのか、と思った。
2話、3話と見ているうちに、あの日ホテルの部屋で見たシーンがやってきた。
そして思った。
本来は2024年の2月に放送されたこの第3話を、俺は年末の再放送でほんの十数分見た。
同じドラマの1話、2話、そして3話の前半部分をいま2025年に見ている。時間軸が僅かに歪む。
そしてあの日みた3話のこのシーン、このセリフ、はっきりと覚えている。
その瞬間、
あの日の天気、部屋の温度、袖を通した服、部屋を出てからエレベーターに向かうまでに従業員の方と会釈をしたこと、ロビーではさみを借りたこと、食べたもの、歩いた道、考えていたこと、ブーツに溢したアイスラテ、電車のアナウンス、話したこと、一気に頭の中に蘇ってきた。とても鮮明に。
同じような現象は、子供の頃に見て好きだった映画や、学生時代によく聞いていた音楽などでもときどき起こる。
2025年の1月20日、ポーランドの自宅のソファで『不適切にもほどがある!』の第3話を見た俺は、一瞬確かに2024年12月30日の午前10時頃、あのホテルの一室の、あの日差しの中にいた。
そして俺は確信した。
このドラマのこのシーンを見れば、いつでもあの日に意識を飛ばすことができる。
部屋に差し込む日の光に舞う埃の粒を数えることもできる。
現在から過去への一方向ではあるが、これにて僕のタイムマシンは完成した。
郷愁はもうしばらく続く。
その度に俺は2024年の年末の日本へ意識を飛ばし続ける。